第3話 父と子


 広い浴槽にふたりで入る。

 さすがに膝を曲げないと狭く感じるけど、充分なスペースがある。

 彼と向き合った。

 髪を下ろした彼は異様な雰囲気、というか、色気があった……。

 そしてミステリアスだ。


 …………わたしがドキドキしてどうすんだ。


 タオルを巻いているとは言え、ドキドキするのは彼の方のはずなのに。



「細い体だけど……ちゃんと食べてる?」


 食べさせてるつもりだけど……まだ結果が出るには早いかな。

 わたしがいない時の食生活はなんとなく想像できる。

 まったく食べないわけではないけど、ほんと、一日一食で一口とか二口とか。食べてる内には入らないけど食べてはいるのだ。

 だからこそのこの細さ。納得だ。

 外に出ないし運動もしないから、お腹もすかないのかもしれない。


「義母さんのご飯が美味しいからね、これから太くなっていくんだよ」

「義母さんって呼ばないで」


 恒例のやり取りだった。

 わたしも、本気でやめてと言っているわけではない。

 こういう会話を最初にすることで、本題へ入りやすくするためだ。


 浴室には音がなく。

 水面を揺らす、ちゃぷちゃぷ音だけが響く。

 わたしが口火を切らないといけないんだけど、なかなか、口が動かなかった。


「それで、離婚するの?」

 と、彼の方から聞いてきた。

 気を遣ったのかな……にしては、内容は気遣いがない。

 まあ遠回しに言われても、わたしが不快な思いをするのは同じだから、ストレートに言ったのかも。

 それはそれで、彼なりの気遣いなのだろう。


「しない」

「あ、しないんだ……意外だね」


「だって、今したら周りにとやかく言われるし……歳の差で反対されたのを押し切って結婚したんだよ。すぐに離婚したらほら見たことか、って、周りに叩くための餌をばら撒くことになるじゃん。それはやだなって思ったの。浮気されたのはそりゃ嫌だけど……、周りからバカにされる方がもっと嫌」


 彼は「ふーん」と頷いた。

 興味なさそう……では、なさそうだ。

 テキトーに聞こえた相槌でも、熱が入っている気がした。


「気持ちは分かる」

「浮気される気持ち?」

「いや、周りにとやかく言われることにね」


 彼も彼で悩みがあるのだろうか。あるのだろう……だから仕事を辞めて部屋に閉じこもっているのだし。

 ……わたしは、そういうことにも踏み込んでみたくて、こうして裸の付き合いをしたのだった。


 危うく忘れてのんびりと湯に浸かって終わるところだった……それはそれでいいんだけどさ。


「正樹はさ、どうして仕事を辞めたの?」



 彼は、答える前に髪をかき上げた。

 昔は優しさが前面に押し出された顔だったけど、今は、ちょっと暗いところがあって、旦那によく似ていた。親子なんだから当たり前か。


「それ、なんで言わなくちゃいけないの?」

「言わなくちゃいけないわけじゃないよ。聞きたいだけ。わたしが。知りたいの。正樹のこと」


 短く、簡潔に。

 母だから、ではなく、わたし個人として、同級生のことを知りたかった。


 近況報告、とは軽い感じでは聞けないけれど、目の前で苦しみ続ける友人であり息子の気が楽になるなら、わたしは愚痴の受け皿になってあげたいと思ったのだ。


「あ、もしかして……仲間を探してるの?」

「?」


「人の不幸を知って自分が楽になりたい? ああ、自分よりももっと不幸な人がいたんだから自分なんかまだまだマシだ、って……そうして心の平穏を取り戻したいんでしょ?」


「…………。わたしのこと、そこまで性格が悪いと思ってるの?」


「思ってる。歳の差にどうこう言うつもりはないけど、父さんの毒牙にかかった時点で君もおかしいよ。もっと人をよく見た方がいい」


「父親のことを、よくもまあそんな風に言えるよね……」


「僕にとって義母さんは二人目、三人目じゃないんだよ。この家にきた人はみんなおかしかったから」


 おかしい、ね。

 確かに、あの人に魅了されたわたしたちはおかしいのかもしれない。

 あの人がわたしたちをおかしくしたのかもしれないよね。

 ……ほんと、おかしくなっちゃったなあ。


「まだ、距離があるんだね。もっと親しくなれば教えてくれる?」

「まあ。僕が話したいと思えるほどに仲が良くなれば――」


 ざばぁ、と水面が激しく暴れ、わたしの体を包んでいた白いタオルが落ちる。


 水面を覆うようにタオルが広がって、わたしの裸が、彼の瞳に反射していた。


「は?」

「じゃあ、距離を詰めようよ」

「いやあの、物理的じゃなくて……」


「親子だから無理? でも血の繋がりはなくて、同級生だよ。正直、旦那よりもあんたとの方が、周りは納得するんじゃない?

 こういう筋書きはどう? あんたに近づきたいわたしが旦那を使って懐に入り込み、距離を詰めた……歪な関係だけど、周囲の目から批判はないんじゃない?」


 比較的、だけどね。

 旦那と結婚するより息子と浮気をした方が周りは納得してくれそうだった。

 やり方が遠回り過ぎるけど、動機はきっと、分かってくれるはずだから……。


 さらに距離を詰める。

 もうお互いの顔も体も分からないくらいに密着し、彼の答えを聞く。


「どう? わたしに、話してくれる?」

「……話すよ。だけど、離れてくれ。君とそういうことはしない」


「女の子にここまでさせておいて? 据え膳食わぬは男の恥――でしょ?」

「毒入りでも? いや言い過ぎた、ごめん。いくら据え膳でも嫌いなものは食べないよ」


 それ、言い換えた意味ある?

 嫌いって言われてるんだよね……。


「それに……君と一緒だよ。同い年の義理の母。そっちから誘ってきたとは言え、手を出せば周りからは『やっぱりね』と言われるだろうし、結局、体で誘えば落ちる男だと思われるのは、悔しい。気に食わない。だから手は出さないよ――――

 据え膳食わぬは男の恥……だけどね、こっちだって譲れない信条がある」


「怯えてるだけだったりして」

「まあ、0じゃないけど」


 彼は降参のポーズを取って、これ以上は絶対になびかない意思表示をした。

 わたしと同じなら……これ以上は押しても意味はないか。

 じゃあ引けば……それは単純に、事態が収まるだけだ。引いても意味はない。

 この攻防が終わる、という意味はあったわけだけど。


 ぷかぷかと浮かぶ白いタオルを体に巻いて――ちら、と彼を見れば既に視線を外している。

 ……体には自信があったんだけどなあ……見向きもされないとショックだ。

 父と子の好みは一致しないのかもしれない。


 いやいや、でも、浮気してる旦那の好みは全種類網羅しているようなものだから、一致している部分はあるのかもしれないね。


「綺麗だけどね」

「え?」

「あ、いや、なんかショックを受けてそうな顔してたから……魅力的だよ、たぶん」

「たぶん?」

「魅力的です、義母さん」


「義母さんって言わないで。いけない関係になっちゃったみたいじゃん」

「この状況も充分やばくないかな? 義理で親子でなければごく普通なのかもしれないけど」


 義理の親子というラベルがわたしたちの関係を歪にしてしまった。

 それさえ外れてしまえば、なにも悪いことなんてしていないのに。

 もしかしたら、学生時代に通っていた道かもしれなかった。


 たらればを言っていても仕方ない。

 わたしは旦那を選び、彼はわたしを選ばなかった。これがわたしたちの人生なのだから。


「魅力的なのにさ、わたしじゃないんだ?」

「うん」

「好みのタイプは?」

「……明るい子」

「漠然としてるね。わたしだって明るい子だけど」

「もっとだね」


 もっと明るい子? 大人になれば後ろ暗いことのひとつやふたつは持つわけだし、社会の裏側を知れば純粋さは消え、明るいの極致である天真爛漫さは消えていってしまう。

 子供ならまだしも、同世代で天真爛漫な子は、よほどの箱入り娘しか――――あ。


 え、まさか………。

 まさかだけどさ……?


「子供?」

「…………」


「小学校の先生をしていたあんたが仕事を辞めたのって……小学生を相手に恋を、」

「なにが悪いんだコラ」


 悪いと思っているから辞めたんじゃないの……?


「………………、ロリコンめ」


「違う。僕は彼女を、小学生とは思っていないんだから――――歳の差は関係ない。

 年齢が低ければ誰でもいいわけじゃないんだからな!!」



 浴室に響く彼の声。


 歳の差かあ…………やっぱり親子よねえ。



 父と子は、やっぱりそっくりだった。



 了

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同級生が義理息子 渡貫とゐち @josho

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