【短編】王子が最愛の婚約者に浮気されて泣いていたので慰めたらヤンデレになった

淡雪みさ

雷雨の中の捨て犬



 黒々とした空から横殴りの雨が降り注ぎ、窓ガラスにぶつかるたびに大きな音を立てて弾けている。

 風が強く吹き荒れ、店の前の看板までガタガタと音を立てて揺れていた。


 マロンの住むザーダビア王国の城壁都市は年に一度、都市全体が暴風雨に襲われる季節がある。

 その日も建物全体を壊してしまうのではないかと思われるほどの強風が、城下の道沿いにあるマロンたちの店の壁を叩き付けていた。


「マロン、小麦粉買ってきてくれないか?」

「ええ!? この風の中!?」


 あっさりと指示してくる兄に仰天しながら窓の外を見上げる。

 外では木々の枝が風で暴力的に振り回されていた。


 しがない庶民の娘であるマロンは、仕事一筋の十八歳。

 生まれてからずっと、兄と二人暮らしでこのスイーツ店を営んでいる。


 この店は元々マロンの両親が経営していた店だが、両親は早くに病死してしまった。それ以降はずっと店のレシピを覚えたり客寄せをしたりと大忙しの日々だった。


「まだマシな方だろ。夜にはもっと酷くなるぞ。そしたら明日のケーキもスコーンも用意できないぞ」

「はーい……」


 仕方がない。見るからに危険だが店のことは大事なので気怠げに椅子から立ち上がった。


 城壁都市にやってくる嵐はあくまでもすぐ過ぎ去るもので、一晩過ぎると必ず晴れる。明日には都市の人々がいつものように買い物に来るだろう。その時に店を閉めていたら大きな損失だ。

 最近、近場にライバル店とも言えるおしゃれな新しい店もできたことだし、ここで手を抜くわけにはいかない。



 マロンは傘をさして店を出た。

 この強風でそもそも整粉屋は営業しているんだろうかと心配になりながら、風車が目印のその店に辿り着くと、馴染みのおばあさんは店をしめかけていたらしく、「ぎりぎりだったねえ」とマロンに小麦粉の袋を渡してくれた。


 ピカッ――ゴロゴロゴロゴロ……と遠くで雷鳴が轟く。顔を上げれば、不気味な厚い雲がこちらに近付いてきているのが見えた。この世の終わりみたいな空である。

 雨がこれ以上激しくなる前にと走って帰ろうとしていたマロンの視界の隅に、ふと何か黒い塊が映った。


 ん? と思って通り過ぎた後ろを振り向く。道の隅、黒いコートを被ったそれは、最初大きな置き物かと思ったが目を凝らすと人間だった。その人は地面に座り込み、何故か傘もささずに雨風に打たれ続けている。


 王の政策のおかげで近頃は浮浪者も城の付近では見かけなくなったので意外に感じた。


「あの……大丈夫ですか?」


 マロンはおそるおそるその人に近付き、その人と目線を合わせるように屈む。


 フードを深く被っているために顔付きまではよく見えないが、全身ずぶ濡れでフードの間からちらりと見える髪も水分を吸っており、犬の体を洗った後を連想させるような見た目をしていた。体格からしておそらくマロンよりも年上の男の人だろう。


「だ、大丈夫ですか?」


 雨風の音で聞こえていないのかと思いもう一度声を張って問いかけるが、彼からの返事は一向に返ってこない。


 とはいえ、夜にはもっと嵐が酷くなる。無視されたからといってこんなところに放っておくわけにもいかない。強風で飛んできた看板が頭にぶつかって朝には死体となって倒れている可能性がある。


「お家どこですか?」

「…………」

「ここから近いですか?」

「…………」

「お知り合いの方、この王都にいますか?」

「…………」

「……あの、ずっとここにいたら本当に死んじゃいますよ?」


 マロンは風に逆らって傘を彼の頭上にかざし、彼にかかる雨を防ごうとするが、強風で傘が逆さになり、ついには遠くに飛ばされていってしまった。


 激しい雨風がマロンたちの体を襲い、マロンもだんだん寒くなってきた。これ以上ここで長話をするわけにもいかないと思ったマロンは、目の前で蹲っている彼の腕をやや無理やり引張り、背負うようにして抱え上げた。


「……っ!?」

「すみません、埒が明かないので、一旦私の店で預かります!」


 後ろの彼が小さく驚きの声を上げるのが聞こえたが、マロンは気にせず走って店へ向かった。こう見えて幼い頃から店で出す洋菓子の材料を大量に背負って店と店を往復していたので、自分より体の大きい人間一人を背負うことなど造作もないのだ。


 強風のせいで開けづらくなっている店の戸を、力技で何とか開ける。風でガタガタとうるさいので、この後シャッターをおろす必要があるだろう。

 中で明日の支度をしていたらしい兄は厨房から顔を出し、マロンの姿を見てぎょっとしていた。


「おわぁ!? 何でそんなびしょ濡れなんだよ!?」

「風強すぎて傘させなくなってきてるから」

「つーか誰だよそいつ!?」

「城下で座ってた人」

「座ってた人!?」

「なんか、返事返ってこないから無理やり連れてきた」

「誘拐!?」


 調理用の手袋をしていた兄はそれを外し、奥から出てきて不審げにマロンの連れてきた人物を凝視した。


「大分体が冷たいから、お風呂に入れてあげたい。男の人みたいだから、お兄ちゃんにお願いしてもいい?」

「お、おお……。いいけど」


 マロンの後ろの彼がガタガタと震えているのを見てようやく状況を飲み込めたらしい兄は、マロンの代わりに彼に肩を貸し、浴室へと連れて行った。


「材料用意してあるから生地作っといてくれるか?」

「はーい」


 濡れた体を拭いてから兄の代わりに厨房へ向かったマロンは、いつものように持ってきた強力粉と牛乳、砂糖、バターなどを混ぜてタルトの生地を作ることにした。

 まだまだ母や父には及ばないが、パティシエールとしての実力は年々上がってきている、ような気がしている。スイーツ作りには厳しい兄にも最近はこうして仕事を任されることが多い。



 しばらくすると、浴室の方から「ぎゃあああああああああああ!!」という兄の悲鳴が聞こえてきた。びっくりして生地を落としそうになったマロンは慌てて板の上に生地を置き、浴室へ走っていく。


「お兄ちゃん、どうしたの!?」

「ま、まろ、まろまろまろマロンっ! お前、なんて人連れてきたんだ!!」


 濡れないようにズボンの裾を捲っている兄は、震える声で浴室の中を指差す。一体どうしたんだと浴室の中に目をやると、全裸で佇んでいるさっきの人がいた。

 肉付きがよく、筋肉も綺麗についていて腹筋が割れている。


「おお、過酷な肉体労働に耐えられそうな体だね……今日からうちで雇いたいかも」

「バカ!! 顔よく見ろよ!!」


 兄に頭を叩かれ、顔? と思いながら相手を見上げると、この辺ではちょっと見ないくらいの美しい顔立ちがそこにあった。


 きりっとした眉、形の良い唇、高い鼻、きめ細やかな肌、水に濡れているからか溢れ出る色気――こちらがひっくり返りそうになるくらいの美男子だ。心なしかオーラがキラキラと輝いているように見える。


 しかし、気にすべきところはそこだけではない。


「エミル……王子様…………?」


 この顔を見てぴんと来ない者は国民ではない。

 我がザーダビア王国の王太子、エミルがそこにいた。




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