そんなものは存在しない
「──ごめんね、わっくん。ヒヨリは消えるから。幸せになってね」
「待っ……!」
「……うっ!」
気づけば声を発していて。その声で目が覚めたら。
「おう、起きたか倭。良い夢……ではなかったようだけどな」
「父さん……ごめん、運転してもらってるのに寝ちゃって。今どの辺り?」
「気にすんな、お前はこれから頑張るんだろ? そろそろ着く。目ぇ覚ましとけよ」
「……うん」
家を出た頃には薄暗かった空が不気味なほどに明るくなっていて。かなりの時間眠ってしまっていたことに気づく。
そろそろ着く、か……
オレは、日和と向き合うんだ。
「……母さんには安静にしててほしいから、家にいてもらうことにしたって言ったけどさ」
「…………?」
車内を包む沈黙。何か話さなければと話題を考えていたが、父さんの方が先に口を開いた。
「それだけじゃない。俺が村を去った理由の全てをお前に話しておこうと思ってな」
「全て……?」
父さんが村を去ったのって、村長の重圧から逃げるためなんじゃ……
「もちろん、村長の重圧ってやつは凄まじかったし、ソレと完全に無縁の話ってわけじゃあないんだが……」
「…………」
「……村の会合でな、『母さんを捨てろ』って言われたんだ」
「え?」
「どうせ死んでしまう母さんのことは諦めて、ウチの娘でもどうだって」
「なんだよそれ……誰がそんな」
村長の重圧と無縁の話じゃないってことは、その権限目当てで自分の娘を嫁がせようとしたってことか。
「いっぱい居たよ。最初は魚屋のオヤジだったな。それを聞いて、うちもうちもって言い出す奴らがいてさ」
「……そうだったんだ」
「もちろん、全員がそう言っていたわけじゃないぞ。八百屋のオヤジなんかは『何をバカなことを言ってやがるんだ』って本気で怒ってくれたしな」
「……それでも、父さんはもう村には居たくなくなったんだね」
「ああ、愛する人を『代えがきく』ように言われるたのが許せなくてな。言った奴らを処分する選択肢もあったけれど、そもそも母さんを、こんな思想を生む村に戻したくはなかった」
「……そうだよな」
又聞きをしているだけでも怒りで震えそうになる。それを直接言われた父さんの気持ちは計り知れない。
……見合い結婚だから、なんて思っていたけれど、父さんは母さんを愛しているんだな。
「村を改革することなく出て行った……俺は自分の行動を逃げたとは思っちゃいねぇ。愛する人への想いを第一に『決断』したと思っている」
「……まあ、改革の理由を母さんが知ってしまう可能性もあったからね」
わざわざ母さんがいない車内でこの話をするということは、父さんは墓場まで秘密にするつもりなんだろう。
「ああ。けれどな、倭。お前には申し訳ないことをしてしまったと思っている」
「なんでさ……」
「日和ちゃんとのことだよ。お前の『彼女から逃げたい』って言葉に真っ当なアドバイスもやれずに村から出しちまった」
「……それは、父さんが悪いんじゃないよ」
「けど、あのときの行動を後悔していなかったら、今こんなことしてないだろ?」
……そう。そうだ、オレは。
「……ああ、オレは後悔している。日和と向き合わずに諦めてしまったことを後悔しているんだ」
「……ゆっくり理解していけばいいって言ったはずだけどな。子どもの成長は早いな」
「そうも言ってられなくなったからね」
早いどころかむしろ……日和は既に行動に移ってしまっているかもしれない。手遅れかもしれないんだ。
そう思うと手が、脚が震えてしまうし、走りだしたい気持ちになってしまう……が、ここで慌ててもどうしようもない。
「……ん」
「……」
緑、緑、緑……
三年といくらか経っても変わらない懐かしい風景。
オレは、村に帰ってきた。
「……ごめん。父さんは村に帰らないって言ってたのに」
「ばーか。俺は母さんと同じくらいお前のことを愛してんだぞ。そんな息子の願いを聞いてやれずにどうすんだ」
「……ありがとう」
普段なら照れ隠しに黙ってしまいそうな言葉だったが、心の底から感謝を述べる。
そうだ、日和ともこうやって、向き合って、心の底から対話をするんだ。
「……ん。準備はできたな、倭」
「ああ!」
「──閉まってる!」
日和の家の敷地内に迷わず入って。
玄関ドアが開かないことを確認すると、庭の方に回る。
「ひ、日和ッ!!」
窓越しにオレが目にしたのは、日和が首を吊っている光景だった。
首辺りに手をかけて、もがいていて。
「倭ッ! ぶち破るぞッ!!」
オレが呆然と立ち尽くしていると、父さんが窓に鍬を叩きつけていた。
……そうだ、オレもッ!
父さんが開けたであろう倉庫の中から鍬をもう一本取り出し、窓に思いっきり叩きつけるッ!
「うおおおぉぉぉッ!!」
窓の一部が割れ、そこに手を突っ込んで鍵を開ける!
「日和ッ!」
倒れた脚立を起こし、天辺に日和の足を乗せて。
父さんと協力しながら首にかかった縄を外した。
「日和ッ! い、生きてるよなッ!?」
「………………かはっ! はっ、はぁーーーッ!!」
回復体位の姿勢で寝かせて間もない内に日和が大きく息を吸って吐いた。
「よ、よかった……!」
「倭、父さんは村の奴らに話をつけておくから、日和ちゃんのことは任せたぞ」
「ああ!」
開いた窓から出ていく父さんを見送って、日和を見る。
健康的な小麦色の肌、茶髪を纏めたポニーテール……小学生の頃はサイドテールで、中学生の頃はミディアムボブだったな。
身長は……またコイツに越されてるな。中学生のときに追い越せたって喜んだってのに。てかデカいな。
安堵からか視界が広がる感覚。
日和の顔しか見えていなかったのが、だんだんと全身に視線が巡り。
「……ん」
彼女のズボンが濡れていることに気づいた。
……脚立が立っているところをよく見ると、不自然な水たまりができていて。
さっきまでは余裕がなくて気づかなかったが、独特な臭いが鼻につく。
「すぅ、はぁー……わ、わっくん、どうして」
「とりあえず身体を洗いながら話そう……動けそうか?」
「へ? う、うん」
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