アブソリュート・ブレイドダンス —異能世界と剣の少年—

おとも1895

プロローグ

 夢を見ていた。


 悠久の時間に届きそうな、そんな夢だった。

 星々が天に広がるその大地でそこに立っていたのは少年だけだった。


 山々がはるか遠くに見え、あたりが一面の花々に覆われたその場所は、夜空を映し出しているのに明るく、そして歪だった。

 少年の立つ大地はひとかけらにしか過ぎない。


 桃源郷のようなその場所の空には、お月様の代わりにまた別の世界が浮かび上がっていた。


 そうやって世界は転々と存在する。

 きっと今、そこで見上げている星々もこんな平坦な世界の集まりなのだ。



「ここは……?」

 


 少年はやっと言葉を発することができた。

 こんな場所に自分が立っていることの驚きと、癒しの間を見つけたかのような安心感の狭間からやっと抜け出すことができたのだ。


 少年の声に答えは返ってこなかった。

 代わりに心地よいまでのそよ風が、少年の言葉を遠くまで運んでいく。

 それはさながら姿のない運び屋のように。



「……」

 


 何も返ってこないなら、少年には言葉を発する理由がなくなった。

 何かを知りたい、とそう思ってしまうのが当たり前なのだろうけれども、真実を知ってしまいたくないとそういう感情も少年の中には存在した。


 適当に、一輪の花を摘み取ってみる。

 なんという花かは分からない。

 ただ、丸く白い花弁が六枚ある離弁花であるという事実しか少年の頭にはなかった。


 すぅ、とその花に顔を近づけて空気を吸い込んだ。

 その花独特の匂いどころか、どんな植物からもするであろう植物じみた匂いもしなかった。



(やっぱり夢なのか)

 


 変な方法だが、少年は改めてそう考えた。

 視覚は脳が勝手に見せている状況としても、少年には感覚というやつがきちんとあった。


 歩けば歩いている感覚がするし、手を強めに打ち鳴らしたり自分で自分をつねったりすれば体は痛む。

 ただ、嗅覚は存在していなかった。


 その分だからきっと味覚も。



(聴覚は……なるほど)

 


 自分の出す音以外は聞こえない。

 そよ風が吹いているというのは分かっているのに、そこに草木を揺らす音が混ざらない。

 

 たった一つ聞こえてくるのは自分の出した音だけだった。



「本当にここはどこなんだ?」

 

 もう一度、虚空に向かって少年は問いかける。

 神様に助けてほしいなんて別に思っていないけれども、答えというやつを。


 不可思議な空間に、不可思議な答えを。


 

 ————ジジッ、と景色にノイズが走った。



『————っ!!』

 


 一瞬、少年の耳に何か声が届く。

 何故か懐かしくて、何か聞き覚えのない少女の声が。


 十数年来あっていない大人たちが、同窓会とかで出会った時にはこんな感じなのだろうか。



『夏樹!!』

 


 声がした方向にその声の主はいない。

 さっきも見た通りに一面の花畑と、そして世界の終端を区切るような山々だけであった。


 一段と強い風が吹いた。

 それがすべてを、唯一聞こえる他人の声さえ奪ってしまうようで。



 夏樹は思わず右手をその先へと伸ばした————。


 


 ***




「君は————!」

 


 叫んだ夏樹に集中したのは、複数からの視線だった。

 どうにも授業中に寝落ちしてしまっていたらしいと少年は認識する。


 クスクスという笑い声の中、夏樹は「やっべー、やっちまった」と頭を抱えながら座りなおす。

 寝ぼけて叫ぶとかどこの王道フィクションなんだか、と後ろの席から聞こえてきてカチンときた。



「江藤……。おまえ寝ていたことは許してやるが、授業妨害は許された行為ではないことを知っているな?」

 


 同時に教師様からのお怒りの言葉を頂戴して。


 特に反省の色もなく、夏樹はグデーッと机になだれかかった。

 と、ついでに授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。


 キーンコーンカーンコーン、という古き良きチャイムの音をBGMに夏樹はもう一度睡眠に入る……。



「ちょっとまったぁ!」

 


 前に、脳天にチョップが下された。

 しかも結構強打。



「うわぁ痛い、めっちゃ痛いんだけど!?」


「おい馬鹿友輝。なんでチョップしたほうが痛みを多く感じてるんだよ」


「そりゃぁ、ただただ全力でチョップするっていうのは暴力になっちゃうからね。自分もそれ相応の痛みを請け負うことで、ただの暴力ではなくしているんだよ」


「いや暴力だし。お互いのダメージが痛み分けだったらそれは暴力に入りませんとかそんな定義ないから」

 


 さっきカチンときた後ろの席の男子だった。

 髪の毛の色こそ夏樹に似通っている黒であったがが、目の色は夏樹が赤なのに対して彼は黒。


 名前を九条友輝という。

 夏樹からしてみれば、腐れ縁みたいな関係だし、親友かと言われれば即答でNoを突きつける関係だ。



「こんなのと親友とか思われたくねぇ……」



 というのが本心で。



「ひどくないかな!? 僕は君のことをとぉっても信用できる超親友だと思ってるんだけど」


「うわぁ、胡散くせぇ。というか、ちょっと調べ物するわぁとか言って国家秘密レベルにまで潜り込むことのできる人間なんて親友には入りません!」



「ひどいな!? あれは君のために頑張ってあげただけじゃないか」


「頑張りすぎなんだよ! あれを聞いた瞬間は礼を言おうか迷ったわ!」



 隣国の巡航ミサイルがどうだとか、マフィアの誰々がなんとかとかいう組織によって殺されたとか。



「お前の耳のない場所を知りたい……」


「女子のスカートの中?」


「むしろそこにあったら俺は今すぐお前を警察に連行してたね」

 


 チョップされた方は痛いがうめくほどではなかったらしい。

 満更でもないような顔で、夏樹は飄々と会話を続けた。

 

 教室のドアの開く音がうるさくガラガラガラ、と鳴り響く。



「そういえば、夏樹」



 そんな音に被せるように、あるいは周囲の陰に潜むように少しだけ低くした声で友輝は夏樹の名を呼んだ。

 

 チラリとそちらをみてから、夏樹はふっと笑う。

 そして、おどけてこう言うのだ。



「急に真面目な雰囲気になるのやめてもらえます?」


「なんで会話のキャッチボールの球がウニなのかな。僕はそこが気になるね」


「生き物をキャッチボールに使うのは良くないと思いまーす」

「ダメだ。僕との会話で夏樹は揚げ足を取るスキルがカンストしちゃってる」

 


 ふむ、やはり僕の英才教育は世界一、と友輝。

 多分その後に、下から数えてとつくけどな、と夏樹は答えた。



「でもね、夏樹」

「おん?」



 だがしかしだ。

 夏樹のヘラヘラした態度に、それでも続けて友輝はこういった。



「気がつけないのならそこでおしまいなんだよ?」

 


 意味深なその言葉に夏樹は首を傾げる。

 

 気がつけない? 

 何に? 


 いやはや物語の中の世界ではあるまいし。



「何に気がつけないって?」

「そこを言ってしまったらおしまいだろうさ」



 それもそうだけれど、と夏樹は答える。



「真実を隠すのはお手のものってか?」


「さぁ、何のことだか。っと、神の視点気取りでいられるのなら良かったんだけど……正直これについては流石の僕もお手上げなんだ」



 新聞は、そこで起きたことで明確になったことしか報道しない。

 人間は、言葉を用いてしか正確に意思を伝えることができない。


 故に、なんだかわからないものに遭遇した時、人間はそれを伝える方法を持ち合わせていない。



「少なくとも、ろくなことではないだろうさ」

「そりゃぁ、碌なことだったらお前は反応しないだろうしなぁ」

「それはそうだよ。さっすが、わかってるね」



 日常。

 そうだ、その場所は日常と呼ぶのに最適だった。


 友達とバカ話をして、面白くもない下ネタにゲラゲラ笑って。

 そんないつもの日常というやつに、夏樹は疑問をおぼえるのだ。



「そういえば友輝。今日って、何月何日だったけ?」


「八月二日。今日が夏休み最後の補習の日だろう。昨日あんなに喜んでたじゃないか」

「あぁ、そうだったか」



 記憶に齟齬はなかった。

 確かに昨日寝る前に友輝に喜びの文章を十行ほど送り付けたし、一週間前からこの日のこと日の後の本物の夏休みというやつを楽しむためのプランも頭の中にあった。



(いや、結構きもいな俺)

 


 失笑して。

 それでも。



 ————それでもなにか、忘れちゃいけないことがあったような。

 


 それが何なのか、夏樹にはわからなかった。

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