26話:園田「若月くん来ないでと願いながら、若月くんが来るのを待った」

 九月になっても、若月くんはお見舞いには来てくれなかった。

 砂利の駐車場で若月くんに怒鳴られてから数日、私はずっと来てくれることを願った。でも、その願いは叶わなかった。

 カーテンの隙間から、白くて強い陽射しが差し込む。病室の白い壁に反射して、電気はつけていないのに、部屋の中は眩しいくらいに感じた。

 世界はこんなにもきらきらなのに、私の心はどんよりと曇ってる。

 莉歩がくるまでに若月くんが来てくれたら、と悪あがきをする。満足に動かせない左手を右手で包み込むようにして握り、「神様」と強く祈った。

 病室にノックの音が響く。

 どきりと、胸が高鳴った。

 若月くんでありますように。そう願いながら、「どうぞ」と外にいるノックをした人物に声をかけた。

 ゆっくりとドアが開かれた。

 顔を見るのが怖くて、私は視線を足元に向けていた。

 茶色の革のローファーと、紺色のハイソックスが目に入る。視線を少し上げる。膝下まで長くした紺色のプリーツスカートが見えた。

 ああ、と落胆する。

 同時に、せっかくお見舞いに来てくれたのに失礼だと、悟られないように笑顔を浮かべた。


「いらっしゃーい」

 

 できるだけ明るい口調で出迎えた。

 莉歩は眉間に皺を寄せ、首を傾げて私の顔を真っ直ぐ見つめてきた。


「どうしたの?」


 私は首を傾げて見つめ返す。


「ナコ元気ないよね。なんかあった?」


 胸がドキリとした。


「そんなことないよ。元気だよ」


 私はそれでも取り繕うように笑顔を作った。だけど、莉歩は私のそんな顔を見て、確信したように言った。


「やっぱり。元気ないね」

「……どうして、莉歩には、ばれるのかな」


 これ以上は無理矢理笑みを浮かべても意味はないと悟った私は、伏し目がちに口にする。


「ナコさ、元気ないときほど明るい声出すじゃん。そんくらい知ってんだからね」

「そっかあ。莉歩には、うそはつけないね」


 眉をハの字に下げて、苦笑いを浮かべた。


「ほら。そんな顔しないの。いつもみたいなナコの可愛い笑顔見せてよ」


 左隣に座った莉歩が、私の左頬を指でぐりぐりとマッサージした。


「わたしの笑顔、へんかな」

「変じゃない」


 強い口調で、私の言葉を否定する莉歩。


「変なんかじゃない。ナコの笑顔はいつだって可愛いに決まってる。ただ、今の笑顔は悲しそうだからそう言っただけ。だから、もっと自分の笑顔に自信持って。そうじゃないと、ナコの笑顔をもう見れなくなりそうで怖い」


 莉歩は真剣な眼差しを私に向けた。その言葉は凄く嬉しい。同時に、そんな思いをさせてしまって申し訳なくなる。

 私がごめんと言おうとしたのを莉歩が言葉を被せて遮った。


「謝らなくていいから。それならお礼言ってよ」

「ありがと」

「よろしいっ!」


 莉歩がやっと笑ってくれた。

 その顔を見て胸が温かくなった。私にとって莉歩は、大切な友達だって実感する。毎日来てくれて、本当に感謝してもしきれないくらい、ありがとうでいっぱいだ。


「莉歩、わか月くん、がっこうきてた?」


 莉歩の顔が露骨に嫌そうな表情に変わった。それが可笑しい。でも私の好きな人のことを大切な友達が嫌いだって事実に悲しくもなった。


「来てた。あの野郎、ここには来ないくせに学校には来やがって。ほんと腹立つ」

「わか月くんも、忙しいんだよ」


 莉歩の悪態に対し若月くんのフォローをした後、「それに」とポツリと口にした。

 その呟きに莉歩は涼やかな目を向けて、「どうした?」と首を傾げたのが横目に見えた。


「今日は、来るよ。来てくれるよ」


 莉歩に顔を向けて、今の私なりに、はっきりとした口調で言い切った。その言葉だけで莉歩は何かを感じ取ってくれたらしい。目を一瞬だけ伏せた。そして、問いかけてきた。


「ナコはそれでいいの?」

「うん。これがいちばん、良いんだよ」


 できるだけ強がって明るく口にする。本当だ。莉歩の言う通り、私は元気がなくなると明るい声を出すみたいだ。初めて知った。なんだか、可笑しいね。

 あれ、本当に、可笑しいな。

 声は明るいのに目から涙が溢れて、目の前が滲んだ。涙はすぐに目尻から零れて頬を伝って落ちていく。右側の涙は落ちていく様子が感じられる。でも相変わらず、左側には感覚が伝わってこない。

 突然、莉歩が私の首の後ろに手をまわして、強く抱きしめてきた。

 温かい莉歩の体温と息遣いをすぐ近くに感じる。小刻みに肩が震えているのもわかった。


「どうして、莉歩が泣いてるの?」


 私は抱きしめられた状態のまま尋ねた。


「なんでナコがこんなに辛い思いしなくちゃいけないのかなって思って。あたしはナコに幸せになって欲しい。泣いて欲しくないから、代わりに泣いてやるんだ」


 その言葉は、血に混じり私の体の中の血管を駆け巡ったみたいに感じた。莉歩の優しさに全身が温かくなった。

 細い莉歩の背中に両手をまわす。


「ありがと」


 ごめんねは、莉歩が嫌がるからお礼を口にする。その後、私は言葉を続けた。


「でもね、辛いのはわたしじゃなくて、わか月くんだよ。わたしは、わか月くんに幸せになって欲しいなって思うよ」


 莉歩の腕に更に強く力が入ったのを感じた。


「それと、莉歩にも幸せになって欲しいよ」

「あたしの幸せは、ナコがいっぱい心から笑ってくれることだ」

「なにそれ、かっこいいね」

「惚れてもいいよ」

「わか月くんがいなかったら、女の子どおしだけど、好きになったかも」


 莉歩が抱きしめてくれていた腕を緩める。体の距離が離れる。目と目が合う。

 数秒後、同時に噴出して笑った。


「そっかー、こんなに可愛いナコに好きになったかもって言われたら、あたしも照れるなー」


 莉歩がおどけた口調でそう言って、私の左頬を指で軽くつねった。


「それじゃ、化粧しなくちゃね。今までで一番、綺麗で可愛くしてやる」

「うん。お願いね」


 莉歩は、任せといてと白い歯を見せて笑うと、学校の鞄の中から化粧ポーチを取り出した。そして、真剣な表情で私の顔を丁寧に化粧してくれた。

 最後に頭につけている栗色のウィッグを櫛で梳かして整えてくれた。全て終わると、少し離れた位置から私の全体を見るようにして、満面の笑みを浮かべた。


「よし! すっごい可愛い!」


 なんだか照れくさくて、私は謙遜して顔を伏せた。

 ふと、自分の体のニオイが気になる。


「ねえ莉歩」

「ん?」


 莉歩が小首を傾げて、涼しげながらも優しい視線を向けてきた。


「ほうこう剤。まだある?」


 私は、部屋に置かれたいくつかの芳香剤に視線を向けながら尋ねる。


「残ってる。大丈夫! それにナコの体からも良い匂いがしてるし」

「そんなことないよ。昨日、シャワー入ってないから」

「さっき抱きついたときに良い匂いしたから確かだ! 気にしなくても良し!」

「ほんと?」


 伏し目がちのまま確認する。


「本当! 女のあたしですら押し倒したくなるくらい、良い匂いだったし!」


 莉歩はニシシと白い歯を見せて笑った。


「ありがと」


 照れて自分でも顔が赤くなったのがわかった。

 遠くからツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。それ以外には、空調の音が病室に響く。


「ねえ莉歩」

「どうした?」


 震える声で莉歩の名前を呼ぶと、莉歩が、柔らかい口調で返事をしてくれた。


「わか月くんに電話するから、電話が終わるまでいてほしいの。ちょっと、こわくて」


 私の手が震えてる。


「うん。ここにいる。大丈夫だから電話しな」


 莉歩は言いながら、私の左手を優しく握ってくれた。

 私は小さく「ありがと」と口にして、枕元に置いてあったスマホを手に取る。座っている膝の上にスマホを置いて、画面をスクロールして若月くんの電話番号を表示させる。

 三度、深呼吸をした。

 莉歩に視線を向ける。莉歩が小さく頷いた。

 それで決心がついた。番号を指で押した後、右手でスマホを持って耳にあてた。

 スマホからコール音が響く。

 一回、二回、三回。何度も鳴る。だけど、若月くんは出そうな気配がない。

 それでも私は自分から切ることはしなくて、鳴らし続けた。

 結局、若月くんは電話には出なくて、留守番電話に繋がった。一瞬、出たくなかったのかなって思ったけど、その思いはすぐに打ち消した。忙しかっただけだと自分に言い聞かせた。

 留守番電話に、話があるから病院に来て欲しいということを残して電話を切った。


「若月、出なかったの?」


 莉歩が不機嫌な表情で尋ねてきた。


「うん。忙しいんだよ」


 それに対して、莉歩は「そだね」と素っ気無く返事をした。

 何かを言いかけて言葉を飲み込んだように見えた。たぶん、私の言葉を否定しようとして思いとどまったんだろう。莉歩は優しいから、忙しいはずないって言えなかったのかな。


「それじゃ、あたしは帰るよ」


 莉歩が立ち上がる。うん、と私は頷いた。


「そのさ。若月が帰ったあと、一人でいるのが辛かったら呼んでよね。すぐに駆けつけるから」

「もしかしたら、ほんとに呼ぶかも」


 私の言葉に莉歩は「遠慮するなっ」と言ってから、ドアの方へと歩き出した。そして、廊下に出たところで、くるりと体を翻して満面の笑みを浮かべた。


「今日のナコ、今までで一番可愛いよ。絶対世界一可愛い! だから、あのクソ野郎に後悔させてやんな」


 莉歩は、そう言うと拳を握ってこちらに向けた。それに対して私は「クソ野郎じゃないよ」と言いながら、右手を握って、離れているけど空中で拳を付き合わせるような仕草をした。


「それじゃ。頑張れ」

「うん。またね」


 握った拳を開いて、胸の前で小さく振ってドアが閉まるのを見届けた。

 莉歩が出て行った病室は静かになった。強く鼓動する心臓の音が耳の奥で響く。ツクツクボウシの鳴き声も空調の音も全部、脈打つ音に掻き消される。

 どんどん辛さと寂しさが込み上げてきて、悲しさでいっぱいになる。

 だめだな。私ってこんなに弱かったんだ。

 九月になっても若月くんが来なかったらって自分で決めたことなのに、若月くんが私の留守電を聞いていませんように考えちゃう。

 聞かなければここには来なくて、伝えなくて良いんだから。そうしたら、今まで通りのままでいられるんだから。

 そんなことを考えると涙が零れそうになる。化粧が崩れるから、それをなんとか我慢する。莉歩が梳いてくれたウィッグの栗色の髪が乱れるのが嫌で、背中を壁にもたれさせて座った状態を保った。

 若月くん来ないでと願いながら、若月くんが来るのを待った。

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