氷像(2)

 清之介が、晶之輔の屋敷を訪れたのは昨日の朝である。

 孫に連れられ、麦稈帽を頭に被った幼子が三和土でお辞儀をする。

 出迎えは、談判のうえ家主である晶之輔が請け負った。家には、長男の清嗣郎とその妻が同居する。実質、家督を譲ったようなものだが「ご隠居」の身分だ。そも、清志郎は長男の嫡子だった。齢十八の時に、画業の道に進むと一度は家を出ていった境遇なのである。

 靴箱の上には、精霊迎えの茄子と胡瓜が外向きに飾られている。

「おしょらいさん、ひいおじいさま、こんにちは」

 晶之輔も、五歳の曾孫のひたむきな愚直さには敵わぬ。

 昨年の盂蘭盆で、精霊馬をともに作ったことを覚えていたらしい。

 挨拶を済ませ、清志郎たちを屋敷に上げると仏間へと誘う。五十路を過ぎ、譲り受けた日本風の家屋は数寄屋造りに寄せてある。三和土の玄関から、廊下を兼ねた板張りの広縁を通ると庭が望めた。青椛と、苔の毛氈が見事な庭に、蹲踞と見立てた石鉢が水を湛えていた。

 二対の硝子戸は、四曲屏風のように緑の滴る庭を透かして画になる。

「あ、ひいおじいさま。めだか、まだ元気ですか?」

 清之介が、手前の硝子戸に近寄るなり問いかけてきた。

 御影の石鉢には、山椒藻や布袋葵を浮かべてを泳がせてある。

 後で見せてあげよう、と晶之輔は曾孫の頭を撫でながら答えた。黒い髪は、晶之輔の妻譲りの柔かな猫毛であった。麦稈帽を被ったせいで、蔓草のように跳ねたのを手櫛で梳いてやる。玉鬘とは、この御髪のことを言うのだろう。禿のごと、白い頤のあたりで切り揃えてある。

「まずは、御仏壇を拝んで、ご先祖様に挨拶をするんだよ」

「ごせんぞさま。おばあちゃんが、おしょらいさまって呼んでた」

 お精霊様、と書いておしょらいさまと読むのであろう。

 清嗣郎の妻は、母の実家が京都にあり独特な呼び方をしていた。

 仏間は二階にあり、階段を上がると廊下が部屋の周囲を直角に続く。料亭旅館を真似て、広縁がわりに板張りの廊下を設えたのであろう。高欄付きの肘掛窓を、ぐるりと庭先を望むように巡らせてある。和洋折衷で、広縁を廊下として欄間には色硝子を嵌める工夫ぶりだ。

 施主も、随分な数寄者で趣向を凝らしたものと思われる。 

 孫たちが参ってくれたよ、と仏間の障子戸を横に引きながら言った。

 妻の没後、近所の由緒ある寺を菩提寺として墓を建立した。家屋ごと、仏壇も受け継いだため菩提寺も施主に倣ったのである。寺の境内には、民家に紛れるように墓地がある。妻の位牌を祀るにあたり、晶之輔は実家で焼き増した先祖の遺影も掲げることにした。

 年下の妻は、齢七十の時に誤嚥から肺炎を拗らせて身罷った。

 長押には、横に押し並べて先祖の遺影が連ねてある。晶之輔の父母は、墨絵の画幅が褪せた色合いの胸像画と見える。先立った妻の写真ばかりが鮮やかだ。萱堂の横に、莞爾と笑んだ妻が微笑ましい。荊妻とは呼び難き、松江に夫婦で旅行に行った折の写真であった。

 晶之輔は、手土産を提げたまま孫たちを仏壇に参らせた。

 仏壇の前に、経机をおりんや香炉と調えて盂蘭盆の仕度をしていた。

 清志郎の横に、曾孫が両膝を揃えて綺麗な正座をする。おりんを鳴らし、妻の位牌に手を合わせ拝んでから晶之輔を振り向く。純真な、黒目のつぶらな瞳である。黒目を輝かせ、目高が見たいとせがむのも頑是ない。長兄の孫は、宥めるにも難儀したように頸を竦めた。

「すみません。聞き分けのいい息子ですので」

「わかっているよ。清之介、二日間うちで辛抱できるかね」

 孫の言葉に頷くと、晶之輔は幼子と目を合わせるようにして言った。 

 曾祖父として、幼い曾孫を迎えるのを愉しみにしていたのだ。 今日中は、清嗣郎たちとともに近場に出掛けでもするかと思っていた。曾孫にすれば、避暑ならずも小旅行といった気分であろう。晶之輔も、また清嗣郎夫妻も、自分たちが旅行に行くように待ち遠しかった。

 何せ、孫夫婦は多忙で、曾孫もまたピアノの稽古に邁進している。

 清之介も、幼子ながらに物分かりがよく可愛げがある。

「はい。いいこにします。ははが、そそうのないようにと言いました」

 そうかね、と頷きながら清之介の小さい頭を撫でた。

 孫の言葉通り、母親の躾のためか「粗相」の心配もさほどなかろう。むしろ、溌溂さが足りぬとも思われる。利発で、聡明なだけに活発でないのは不安にもなる。常の教育は、両親である孫夫婦の胸三寸に任せるほかない。晶之輔は、曾孫を可愛がるに留めるしかないのだ。

 老齢の曾祖父など、今の時世では口を挟まぬに如くことはない。

「今日は少し出掛けようと思っていてね。鶴岡八幡宮にもお参りに行こう」

 喜色満面に、清之介が何度も御髪を振りながら頷く。火照った頬は、紅顔の童子といった無垢な愛らしさだ。鎌倉には、古刹や名跡が数多く残されている。焼夷弾を免れ、戦火に焼けることなく済んだのだ。この盂蘭盆に、曾孫を連れ出すのも悪くなかろうと考えていた。

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