episode E-2 桜ちゃん

 桜……ちゃん? 命って、

「桜ちゃん、牧野さんの一人娘――。十四歳だった」

「…………」

 僕は言葉が見つからずに沈黙する。

「牧野さん夫妻には、君とは別の牧野桜がいた。コンピューターとロボットの力不足で見た目は違うけど、いや、同じ顔にしないでって言われたっけ……」

 僕は二人の違う顔より自分が引き継いだ「桜」という名前が気になった。両親が顔を似せたくなかったとしたら名前が同じ理由は何だろう、呼び間違いで僕に怪しまれぬためだろうか。

 浄瑠璃がやっと顔を上げた。

「覚えてない時点でやっぱり俺って薄情だよな」

 彼は笑ってそう言うものの、頬に僕にはできないひとすじの涙を流す姿を見れば彼が本当は〝持っている〟のが僕にも分かった。

「ごめん、ごめんな――、桜……ちゃん」

 しかし浄瑠璃はウインドウの下に姿を隠し、スピーカーが届ける涙が過去現在二人の桜に謝っているように聞こえる。

 桜――、ねえどんな子だったの? 僕は誰より天の本人に訊ねる。ああ、この世界の〝天〟にはいないんだった。それでも僕はここ地下から上に出て外の遠い空を見たくなった。もし二つが同じ世界だったら、そのどこにいても蒼く深い宇宙の空と空がきっとつながっていたのに――でも待って、最初の桜が命を落としたのは事故が起きてこの建物が世界をまたぐ前だったのだろうか。もし後なら彼女は、僕のいるこの世界で〝天〟に召されたかもしれない。

 僕の心の、作られた「心」の信号に引っ張られるように浄瑠璃が戻ってきた。さあ今――、だけど僕は彼に答えを訊く気はなかった。もう一人の桜と一緒にいられる可能性を消してしまうのは嫌だったのだ。

 ねえ、と代わりに問う話題を見つける。一種の現実逃避。

「さっき愛で通信できたって伝えたけど、前回の通信が突然切れたのはどうしてなの?」

 口にしてから瑣末な話題だなと思ったが、涙を打ち負かして笑みを浮かべる浄瑠璃は「いい質問だよ、桜」と言ってくれた。

「へ?」

 驚く僕に、彼は一時何かを探す素振りを見せる。

「その前……ええと、桜の愛で通信できたことだけど、頭痛通信コンピューターは別に今日のところは何もおかしくなってないと思う」

「そうなの? じゃあ浄瑠璃のコンピュー……」

 僕はしゃべりながら彼の揺れる視線を追いかけており、この素敵な蒼い瞳が本気で好きなんだと認めなければならない。もちろん世界が違う上に僕はロボット、恋は無意味。それでも好きになっていいのか、僕は一人葛藤するのだった。

「前に解析した時からこうなることは分かってたけど、今は恋でも愛でも通信できる。『恋愛感情』って言葉が『恋』と『愛』だからじゃないよ?」

 浄瑠璃は僕にかまわず続け、僕は「そんな言葉遊びだとは思ってないよ」と返す。

「条件が毎回一つずつ増えていくんだ。これは桜が誕生して最初に条件が削られた時には決まってて、一つ目が恋愛感情だった。二つ目以降が何かはやってみないと分からないみたいだけど」

「でもそういうことなんだ――、分かった」

 僕が手をたたくと彼はウインドウの向こうで両腕を上に伸ばし、はみ出して大きく背伸びする。僕は彼の真似をしたくても恥ずかしく、椅子の上でただすましただけだった。

「よし。それでは本題に入ろう」

 いよいよここから通信が切断された理由。浄瑠璃が真剣ながら楽しげに笑い、不思議に感じた僕の返事は音を失って消えた。

「さっきこのコンピューターが、桜のコンピューターを通してあるデータを受け取った。多分、頭痛通信コンピューターに外から、桜の存在に気づいた牧野さん夫妻でもない何者かがプログラムしたんだ」

「えっ、お父さんもお母さんも知らない?」

 僕が驚いて小粒のカメラをのぞき込むと、はっきりうなずく彼。やはり僕の恋愛感情が彼に移って切れたわけではなかった。

「俺は通信が切れた後でおかしいと思って調べて――、見つけた。文章なんだけど、このコンピューターが読みとろうとしたらおかしな文字列に変換されて、危険と判断して通信を切ったらしい」

「それ……って、大丈夫なの?」

 僕はコンピューターより謎の〝文章〟が訴えたかった中身を心配したのだけど、浄瑠璃は分かっているのか「大丈夫、問題の文章の解析はできたから」と笑みをこぼす。謎の〝文章〟は無事だった。

「――どうする、聞きたい?」

「お、お願いっ」

 返事急ぎすぎ。彼は僕と話すあごの下、美しい鎖骨を指先で軽くたたいて言った。

「この送り主は――、桜を救いたいんだ」

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