第4話 自称姉と龍ロリ

 スケダ少年が孤児院長より職業訓練を受け始めて一年が経過した頃。

 同年代の孤児はその多くがダンジョンに挑み始め、孤児院を出て住み込み修行を始めたものもいる。スケダは変わらずに院長と訓練漬けの日々だ。ただし変わったこともある。


「スケダくん。今日も疲れたよね? ふふっ、お姉ちゃんが甘ーいミルクを持ってきてあげたよー」

「おー。姉ちゃんありがと。ずずず……あぐぐ、身体に染みるぜ」

「ふふー、スケダくんお爺さんみたいだねっ」

「へへ。オレはまだジジイじゃねえぜ。まだまだ強く、院長以上に強くなる予定だ!」

「うんうん。頑張れ頑張れ♡」

「むぐ、姉ちゃん撫でるの好きだよなー」

「ふふっ、うんっ。だってお姉ちゃんだもん」

「理由になってねえよ……まあいいけど」


 コロッセオの壁に寄りかかるスケダと話す女が一人。

 長い白金の髪に美しい青の瞳、傷一つない滑らかな白磁の肌と二対の黒い羽を持った天使のような悪魔。美の化身そのままな立ち姿だというのに、くるくると変わる表情は人懐っこく可愛らしさに満ちていた。


 彼女の名前はユウヒメ。院長と同族の悪魔である。当然スケダの「姉」ではない。


「スケダ君。休憩は充分ですね。さあ続けましょう。魔法縛りは継続してください」

「よ、っし。行くぜ!」

「うんっ。頑張ってねスケダくん」

「おう。頑張るぜ姉ちゃん!」

「えへへ、応援してるからねーっ」


 美女の声援を受けながらコロッセオをひた走るスケダだが、一分後にはボロボロになって三つ首蛇にお手玉されていた。院長はにこやかに、自称姉のユウヒメもまた微笑を浮かべその光景を眺めている。


「ユウヒメも相変わらず奇特な方ですね」

「えー。何がかな?」

「全界に唯一無二である悪魔皇姫の貴女が普人族の子供に入れ込むとは、不可思議なこともあったものです」

「ふふ、そうかな。でもそれを言うならイチョウさんだって同じでしょ?スケダくん一人のためにたくさん時間使っちゃってるよね」

「私は院長ですから。スケダ君は私の子と同じです。子のために労力を割くのは悪魔でも当たり前でしょう」

「ふふっ、そうだね。……じゃあいつか、イチョウさんがわたしのお義父さんになるかもね!」

「はぁ……貴女はどこまで本気なのですか……」


 スケダの悲鳴をBGMに、悪魔二人は穏やかに話をする。

 院長――イチョウがユウヒメに困った顔を向けると、ユウヒメは朗らかに笑む。彼女にとって今語ったことはすべて本心だった。けれど、スケダの保護者であるイチョウにはもう少し話しておくべきかとも思う。


「イチョウさん、わたしは全部本気だよ。スケダくんがわたしの思う通りに強くなって、わたしの思うままの男の子になって、わたしの理想の男の人に成長していく、そんな未来を見ているの。大人になったスケダくんは、きっと他の誰よりわたし好みの男性になっていると思うんだ」

「……」

「大昔にね。ヒカルゲンジって人がいたんだって。年下の女の子を自分好みに育てて未来のお嫁さんにしたの。それを聞いてわたし思ったんだ。"あぁ、なんて素敵なんだろうっ!"って」

「……貴女は、スケダ君でそれを試そうと?」


 横を向いた女の青い瞳には、狂おしいほど綺麗な光が宿っていた。


「うんっ。どうせならわたしも世界一の男性作ろうかなって! えへへ、お姉ちゃんは天才です!」

「その"姉"というのに意味はあるのですか?」

「え? 趣味だよ?」

「……そうですか」

「ふふっ」


 宙に浮いた蛇に遊ばれているスケダを幸せそうに眺め、ユウヒメは笑う。


「先ほど渡したミルクに妙な魔力が籠っていたのも……そのヒカルゲンジとやらが原因ですか」

「うん? うんっ。スケダくんには長生きしてほしいからね。わたしの――っと、いくらイチョウさんでもここからは秘密だよー」

「いえ、彼に害がないなら構いません。……強く生きてください、スケダ君」


 呟く院長の顔には、普段と異なり祈りのような色が見え隠れしていた。

 「頑張れー♡」と甘く声援を送るユウヒメを見て、院長は小さく溜め息を吐く。ただでさえ不透明だったスケダの未来は、もう霧がかって何も見えなくなってしまった。


「たあああすうううけえええてええくれえええええ!!!!」


 絶叫を響かせながら宙を舞う少年の前途は多難である。


 

 


「うごおおおお!!!――ハッ、なんだ夢かよ……」


 院長との訓練開始(特に対三つ首蛇戦以降)から、定期的に襤褸屑にされる夢を見る。いや現実でもちゃんと襤褸屑にされているからあながち夢とも言い切れないか。

 さておき、周囲に迷惑をかけながら目覚めたスケダは今日も今日とて早起きからの早朝基礎訓練に精を出していた。


「はっ、はっ……」


 孤児院の周囲を走る。無駄に大きな中庭を保持しているだけあって一周でもそれなりに時間がかかる。体力づくりには持って来いのランニング環境だ。


 スケダが院長から職業訓練を受け始めて一年、さらにユウヒメから逆光源氏計画を受けさせられ始めてから四年と、鍛錬開始から計五年が経過している。

 時が過ぎるのは早いもので、スケダ少年は十一歳を迎えた。子供の成長は早いと微笑む院長がいたり、男の子の成長は興奮すると喜ぶユウヒメがいたりしたが些細なことだ。


 順調にレベルも上がり、毎日の訓練にも慣れ色々追加し始めてきた今日この頃。

 早朝にしては珍しく、スケダの視界に人の姿が入り込んできた。


「ねえあなたあ」

「? オレのことか?」

「そおよお。毎日ずうーっと走っているあなたのことお」

「――そうか、よ。オレにもついに、ファンができた、ってーことかよ。へへっ!」


 立ち止まり鼻の下を擦り、だらしなくもカッコつけて笑う。忘れてはいけない。スケダがダンジョン攻略を目指す理由はチヤホヤされるためだ。


「な、何か勘違いしているようだけれど……くふふ、まあいいわあ。ねえあなた、お名前聞かせてくれるかしらあ?」

「――オレの名はサウザンド・スケダ・ブレイズ」

「ん……んぅ?」


 決め顔決め声で名乗るスケダに、余裕たっぷりだった表情を怪訝そうに変える女――少女。

 ふわふわと宙に浮き、ゆるふわ純白の長髪を肉体同様揺らめかせている。顔の横左右から垂れた二房の髪束が可愛らしい。

 桜色の瞳を瞬かせ、"前と違うわねえ"と思う。その背は小さく、十一歳のスケダより少し大きい程度だった。


「ねえ。わたくしが前に聞いたのとは違うのだけれどお?」

「なるほどそうか。あんたはオレを慕う良家の子供ってところだな? オレにはわかるぜ。何せオレはブレイズだからな」

「全然違うわねえ……」


 呟く少女ではあるが、スケダが彼女を良家の子女と思うのも無理はなかった。

 無駄にひらひらしたスカートは何故か前だけ短く後ろは長い。肩出しで胸を強調した露出の多い服装はこれまた何故かへそを出している。あまり季節感のない国とはいえ、寒くないのだろうか。


 謎の衣装はともかく、少女の格好はどう見ても一般人や孤児が着れるものではない。

 スケダの服など着古したシャツとズボンだけだ。見た目の割に院長が訓練用と保護魔法をかけているため、そう簡単に千切れたりしない。経年劣化でボロボロなだけである。


「まあなんでもいいぜ。オレに用か? サインなら考え中だから後にしてくれよな」

「勝手に進めるわねえ……」


 最初は楽しそうだった顔も、今では気だるげに変わっている。こちらが少女の素だ。


「わたくしはルルルアよお。スケダ、覚えておきなさあい」

「ルルルア……?」

「そお。……くふ、もっともおーっと強くなったら、わたくしがパーティ組んであげてもいいわよお」

「そうかそうか。そういう年頃だよな。わかるぜ。いつかな、いつか」

「ちょ、ちょっとお。何するのよお」


 少女ルルルアの上から目線な物言いには優しく微笑み、子供の戯言だと頭を撫でてあげる。自分より背が高い相手を年下のように思えるのは、前世の豊富な知識があるからだろう。

 むくれて抗議してくるルルルアに、スケダはきらりと笑う。


「はは、いつか行こうぜダンジョン。オレが強くなった時、あんたはこの約束に感謝するぜ、たぶんな!」

「もお……不敬なんだからあ。でも……くふふ、ええ。いつかねえ」

「おうよ」


 撫でられた頭を押さえ、ひらひら手を振り走っていくスケダを見送る。


 ルルルア。ルルルア・ネピュロリア。

 齢二百を超える、星龍(龍人と星霊のハーフ)と知られる超級のダンジョン探索者だ。偶然見かけたスケダの潜在能力に目を付け、今日話をしにやってきた。

 思っていたのは違う関わり方になってしまったが、これはこれで面白いかとも思う。まさかこのわたくしを気安く撫でるなんて恐れ知らずな子供だこと……。


「……くふ」


 頭の上が熱を帯びているような気がして、ちょっとだけ未来が楽しくなった。

 おもしれー男、と思いつつルルルアは姿を消す。跡には朝日を浴びてきらめく燐光だけが残されていた。

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