第十八話/はじめてのおふろ

「シュテン殿はこちら、嬢様方はそちらの入口でございます。シンビの街は有名な湯治場で御座います。貸切にしておきます故、ごゆっくりお寛ぎくだされ」

テンショウに背中を押され、シュテンは脱衣場へ入った。

「……?」

シュテンは困惑していた。

それもそのはずだ。そもそも平安時代の日本には湯船に浸かるといった入浴の文化は無い。「風呂」という言葉はあったものの、そんなものを大江山の鬼達が知る由がないのである。

シュテンは風呂なるものが何なのかも分からないまま、謎に仲間たちと引き離され、用途不明の空間に放り込まれたのである。

部屋の中にあるのは布切れが置かれた棚のみ、奥には更に扉。

開けてみると、背の高い柵で覆われた湯気の上がる池。

「…なんだァ?」

しばらくの間、シュテンは立ち尽くしていた。




「ふへぇ、生き返るっス〜」

「そうですねぇ」

一方の女湯では、メイとマンジュが並んで蕩けていた。

「冒険者暮らししてると、中々こんな事出来ないっスよね」

「そうですねぇ、旅籠にはシャワーも付いてない所が多いですし、出費を抑えたいと銭湯にも行けませんからねぇ」

「アタシは身を清める魔導具も持ってるので、今度からは言ってくださいっス」

「有難いですねぇ」

「…」

「…」

「…アニキ、結構垢溜めてましたよね」

「ですね、少なくとも私と一緒にいる数日間、いえもっと前から洗っていないと思われます」

「風呂嫌いなんスかね」

「だとしたら今もロクに洗わずに上がる可能性がありますね」

「なんなら既に上がってるまであるっス」

「…」

「…」

その時、アンナが洗身を終え湯船の方へ来た。

「二人とも、加減はどうだ?」

「アンナ殿、とても良い湯加減でした!ですがのぼせる前に上がりますね!」

「アタシも十分楽しんだっス!感謝っス!」

「お?おお、そうか」

メイとマンジュは足早に脱衣場へと戻って行った。




「アニキ!」

「シュテン殿!」

バーンと勢い良く男湯の浴場へと入っていくと、服を着たまま棒立ちしているシュテンと目が合った。

「んァ?おう、お前ら」

その様子に一瞬固まるも、ひとつの可能性に気づきため息を吐く。

「シュテン殿、もしや貴方の国にお風呂は…」

「ねェ、ここは何をする場所なんだァ?」

「やはりですか…」

「予想通りっスね」

マンジュは脱衣場の方を指差す。

「アニキ、まずはあそこで服を脱いで来るっスよ」

「あァ?そうなのか」

シュテンは頭を掻きながら脱衣場へ戻って行った。

「…さて、じゃあこっちも準備するっスよ」

スッ、とメイの方を向く。

「え?マンジュ殿、何を…ひやあっ!?」

あっという間に装備を解かれ、メイはマンジュと共にタオル1枚となった。

「うぅ、何故こんな格好…」

「装備が濡れたら大変っスからね」

すると脱衣場の扉が開く。

「脱いだぞ、これでいいのかァ?」

「わあっ!シュテン殿前は隠して下さいっ!」

メイが慌てて目を覆う。

「あァ?」

「見てないっス、何も見てないっスよ」

マンジュはいつの間にか顔を逸らしていた。

「タオルがあったでしょう!?それを腰に巻いてください!」

「タオル…?あの布切れのことかァ?」

「そうっス、早くして欲しいっス」

シュテンは脱衣場からタオルを取り腰に巻いた。

「巻きましたか?巻きましたか!?巻いたらそこの椅子に腰掛けてくださいね!」

メイは両手で目を覆っている。

既に自身の格好の事など忘れたようだ。

シュテンは言われた通りに座る。

「座ったぞォ」

「よし!」

メイは勢いよく手を取る。

マンジュも恐る恐る視線を動かした。

「…では、気を取り直して」

「シュテン殿、我々がお背中をお流しします!」

「あァ?おお…?」

シュテンはよく分からないまま返事をした。

「では…参ります!」

メイはスポンジを取ると、めいっぱい石鹸を泡立てる。

マンジュと左右に分かれて、まずは背中から洗う。

「…?」

シュテンは何をされているのか分かっていなかったが、とりあえず続けさせることにした。

「お、おお、これは…」

「っスね…」

洗えば洗うほど流れていく垢に、段々メイとマンジュは夢中になっていく。

黙々と全身を擦り続ける。

「…おい」

シュテンの声にも気付かぬ程には、集中していたのだろう。

「おォい!痛ェ!」

「わっ!」

シュテンが叫ぶと二人はやっと止まる。

ナイフすら通らないシュテンをスポンジで痛がらせるとは一体どれほど擦ったのか、想像できない。

「し、失礼しました、流しますね」

メイはシャワーを手に取ると全身満遍なく流していく。

「ん…」

これにはシュテンも気持ちがいいと感じたようだ。

「じゃあ次に、髪を洗うっス」

マンジュは手にシャンプーを取ると、シュテンの頭で泡立てていく。

「うわ、頭も凄いっスよ」

「どれどれ…わわ、本当ですね」

「なんだァ?」

気になったシュテンが上を向いたその時だった。

「っ!?痛ってェ!?」

シュテンの目に泡が入った。

初めての経験に、さすがのシュテンもパニックになる。

「わっ!アニキ落ち付いて!」

「目がッ!いッ!?」

縦横無尽に暴れていたシュテンの両手は、不幸にも左右にある2つの布切れを引っ掛けた。

「おわっ?」

「へっ?」

メイとマンジュが状況を理解するのに、一瞬のラグが生じた。

その内にみるみる紅潮して行くメイ。

「ひっ、ひゃあああああっ!?」

その間にマンジュはシャワーを掴み事態の打開を試みる。

「アニキ今流すっスよ!」

マンジュはシュテンに掴まり頭を流そうとするが、足元が滑りシュテンがバランスを崩した。

「ぐおあっ」

「わっ」

丁度その時、後ろの柵が壊れる音が響き渡る。

「悲鳴が聞こえたが何事だ!?」

女湯でメイの声を聞いたアンナが駆けつけたのだ。

勿論こちらも裸である。

「んァ?」

「あっ」

「は?」

裸で蹲るメイ。

その眼前で仰向けのシュテン。

こちらも裸でシュテンに跨るマンジュ。

泡が流れきって視界を取り戻したシュテンと目が合う、これまた裸のアンナ。

客観的に見て、状況は最悪である。

「な、何をやってるんだお前たちはーッ!!!?」

アンナの叫び声が木霊する。

その後、メイとマンジュの説得でなんとか事なきを得たシュテンであったが、よりいっそう人間の事が分からなくなったのであった。

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