罪も罰も

第28話

翌日。

 アレクセイとアシュリーさんは先に城下町へ向かい。遅れて町の入り口にたどり着いた私は、エマに最後の説明を受け終えたところだった。

 といっても、説明は昨日聞いた内容のほぼ繰り返し。

 本当にひとりで歩かされるわけでもなく、私服の騎士団員が私を囲み。アレクセイたちは、身を潜めながら見守ってくれるとのことだった。


「それではこれより、単独での行動をお願いいたします」

「ええ。貴女も、どうか無茶はしないで」

「ありがとうございます」


 これも説明を受けたとおり、人通りが多すぎず少なすぎずの道を選んで歩き出す。なるべく自然に、きょろきょろとはせず、あくまで城下町を見学しているように。

 私がひとりで歩いているのに、皆さん驚きはしても笑顔で挨拶してくれる。それに応えながら進んでいくと、いつの間にか市場の近くまで来ていた。


(市場は人目が多すぎるわね。迂回して反対側へ……)

「おお、マリーツァ――」

「――っ!?」


 背後からの男性の声に、勢いよく振り返る。


「……様?」

「あ……生地と糸の……」


 声をかけてきたのはこの間の店主さんで、慌てて笑顔に戻す。


「考え事をしながら歩いていたもので……驚かせてしまい、失礼しました」

「こちらこそ、突然申し訳ありませんなぁ。今日は陛下とご一緒ではないと聞いておりましたが、新しい商品が入荷しましてね? またご一緒の時にでも、店に立ち寄っていただければと」

「まあ、それはぜひ拝見したいわ。教えてくださり、ありがとうございます」


 では、と店主さんが笑顔で市場へ歩き出すと、近づいていた私服の団員もまた一定の距離間に戻った。

 すーっと大きく息を吸い込み、大丈夫と心音に言い聞かせるよう軽く胸元も叩く。


 歩き出して、もう十五分は経つ。その間、挨拶以外で声をかけてきたのは今の店主さんだけ。手紙のぬしはまだ様子を見ているのか、国王陛下にしか声をかけるつもりはないのか。あるいは、もしかしたらすでに国を出ているかも。


(楽観し過ぎだと言われても、こればかりは……)


 嫌な予感が外れ、何事もなく済みますようにと願いながら足を一歩前に進ませると同時だった。


「――マリーツァ!」


 ああ、なんてことなの。

 私を呼ぶ声は聞き覚えがあって、逆に驚きもしない。


「やっぱり君か!」


 目の前に現れる覚えのありすぎる顔にも、驚きよりも悲しさで胸が震える。


「サミュエル……。あなた、どうして……」

「この国に用があったんだ。君が出て行った、その後すぐだったな。君の妹がグーベルク国で騎士になったのを思い出してさ」


 私が何を言っても右から左へ流してばかりではなく、話を聞いてくれてたのね。

 でも今回だけは、流しておいてほしかった。


「まさか君も来ているとは驚きだ。でもまあ、ここは国へ戻る通り道だもんな」

「ええ。私は妹に会うため……。あなたは? 彼女を思い出したからと言っても、まさか同じ理由ではないのでしょう?」

「簡単な話さ。祖国で駄目なら、この裕福な国で――」


 彼が私との距離を一歩縮めた瞬間、私たちを取り囲む騎士団員。

 サミュエルも何事だ!? と驚愕している中、輪の一部が開き、現れたのは当然の相手。


「アレクセイ陛下……」


 国王としての外着に身を包んだ彼は、普段であれば素敵だと見惚れたでしょうに、今は冷たい印象しか与えてくれず。後ろに控えるアシュリーさんとエマの表情も、同じ程度には冷ややかだった。


「こんにちは、マリーツァ。貴女も散歩をしていたんだね」


 鮮やか過ぎる笑顔に、視線を保っていられない。

 そんな私をよそに、サミュエルはここぞとばかり前へ出た。


「アレクセイ陛下、初めまして! 私は――」

「サミュエル様、申し訳ございません。他国の方が陛下とご挨拶したい場合は手順がございますので、今はお控えください」

「やあ、エマじゃないか……! 久しぶりだなあ。ここで騎士になったんだって? よかったじゃないか。剣を振り回すのが好きでそのでかさじゃ、結婚できそうになかったもんなあ」


 悪意はない。でも悪気はある台詞。

 私は「なんてことを」と顔をしかめても、他の三人はいっさい表情を崩さなかった。そんな私たちの感情に気づいてもいないサミュエルは、にこにこ顔で話を振ってくる。


「なあ、マリーツァ。君は陛下とこうして話が出来るほどなんだろう? 例の話を、ぜひ陛下にさせてくれないか」

「例の話って……」

「ほら、借金の打診だよ。手紙で君の両親には断られてしまったし、次の商売のために景気のいいこの国まで来たのさ。何度も手紙を投函し、記憶に残してもらってたんだよ。偽名ではあるが、それも心機一転みたいなものでね。そろそろ印象づいているはずと、近々城へご挨拶に伺う予定でもいたのさ」


 ――決まってしまった。

 ひどくあっさりと、意外性もなく淡々と。

 彼はまだ罪を犯してはいなくとも、アレクセイが謁見する充分な理由が出来てしまった。

 愕然がくぜんとする私をよそに、アレクセイはアシュリーさんに何か耳打ちを始め、その間を取り持つためかエマが会話を続ける。


「陛下宛に届いた借金の申し出、あれはサミュエル様でしたか。名前が違うので、予想も出来ませんでした」

「ははっ、そうだろうね」

「わたくしやアシュリー様は頻繁に見回りに来ていましたし、その時にお声がけくださったもよかったのですが?」

「あ、ああ……。その、もちろん君や団長様が一緒に歩いているのは見て知っていたが……ほら、仕事中に声をかけるのもね。迷惑かとっ」


 私がいない時に声をかけ、「なぜ」「どうしてここに」を根掘り葉掘り聞かれても困るものね。


「お気遣いありがとうございます」

「お礼を言われるほどじゃないさ。いやあ、しかし俺は運がいい。昨日の昼に手紙を投函して、そのまま昼食ついでにその食堂へ行ったらマリーツァの名前を耳にしてね」

「それで本日、こうして外へ?」

「まあね。話してる内容は良く聞き取れなかったが、城に滞在してるってのは聞こえてさ。これはチャンスだと思ったよ。妻なら……元妻なら間を取り持ってくれるに違いないってさ」

「それで手紙の投函もやめ、待ち伏せしていたと」

「人聞きの悪い。そろそろ来るかと外に出たら、こうして出会えただけさ」

「さようでございましたか」

「ああっ。……でもそうか。エマも、陛下と見回り出来るぐらいになってたなら、城に直接行って君を呼び出せば早かった。分別をわきまえず、積極的になるのも必要ってことか。ははっ、いい勉強になったよ!」


 ぺらぺらと、何を得意げに言っているの? この人はこういう人だった?

 私の知る彼は、確かに何かと自慢しがちではあったけれど、ここまで自分を大きく見せる人ではなかったのに……。


「なあ、頼むよふたりとも。アレクセイ陛下へ口添えしてくれないか」


 すでに直接言っているような状態なのに、私やエマを通そうとするなんて。自分に責任がかからないようにしているのか、そこまで自信がないのか。

 どちらかは知れなくても、これ以上はさすがに失礼が過ぎる。


「サミュエル。あちらに休憩所があるの。そこで、まずは私と話を――」

「いいんだよ、マリーツァ。どうぞ、これから城へ。話はそこで聞きます。騎士団員に案内させましょう」


 怒ってもいいぐらいなのに、アレクセイは笑顔のまま彼の願いを受け入れた。


「おお、ありがとうございます! いやあ、アレクセイ陛下はお優しいと聞いてはいましたが、会ってすぐに許可をくださるとは!」

「こちらこそ失礼しました。手紙が届いているのは僕も知っていたのですが、いかんせん差出人が不明だったもので。少し様子を見ていただけに、こうしてお会い出来てよかったです」

「陛下も慎重な方なのですね。私もそういうところがありましてっ」

「気が合うようで何よりです。……騎士団員と自衛団の待機所がこの先にあります。まず、そこで待っていてください。こちらの準備が整い次第、迎えを寄越しましょう」

「かしこまりました。では後ほど……!」


 彼はもう私に目もくれず、指示を受けた団員の後ろを足取りも軽やかについて行く。


「……あれが、貴女の元夫なんだね」

「アレクセイ……陛下、申し訳ございません。彼が、かなりの無礼を……」

「マリーツァが謝る必要はないよ」

「陛下、どうされますか」

「言ったとおり話を聞く。アシュリーもそのつもりで」

「…………」

「アシュリー、返事を」


 冷静なのは表情だけで、アシュリーさんはやはり腹に据えかねていたらしい。


「……承知」


 ふてくされたまま返事をすると、エマがそっと肩を抱いていた。


「エマ……ごめんなさい。貴女と、夫であるアシュリーさんまで傷つけてしまったわ」

「陛下のおっしゃるとおり、お姉様が謝る必要はございません。謝るべきは、あの男です」

「その時間を僕は作ったんだ。謁見中、マリーツァはカーテンの影にでも隠れて話を聞いててね」

「私は……」

「――聞いてね?」

「っ、はい……」


 また笑顔。でも、とても笑い返せない笑顔。

 話を続けられる雰囲気もなく、押されるように城へ戻され。しばらくして謁見えっけんの、カーテンの裏に身を潜まされる。

 すでに玉座に座るアレクセイと、階段の下に立つであろうサミュエルの横顔が見えやすいそこで、ぎゅうっと自分の手を握る。そうでもしないと、体が震えだしそうだった。


 どうして隠れなくてはいけないのかの理由に見当もつかないまま、緊張で息を詰めるしか出来なくなっていると。


「陛下、お待たせいたしました」


 ドアが開き、にこにこと上機嫌で現れたのはサミュエル。

 アシュリーさんとエマは、玉座から階段を一歩降りた所で両脇に控えた。


「アレクセイ陛下。本日は謁見の許可をくださり、誠にありがとうございます」

「構いませんよ。あなたは大事な客人の、元とはいえ夫ですしね」

「いやいや、お恥ずかしい。彼女が突然、家を出ると言いまして。これまで我が儘も言わないおとなしい女性だったのが、まさかの行動力で驚かされましたよ。いやしかし、お義父さんもその行動力であそこまで財を成したわけで、その娘となれば当然でした」

「ウィルバーフォース家の話は、僕の耳にも届いていますよ。実に立派なご夫婦で、仕事に対して今もって真摯しんしに向き合っていると」

「らしいですね。私も彼らにあやかり、楽な老後を送りたいものですっ」


 あやかりたいのは行動力ではなく、財を成す部分なのね。


(お父様たちは、今も決して楽に生きていないわ。商談に自ら出向いたり、色々な商品を取り寄せては自分の目で吟味もし、遠かろうと作った人の話を直接聞きに行き……)


 だから、ウィルバーフォース家が認めた商品は間違いないと、世間でも評判になるの。稼いだお金を総取りすることもなく、個々の働きに見合ったお給料も渡しているのよ。贅沢だって一切していないわ。


「……それで、私へどういったお話だったでしょうか」

「手紙に書かせていただいたとおりで、金銭の工面をぜひっ。マリーツァにも実家にそれを願ってくれないかと言ったのですが、彼女は良い顔をせず。ですが、国王陛下ともなれば余裕もおありでしょうし」

「どういった理由で必要と?」

「事業を起こしたのですが、失敗しまして。このままでは、家を売らなくてはならなくなります。そうならないためにも、次こそ何か事業を成功させたいのですっ」

「何か? 何も考えてないのに、金の打診を?」

「元手がなければ、始められるものも始められませんのでっ」


 得意満面話をしている彼にため息も出ないし、アレクセイの態度も気になる。

 最初はきっちりと座っていたのに今は足を組み、肘置きに肘を乗せ手の甲で頬を支え、尊大といえば尊大な態度になっていた。


「もちろん、事業が成功した暁には陛下にもお礼はさせていただきます! そうなれば、マリーツァも少しは私を見直してくれるのではと!」

「見直す……?」

「大商人の娘ということで、あれこれ提案はしてくれたんですが、私には私のやり方がありますから。離別書を置いて出て行ったのも、許すつもりですし」

「許す、ね」

「ええ。こうして、国王陛下との接点を作ってくれた功績は大きいですよ。これでも心は広いんです。それに彼女の家柄と従順な性格は、僕のような男の妻にふさわし――」


 だんっ! と響く音は、アレクセイが組んでいた足を解いて床を一度、強く踏み鳴らしたから。


「……アシュリー、僕はどうやら耳が悪くなったらしい。彼の声が、雑音にしか聞こえない」

「俺もです、アレクセイ陛下」

「エマ」

「わたくしもです、陛下」

「なら僕は正しいね」

「正しさは、いつでもアレクセイ陛下の頭上に」

「その足元に」

「「その手にございます」」


 ふたりの台詞が綺麗に重なると、アレクセイが玉座からゆっくりと立ち。剣のつかに手を添えながら、一歩一歩階段を降りる。


「僕が嫌いな人間を教えてあげよう。まず、嘘をつく者。次に、自分の立場や力量を過信し、そのせいで回りを巻き込み悲しませておいて、自分は間違っていないと言い続ける者。次に、自分以外の人間は、自分を際立たせるための道具としか見ていない者」

「あ……あの、陛下?」

「動かれては困ります」

「その首、ねられたくなければね」


 すでにサミュエルの背後に立っていたアシュリーさんとエマが、彼の眼前で剣を交差させた。


「ていうかさ。よくもまぁ、一国の国王陛下にそこまで馬鹿な話が出来たもんだよ。ある意味感心するね」

「わたくしも、人を見る目がありませんでした。その性格に気づけていれば、大事な姉を嫁がせたりはしなかったものを」

「あと俺としてはさ。自分の伴侶を馬鹿にされたのも、めちゃくちゃ腹立ってんのよ。彼女の良さを何も知らない奴が、適当ぶっこいてんじゃねぇよ」

「そうだね。身体的な特徴は、誰であろうと馬鹿にしていいものでもない。だけでなく、お前は自分の妻であった女性を軽視し、金の道具としか見ていないのも僕は許せない」


 階段を降りきったアレクセイが、とうとうさやから剣を抜く。

 三人の圧を受け、許しを請う声も出せなくなっているのか。サミュエルはただただ震え、それはもう情けない有様。


「僕も、僕が大事なものを傷つけられて平気でいられる人間ではないんだ。過去、そういう者たちは排除してきた。こんなふうに――」


 サミュエルの前髪が、パラパラと散っていく。


「この国の、薬剤師たちの実験台とされる前に。医師団たちの良い材料になる前に、お前は出て行け」

「っ、ひ……」


 剣先で顎を持ち上げられ、サミュエルは恐怖からなのか涙を流し始めていた。


「二度とこの国に足を踏み込むな。僕らの前に姿を見せるな。……いいね?」


 三人同時に剣を下げ、アレクセイがこちらに向けて手を差し伸べる。


「おいで」


 まさか呼ばれるなんて。


「来るんだ、マリーツァ」


 ここから出ない、なんて選択肢は私にはない。

 息を詰めたままカーテンの裏から出ると、サミュエルがハッとした表情で私を見る。


「さあ……まっすぐ、そのまま僕の所へ」


 私を呼ぶ真意は分からなくとも、天秤座ヴァーゲの瞳で手足を操られたかのように、私の体は彼の元へ進んでいた。


(サミュエル。どうか、これからは静かに暮すほうを選んで……)


 許されている今、ひとりでもう一度よく考えて。

 そう願いながら彼の側を横切った、次の瞬間。


「――っく!?」

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