第30話

ここからは時間が勝負。

 まずは窓の下に椅子を移動させ外を覗き込めば、屋根に平坦な道があり、その先に別塔が。

 予想が当たったと喜ぶより先に、周囲の景色に目を見張ってしまう。


(こんな高い場所にいたなんて……)


 暗い螺旋階段のせいで、高低差まで私は分かっていなかった。

 位置的に眼下は見えなくとも、圧倒的に空が近い。それに、外で何度も見上げた国旗もすぐ近くにあり、ここがどれぐらいの高さかの予想がついてしまう。


 外からも内からも簡単に敵に捕らえられないためだとしても、窓の外に出るのが怖いと、どうしたって怖気づく。


「…………」


 一度、階段を振り返る。足音は近づいてなくとも、今、話が終わっていたら。もう階段を登り始めているとしたら。

彼が戻って来てしまえば、私がここから逃げ出す機会は二度と訪れない。


(大丈夫。ほんの一瞬よっ)


 気持ちを奮い立たせ窓を開くと、びゅうっと風が吹き込む。

 窓枠を乗り越え外に出れば、城も高い土地に建てられているだけあって城下町はそれこそ豆粒のようだし、遠くの山々まで良く見えた。


「――っ!?」


 室内とは比べ物にならない強い風が、体を叩く。怖さと風のせいで立てず、しゃがみ込んだまま前を見据える。

 私の前にあるのは、人が歩けるよう作られた一本の道。これが私の道で、今こそ進まなくては。


(しっかりなさいマリーツァ! 貴女は怖がっている場合ではないの!)


 夕日がまだ残っているおかげで、足元はしっかり見えるのも救い。

 それでも立って歩くのは危険だと四つん這いになり、高さを感じないよう手元だけ見て進んでいると、その視界の端に何かが動いた気がする。


(今のは……?)


 ほんの少し首を回して下を見ると、裏庭でこちらを指さす人影。


(エマ!)


 影が増え暗くなっている地上だろうと、彼女なのは間違いない。誰かに指示を出しているのも動きで分かった。


(良かった……! 私がいると認識してもらえたわ!)


 自分が進む先の別塔で、国旗が力強くはためいている。

 現金なものでさっきは高さを教える怖い物であったのに、今は勇気を貰えた気がして手と足を必死に動かし前に進む。


(あと少しで、道の端に――)

「――何をしてる!」

「っ……!?」


 振り返ると、窓の向こうにサミュエルの姿。


「逃がすものか! お前が人質である限り、向こうは手出しできないんだからな!」

「いいえ! 私も、ここで捕まるわけにはいかないの!」

「この……!」


 屋根に出た彼の手に、アレクセイの剣。

 あの人の剣で、私が傷つけられるわけにはいかない。

 急がなくてはと視線を道の先へ戻すと同時に、室内から「どごぉぉっ!」と何かを破壊した音がここまで届いた。


「まさか扉を――っ、おい! 待て!」


 相手も必死。屋根の道を走れなくとも、腰を屈めながら歩いてくる。その速度は四つん這いの私より早く、距離は確実にせばまっていた。


(アレクセイ……)


 きっとすぐそこにいるあなたへ、先に声だけでも。

 無事であると伝えたいと、風の音に負けないよう声を限りに名前を呼ぶ。


「アレクセイ! 私はここよ!」

「マリーツァ!! 僕もここにいる!」


 道の先から届く声。それだけで恐怖心は消え、立ち上がり走って道の端までたどり着けていた。


「ああ、アレクセイ……!」

「マリーツァ!」


 隣の塔の、遙かとまではいかなくとも一階分は下にあるベランダに、アレクセイの姿。

 下の階へと続く梯子はしごがあって、そこを降りれば向こう側に渡れると理解は出来ても時間がない。


「行かせるか……!」


 少しの安堵も許してくれない背後から届く怒声どせいは、振り返らなくても至近距離だと判断出来るほど。


「そこの梯子を降りてる暇はないし、サミュエルを矢で射るにも場所が悪い! だから――飛んで!」


 アレクセイの焦った表情で、彼からもサミュエルが見えたのだとも分かった。


「僕を信じて! 必ず受け止める!」

「……信じてるわ!」


 背後で、剣が空を切る音が聞こえた気がした。悔しそうに、「くそぉぉぉ……!」と叫ぶ声も。

 まるでスローモーション。スカートがはためく音もゆっくりと聞こえ、次に体感したのはアレクセイが私を受け止める衝撃だった。


「くっ……!」

「ッ……!!」


 勢いがあってアレクセイは私を抱いたまま後ろに倒れ込むも、用意されていたマットで衝撃は和らぎ、痛みはほとんどなかった。


「殺さず捕らえろ!」


 私を抱きしめたまま、アレクセイの端的たんてきな指示。

 梯子が何本も屋根にかけられ、騎士団員が駆け上り。私が逃げた窓からアシュリーさんが乗り込んだのか、サミュエルを確保した声が屋根の上から響いた。


「マリーツァ、ごめん! 貴女は僕のものだと、サミュエルに見せつけたくて……! 貴女を呼んだばかりに、怖い目に合わせてしまった!」

「考えなしに、あなたへ一直線に歩いてしまったのは私だわ。それに、私の怖さなんて些細ささいなものよ。あなたのほうが怖かったでしょう? すべてを背負ってここにいるあなたは、立派だわ」


 背中を撫でられる動きに合わせて、私も彼の背中を撫でる。胸元に耳を当てている体勢だから、心音もよく聞こえた。

 普段よりも、ずっと早い速度の心音が。


「もう安心して。私はどこも怪我をしていないし、何もされていないの。だから――」

「これは……?」


 顔を上げると、撫でられた頬がジンっと痺れる。

 緊張で張り詰めていたからか、忘れていた痛みが急に蘇った。


「……頬が赤い……あの男は……マリーツァを傷つけた……?」

「傷ではないわ。血は流れていないのだし、痕が残るものでもなく、痛みもほとんどないのよ」


 私の答えが気に入らなかったのか顔は険しく、瞳は徐々に陰りを増やしていた。


(いけない、このままではっ)


 アレクセイが闇の色に囚われてしまう。

 恐ろしいだけの国王陛下になってしまう。


「マリーツァお姉様!」

「エマ……」


 下で指揮をしてくれていたエマが、部屋に飛び込んでくる。

 状況に安心の表情を浮かべたのも一呼吸程度で、すぐにアレクセイと同じ険しい表情になった。


「陛下。罪人は捕らえ、謁見えっけんへ連行いたしました」

「分かった」

「アレクセイ待って……!」

「……大丈夫。貴女を置いていったりしないよ。一緒にいよう? ね?」


 待ってほしかったのは、一緒にいたいがためではないのに。

 話をしたかったのに、闇色の瞳と笑顔を前に言葉を失ってしまう。

 謁見の間に戻ればサミュエルは両手を縛られ、首にも縄をかけられ、床にひざまずいていた。


「陛下、ご報告いたします。この男は、すでに罪を認めております。仲間は誰もおらず、単独の犯行であるとも」

「…………」

「アレク、何か言葉を」

「……足りない」

「何がでしょう」

「一本じゃ足りない――」


 自分の剣を抜くのとほぼ同時に、アレクセイはアシュリーさんの腰にある剣も抜き、サミュエルに向けて駆け込んだ。


「その首突いて、切り落とす!!」

「やめろ、アレクセイ!」

「陛下、いけません!」


 ふたりの呼びかけに、彼は止まらない。


「――アレクセイ、止まりなさい!!」


 双剣を構えたまま、ぎりぎりの所で彼の動きが止まる。


「収めてちょうだい。今は気持ちも、剣も」


 腕に触れながら彼の前に立っても、アレクセイは表情にも瞳にも、声にも怒りを戦慄わななかせた。


「……何をかばう。どうして庇うっ。恐ろしい目に合わせた者を!」

「今は庇っていないわ。怒りのまま、私怨しえんだけで誰かに剣を振ってはいけないと言っているの。あなたの正義が間違いそうになったら止めるのも、伴侶になる者の務めではなくて?」

「けどこいつは……!」

「自分の感情だけで何かを決めてはいけないわ。今のあなたは間違っています。……私は、あなたを恐ろしいだけの国王にはしたくないの」

「……っ」

「サミュエルを許してほしいとも願いません。この人は確かに罪を犯したのだから。……どうか、正しい裁きを。それを私も受け入れます」

「マリーツァ……貴女は……」


 貴女は甘い、と言われてしまうだろうか。

 けれど怒りに任せて下した判断は、良い結果を産まない。

 そんな結果を国王であるこの人に、愛する人に出させてしまいたくはなかった。


「…………」


 すーっと一度大きく深呼吸をしたアレクセイが、自分の剣をさやに収める。


「……貴女は正しい」

「アレクセイ……」

「アシュリーごめん。剣、返すよ」

「ったく……。だから、まだまだお前は若いって言ってんだ。マリーちゃんに感謝しろ。腕めがけて短剣投げてでも、俺はお前を止めるところだった」

「うん……はい、ごめんなさい」

「手のかかる幼馴染を持つと、胃がいくつあっても足りないってね」


 ふざけた口調はそこまで。

 アシュリーさんが私に向けて片膝を着くと、エマも、その場にいた騎士たち全員が同じように膝をつく。


「マリーツァ様、ご無事で何よりです。このたびの不手際、騎士団長のわたくしが責任を取ります。どのような処罰でも受ける覚悟です」

「……いいえ、それは違うわ。罰せられるのはあなたたちではなく、私のほう。彼を……一度は夫であった人を、私は説得出来なかった。……申し訳ございません、アレクセイ陛下」


 陛下に向けて、私も膝をつく。


「みんな立つんだ。マリーツァもこうして無事に助けられた。今回の件で、僕は僕に誓いを立てている者に限り、誰も罰しない。ただ、これからも努めてくれ。僕のためではなく、この国のために。……僕はまだ未熟な王だ。みんなの力が必要なんだよ」


 おーっ! と、賛同の声が辺りに響き渡る。


「アレクセイ……」

「……今は彼を見送って」


 指し示されたほうを向けば、項垂れながら歩いていく人の姿。

 ドアの向こうへ消えるまで、私はしっかりと見送った。それが今、私がサミュエルに出来る全てだった――。

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