喜びと不安と(アレクセイ視点)

第18話

まるで、夢見たいな時間だった。

 震える彼女を抱きしめる時間も。安心しきって僕に身を委ねてくれる時間も。

 朝露に濡れた梔子くちなしが、彼女の栗色の髪に良く映えていた時間も全部がキラキラとしていて。


(ずっと、この時間が続けばいいのにって何度願ったか……)


 離れがたくとも朝の執務時間は刻々と近づいていたから、最後に一度だけ髪を撫でて部屋を出た。

 身支度を整えて執務室で自分の席に座っても、思い出すのはマリーツァの寝顔。


(可愛かったなあ……)


 穏やかな寝顔は当然のことながら、寝息まで可愛いってずるすぎない?

 あと朝までぐっすりってことは、僕、彼女の役に立てたんだよね? 雷、怖くなかったんだよね?


(……雷が鳴ってなくても、当たり前みたいに僕が隣にいられたらいいのに)


 今回の件で、僕のこと見直してくれてたりしないかな。男らしいとか、少しは感じてくれてないかな。


(うん、まあ……さすがにそれは図々しい考えか)


 怖がられてない、嫌われてもいないって、まずはそこを素直に喜ぼう。

 マリーツァをひとりにさせずに済んだ。穏やかな眠りにつかせてあげられた点を、次の力にしよう。


(アシュリーとエマには、泊まってないって嘘つかないとなんだけどさ)


 だって、絶対色々聞かれるし。

 これは僕だけの秘密に出来ればいいな、なんて――。


「――アレクセイ!」

「はい!」


 自分の世界に浸りきってたら、近くで突然の大声。勢いよく椅子から立ち上がると、アシュリーがこれでもかってほど呆れ返っていた。


「さっきから呼んでるんですが? あと朝の執務、始まりましたが?」

「あ、うん、はい、ごめん」

「では、今朝はこちらからお目通しをお願いいたします」


 いけないいけない。浮かれるのは仕事の時間外だ。今は、目の前の嘆願書に集中しないと。


「こっちが市場ので、これが町外れの。これは城の正門に設置してる投函箱からで、他の場所のも含めて……合わせて20枚ないぐらいかな」

「設置当初と比べて数は減ったよねぇ」

「少ないのはいいことだよ。うちの場合、言いたくても言えないわけじゃないんだ。……で、まずは何から指示を出したらいい?」

「昨日の雷の被害情報、朝一に自衛団から報告来てるんだよね。大きな被害は出てないんだけど、嘆願って形で何件か修理依頼が来てる。倒木で、農場の小屋の一部が壊れたとかそんなんだよ」


 一番上の書類ねと言われ、しっかり目を通す。


「……被害状況と、優先順位は出てるんだね。……うん、この通りでいいよ。ついでに、小屋の貯蔵物に損害が出ているかどうかも確認して。道具類が壊れたっていうなら、新しいのが手に入るまで城の物を貸し出してくれても構わないよ。災害での破損だし、修理費も出すって言っていい。そのぶん、また仕事を頑張ってくれれば充分だ」

「了解。ぅんじゃ、伝達してもらうようにしとく」

「よろしくね。で、次からは普通の嘆願書で……ああ、蜂の被害か。駆除班に連絡して、巣を取り除いてもらおう。怪我人は?」

「今はまだ出ておりません」

「街の医師たちに、被害が出る可能性があるから薬は常備しておくようにと伝えて」

「かしこまりました。城の薬剤師たちにも薬の調合をするよう、伝えさせていただきます」

「いいね、そうして」


 次々と指示を出し、その都度エマに書類を渡す。


「じゃあ、これはこの通りにお願い。次は? もうお終いかな」

「いえ、まだ一通――」


 手にした書類を見て、エマが顔をしかめた。


「問題あり?」

「……借金の申し出です」

「僕宛に?」


 見せてと書類を受け取り、内容を確認する。


「新しくこの国で商売をしたい。必ず儲かる商売で、売上のいくらかは陛下に差し上げるのでぜひパトロンになっていただきたく――……え、これだけ? 他には何もなし?」

「はい。ここ連日、突如として投函されるようになったのです。どんな商売をするかも書かれていない嘆願を陛下に見せる必要はないと処分していたのですが、昨日から一日に何通も投函されるようになりました。なので、こうしてお見せすることにしたのですが……」

「署名はあるよ。ベニー = モンタギュー……僕の記憶にはない名前だね」

「俺も。てことで、調べさせてはいるよ。毎回、城下町の投函箱の、しかも決まった箱に入ってんだよね。だからその箱を監視させて、誰かが投函したらすぐに中身を確認。この手紙の主だったら、後をつけさせる手はずになってる」

「分かった。しっかり所在を確かめて、怪しいとなったら連行を」

「承知いたしました。……小さな詐欺は定期的に起きてしまいますが、これもその一種なのでしょうか」

「うちの国王相手に詐欺って、度胸があるのかよっぽど馬鹿かのどっちかじゃね? 度胸があるほうなら、この文章も実は興味を引くためって考えられる。よっぽど馬鹿の場合は、この国で一番の金持ちだからお願いしてみよーみたいなノリでしょ」

「どちらも面倒かと」

「馬鹿のほうが面倒。馬鹿だけに、こっちの予想以上の馬鹿やらかすしさぁ。ま、何事もないように俺も気をつけとくよ」

「よろしくね。……次は、サイン関係かな。あと今日も、城下町まで出ていい? みんなから直接、雷の影響が出てないか聞きたいんだ。時間、作ってもらえると助かるよ」

「すでに調整済みです。サインが必要な書類もこちらになりますが、先に確認したい案件がございます」

「なんだろう」

「昨晩は、お姉様の客室にお泊りになられたようで」


 ――ゴッ!!


 と鈍い音がしたのは、僕が机に突っ伏す勢いの加減を間違えたせい。

 机の平面にしたたか額を打ち付け痛くても、そのまま動けない。


「ど、どうして知ってるの……」

「夜中、お前の私室を確認したのよ。声かけても返事ないし、あ、泊まったかーと」

「朝練をしていた団員から、陛下が早朝に庭園へ入られ花を持ち帰ったという報告もありました。これまで一度もないことなので、心配してわたくしに報告が」

「ぅんでどうなの?」

「……何が」

「童貞は卒業されましたか」

「されません!!」


 がばっと体を起こし吠えても、目の前のふたりは「なーんだ」といった態度と表情。


「その顔! ていうか、どうしてそんな質問!?」

「大事なことですので、こちらも見て見ぬ振りは出来ないからです」

「つかマリーちゃんの気持ち的にも、ほぼほぼ側室そくしつなり伴侶なり確定じゃね?」

「なんで!?」

「夜に部屋へ招き入れている時点で、普通ならそういうもんでしょ」

「……普段ならそうかもだけど、マリーツァは雷を怖がってたんだ。そこに僕が来たからっていうだけで、深い意味なんてないよ」

「仲良くお話して終わったわけ?」

「……ソファーで寝ちゃって……だからベッドに運んであげて……」

「添い寝もしなかったんだ」

「だからっ! 相手の許可なく出来るわけないでしょう!? 夜中に目が覚めてまだ雷が鳴ってたら怖いだろうって、僕はソファーで休んだよ!」

「ならば、許可なくされたことはございますか」

「…………」

「えっ、何その沈黙。やめてっ、そういうほうが怖い!」

「君が心配するようなことなんてしてない! でもエマごめん! 僕を蹴り飛ばして!」

「陛下のご命令とあれば」

「エマちゃん待った! ためらいなく構えないで! ていうか突然、予想だにしない方向に話が向いた! お前、マリーちゃんに何した!?」

「キス……」

「あ、なんだ。そんぐらいなら――」

「寝てるマリーツァのこめかみに、勝手にした……」

「純情街道まっしぐらにも程がある!!」

「本当は、唇にキスしそうになってたんだよ!」


 いまさら鮮明に蘇って恥ずかしいやら申し訳ないやらで、頭を抱え込む。


「腕の中で寝てくれたのが嬉しくて……少しは僕に気を許してくれてるんだなって。すぐ側に寝顔もあって、まつげが長いとか肌が白いとか、いい匂いがするとか……唇、つやつやだなとか……気づいたら吸い込まれててっ」

「未遂であればよろしいかと」

「未遂とはいえ、しようとした事実は消せないよ。だからエマに、ちゃんと罰してもらわないとっ。君のお姉さんに、僕はなんてことを……!」

「何もしていないのであれば、蹴り飛ばす必要はないのではないでしょうか」

「だから、こめかみに……」

「お休みの挨拶として許容範囲かと」

「でも寝てるんだよ? 起きてる時の挨拶とも違って……あと、恋人同士でもないのに勝手に寝顔とかも見ちゃったし……」

「寝かせつけで、寝顔を見ずに終わらせるほうが難しいのでは」

「紳士たるもの、速やかに部屋を出るほうが正解だったんじゃないかって……」

「それを言い出してしまうと、そもそも論に変わってしまうかと……」

「だよね。でも雷がまだ鳴ってて……」

「――アシュリー様。やはり蹴り飛ばしますか」

「エマちゃんがイラッとしだしたのは、すごーく伝わったんだけどね? さすがにかわいそうなんで、やめたげて」

「しかし話が進みません」

「ぅんじゃ問題っつーか、疑問を解決しとこ。アレク、マリーちゃんは今朝どういう感じだった? ありがとうございましたって、いつもどおり?」

「寝てるの起こしても悪いし、こっそり抜け出したから……」

「庭園ってのは?」

「すごく穏やかな寝顔で……ああ、僕、この寝顔をいつでも見たいなって……」

「で、花なわけか」

梔子くちなしの花言葉がぴったりなんだよ」


 戻った時にまだ寝てくれていて、安堵しながら枕元に置いた。

 甘い香りが、今よりも穏やかな眠りを与えてくれますようにって思いも込めて。

 貴女と一緒に時間を過ごせることは幸せですって……。


「ぅんじゃ、返事が届くかもね」

「え?」

「すでにお前とマリーちゃんの関係性って、庭園でお茶した時とは違ってんだしさ。花言葉ごと花を贈ったなら、何かしらの返事があってもおかしくないでしょ」

「僕、無言で置いてきたんだよ?」

「花言葉を教えた側が、さすがにその状況で花に意味がないなんて普通は思わないでしょ。マリーちゃんも天然な部分はあるけど、そういう鈍さはないはずよ?」

「……どうしよう。マリーツァに次会うの、怖くなってきた」

「そう思うなら、それだけお互いの関係が近づいてる証拠じゃん。相手に気持ちが伝わらないと、ただただ頑張ろうってなるんだけどさ。相手の気持ちが、少しでもこっちに向いてるかもって期待できちゃうと怖いよ」

「……うん」

「だからって逃げててもね。なんて、一度は逃げた俺が言うのもなんだけどさ」

「ううん。アシュリーは、それでもちゃんと向き合ってたよ。だから今、隣にエマがいるんだ」


 エマが嬉しそうにアシュリーの隣に寄り添い、手を握りしめる。アシュリーも嬉しいとエマを見上げていて、いいなって素直に羨ましい。

 羨ましいなら、僕はマリーツァとこういう関係になりたいってことだ。怖がってちゃ駄目ってことだ。


「だよね……」

「なんか決まった?」

「夜、見晴台で星見をしたいって伝えてもらえるかな。マリーツァがどんな表情か、態度か、そういうのをしっかり見たい。今の彼女の感情を少しでも確かめて、今後をもう一度検討したい」

「かしこまりました。……期待させるつもりもございませんが、わたくしの姉はいくら雷が怖くとも、気軽に男性を部屋に入れる女性ではありません」


 頷いて、それ以上、僕は何も言わなかった。

 ただ夜に向けて、黙々と仕事に励んだ。でないと後ろ向きな自分が出てきそうで、あるいは必要以上の期待をしてしまいそうで。

 心がぎゅうっと押しつぶされないよう自分をしっかり保つのに、僕には仕事が一番有効だ。


(色んな経験、僕はしてきたほうだけど……)


 こんな経験は、出来れば貴女としかしたくない。

 まだ諦めたくもない。


(嫌われてないから諦められない)


 貴女は思わせぶりな態度を取る自分を、「ずるくてごめんなさい」と言うだろう。

 でもそのずるさは、決して誰かを負かすためや自分を優位に立たせようとしていないから。

 僕に対して真剣に考えてくれているのが伝わるから、僕もこうして動こうって思えるんだ――。

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