正義の行方

第27話

城下町から戻ってすぐ、部屋の窓際で借りていた本を読み始めたのに、気もそぞろもいいところ。

 同じ行を何度も読んでいるとようやく気づき、諦めて眺める空は、アレクセイが贈ってくれた生地を広げたような色。なのに、今の私には綺麗だと感じる余裕はなかった。


(まさか、本当に……?)


 違うと言い切りたくても、あの手紙の内容に私は見覚えがある。

 あの人との離婚を決めるきっかけのひとつとなった、あれに――。


「ただいま、マリーツァ」

「アレクセイ……お帰りなさい、お疲れ様ね」


 ゆっくりとした歩幅で近寄りながら見せる笑顔が、いつもとは違う。

 天秤座ヴァーゲの瞳も決して綺麗ではなく、色の変化というよりは嫌なにごり方。椅子に座っていなければ、私は後ずさっていただろう。


「ごめんね、マリーツァ。今の僕は貴女のアレクセイではなく、国王陛下としてここにいる」

「――!?」


 腕を掴んで立ち上がらされ、顎を捕らえる。

 私が顔をそむけないようにしているのだとしても、こんな態度を取るなんて……。


「手紙のぬしを知っているね?」

「…………」

「僕の国に入り込んだ不穏分子は、早めに取り除かないといけないんだ」

「…………」

「答える気はないのかな。だったら僕から言おう。サミュエル = ベッタリーニ。違う?」


 隠すつもりも、隠せるとも思っていなかった。考える時間がほしかったとも言わない。

 それでもやるせない気持ちもあって、目を閉じ、胸の奥でため息を押し包む。


「……市場での、私の態度で気づいたのね」

「アシュリーもエマも、貴女の態度を怪しんでるよ。貴女は隠し事には向かない性格なんだ」


 アレクセイが取り出した手紙。手渡されて開けば、さっきと文面は変わらない。


「……私が彼に借金があると知ったのは、手紙でだったわ」

督促状とくそくじょうか何かで?」

「いいえ。彼の友人たちからの、忠告の手紙でよ。……あの人、まず身近な友人に借金を願っていたの。金額も少量で付き合いも古いから、みんな一度はお金を貸してくださって……。でも返済期日になっても返すどころか、もう少し貸してほしいと。次こそ、商売を軌道に乗せてみせるからと……」


 二度目の借金の願いも、友人たちはこれが最後ならと貸してくれる人がほとんど。

 サミュエルは横暴な男でも評判の悪い男でもなく、本当に普通の人だっただけに、信用してくれていた。


「にもかかわらず、あの人は……」

「借りた金を返さず、借金を願い続けた。借りた金は商売のためというより、最初の事業に失敗した際に出来た借金の返済にあてた」

「さすがねアレクセイ。そのとおりよ。返すといっても利子を払うのが精一杯で、元からの借金は変わらず……むしろ増える一方だったようね」

「友人の助言は?」

「もちろんあったわ。誰もが一生懸命、説得してくれていたの。昔の君はそんな男ではなかった、と。借金の返済のため、どうするのが一番かを共に考えようとも……」


 結局、そんな助言もサミュエルには届かず。

 友人は全員離れ、何人かは私へ忠告の手紙を送ってくれた。


「君の夫は、商売にはむいていない。今のうちに、君が家を立て直すべきだ。それが無理なら早々に出て行くように、と。……恥ずかしながら、私はその時にようやく自分の夫が借金を負っていると知ったの」

「みんな貴女の味方だったんだね」

「味方というか……私の両親がどういう人たちか知っていたからよ。サミュエルは金貸しに、妻はウィルバーフォースの娘だと言って信用を得ていたそうなの。私に被害が及べば、ウィルバーフォース家の名前に傷がつきかねない。うちほどの商家となれば、取引先にも悪影響が出る。そうなった時の損害は国家にも影響が……そのとおりだとしか言えないわ」


 手紙に視線を落とし、指で文面をなぞる。


「彼から送られてきたという手紙を同封してくれる方もいて……それが、この手紙の内容と似ているの」


 忠告の手紙だけ送られていた時は、私も彼を更生させるべく努めていた。

 きっと私の言葉が届くはずだと、出来る限り彼に接触を試みたのに、最後のほうにもなると帰宅すらしなくなっていて。

 そんな状況を知った友人たちが最後の助言だと、サミュエルからの手紙を同封してくれた。


「ひどく軽い文面。上っ面だけで、まったく誠意も感じられない借金の申し出。こんなものを友人に送っていたのかと愕然がくぜんとして……」


 この人は、楽してお金を儲けようとしている。それは、いつしか犯罪になるかもしれない。

 サミュエルを犯罪者にしたくないと、私はそれまで以上彼に訴えた。夫婦としての関係性を戻したいとかではなく、彼の人間性を守りたかった。


「……結局、口出しは不要と言われて、あとは最初にお話したとおりよ。話は聞いてもらえず、私の両親にまで金銭の打診を願って……。返す気はあるのか聞いたら、私から願えば無償でくれるはずだよ、と……」

「決定打だね」

「ええ。私も、彼のために努めようという気持ちはなくなってしまったわ」


 でも、と続ける。

 これも私の、「そうであってほしい」という僅かな願いとして。


「この手紙だけで、彼とは言い切れないわ」

「庇うんだ」

「……そうね。これは庇うになるのでしょうね。元夫が、友人だけでなく国王陛下にまでこんな手紙一枚で借金を願うなんて、さすがにそこまではしない人だと信じたい気持ちが残っているんだもの」

「僕は、貴女のその考えには賛同出来ない。知らなかっただけで、彼はそういう男だった可能性もある。そうでなくとも、金は人間を狂わせる。元から持っていた物がなくなった時。身の丈以上に欲しいと願った時。人間はね、とても愚かな生き物になるんだ。貴女も大商人の娘として、そういう人間を見る機会もあったんじゃないのかな」

「ええ……」


 何度も見た。お金のせいで、駄目になっていく人間を。

 両親も改心させようと努める人たちで、感謝し立ち直る人も多くいた。

 でもそれ以上、駄目になって行く人たちもいて、サミュエルはその人たちと同じ目になっていた。暗く深く、堕ちてしまった者の目と――。


「明日、もう一度城下町へ行く。貴女も一緒に来るように」

「っ……」

「協力してくれるよね……?」

「はい……アレクセイ陛下」


 ここにいるのが国王陛下としてなら、私もそう答えるしかない。

 アレクセイは目を細め、それでも一度、私の頬を撫でてくれた。

 ひとりきりに戻った部屋で、床に落ちてしまっていた本を拾う。そのまま座るでもなく、ぼんやりと外を眺めてどれぐらい経った頃だろう。エマが、騎士としての厳しい表情で現れた。


「確証はないとお聞きしました。陛下も基本、疑わしきは罰せずの考えをお持ちの方です。今回の件で現状、犯罪が起きているわけでもございません。ですが、犯罪に繋がりかねない案件にも違いありません。相手が善良な市民に詐欺を犯す可能性もありますので、ご理解いただきたく存じます」

「……ええ、承知しているわ」

「では簡単に、明日に関してご説明させていただきます。これまで陛下は、何度も城下町を歩かれました。手紙のぬしも町に滞在しておりますが、その間、手紙を投函するだけで陛下に声をかけてはきません。これはなぜかと話し合い、騎士団員に囲まれている陛下では声をかけづらいからだと結論づけました」

「だから私を連れて行くのね」

「おさといお姉様。明日は、お姉様ひとりで歩いていただきます。ここ数日で、お姉様は陛下の伴侶候補であると誰もが周知するに至りました。それは他国の者も、噂として耳にしているはずです。今から、お姉様がひとりで町を散策するといった噂も流します。陛下と親しい、しかも伴侶となる可能性の高い女性が歩いているとなれば、手紙の主もお願いがあると声をかけてくるでしょう。サミュエル様であれば、それこそ偶然を装って姿を現すに違いありません」

「作戦としては正攻法ね」

「申し訳ございません。まだ伴侶になられているわけでもないのに、初仕事がもしかしたら前夫を捕らえるかもしれない案件で」

「彼であろうとなかろうと、犯罪は未然に防がなくてはならないもの。アレクセイは……陛下は正しい行いをされているわ」


 感謝の気持ちの現れなのか、エマが深々と頭を下げる。


「話は以上となります。陛下は本日、アシュリー様と明日の件を話し合うため、こちらには来られないかと。……おひとりの時間も必要だろうとも、申しておりました」

「ありがとうございますとお伝えして?」

「承知いたしました」


 またひとりに戻ってもため息は出ず、ただ思う。


(どうか、誰も傷つくことがありませんように……)


 それは体も心も。

 罪は罪とし、正しく裁かれますように。

 何より、アレクセイが見せるべきではない姿を見せてしまわないように。

 濁った瞳の色が、完全なる闇色になってしまわないように。

 今の私は願うしか出来ないのがもどかしく、悔しかった。


(それでももし、あなたが間違いそうになったなら)


 私はまた前に出よう。

 例えそれが、振り下ろされる剣の前であろうとも。

 あなたはきっと大丈夫と信じて――。

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