第46話
テレビニュースを見ている。
性別を変更しなくても同性同士で結婚を認めることが憲法の精神に合致するという判例が地方裁判所で出たそうだ。めでたいニュースだと森崎哉哉からメッセージが来る。哉哉は早く真由美を、法的な根拠をもつ家族にしたいのだろう。
高村家と森崎家の事情を聞かされた警官は頭を抱えた。家庭内のもめごとは民事不介入だそうだ。母さんが振り回した包丁は真由美の腕に一条の切り傷が残した。だが森崎家が『腕を出したらあたっちゃって』と言ったものだから起訴は免れる見込みだ。
母が完治するまで松元真由美──父親が俺と梓の後見をすることを望むと答えた。
「生温いねえ」
美羽はまだ高村の家にいる。
今日が四十九日にあたる。悪霊になるのではないかと心配していたが、この世への未練はだいぶ失ったと本人は言う。
「だあーって。きっぱりはっきりくっきりフラれちゃったんだもん。先輩にすがりついてもむなしいもん」
美羽の霊体は、目を凝らしてかろうじて見えるくらいに薄くなった。
「その代わりに高村家に復讐したい、とかじゃないのか」
「お母さん、充分報いを受けたじゃん」
「梓は?」
「梓ちゃんは……これから苦しむんじゃないの? どうする気?」
「そんなの──」
清水からメッセージが届く。
『---・- -・-・・』
覗き込んだ美羽は霊体をキラキラと輝かせた。
「すき、でしょ。これ、すきって言ってるでしょ。モールスで内緒話しなくていいよ。私もう覚えちゃったん」
「ああ、くそ……っ!」
清水は高村弓弦の中に別人格がいると考えていたらしい。俺が石川美羽の死にショックを受けて、美羽の人格を作り出したではないかと。
誰でも納得できる、順当な考えだと思う。
全人類には最低限の共通のルールがあるが清水によると幽霊の存在を信じるのはボーダーラインらしい。
ところが蝉がモールス信号を出したものだから、天地がひっくり返った気分だったそうだ。
清水はあらましを知ったあとも、他人が見たら誤解しそうなメッセージを寄こしてくる。なぜなのか、自分なりに推理してみた。
天地がひっくり返ったとは言っていたが、まだ半信半疑なのではないかと思う。俺を試しているのだ。また美羽の人格が出てくるだろうと思ってる。
だが俺は二度と美羽に身体を貸さないと決め、美羽にも伝えた。
家族と清水を守りたいからだ。もちろん自分自身も。
清水に本気で迫られたら、断りきれない嫌な予感があるからだ。などとは口が裂けても言えないが。
借り主だった美羽の思考に体が影響を受けているのではないか、と思うことがある。三白眼で方向音痴で友人皆無で想像癖のある変人の清水なんかが、かっこよく思えるときがあるからだ。
だとしたら、これはきっと時間が解決する。
困ったことに、美羽が期待をこめた目で俺を見ている。俺と清水の両方好きだから、好きなふたりがキスしてるとこを堪能したら絶対に成仏できるなどと恐ろしいことを言う。
……ああ、まったく。
「お兄ちゃん。こっちの部屋で寝ていい?」
梓が入ってきた。最近は俺にべったりだ。
「あの話、聞かせて。もう一度」
「ああ、いいぞ。女の子の幽霊の話な」
梓がベッドの上で目を瞑る。その寝物語を聞けば心安らかに眠れるのだ。規則正しい寝息を数えていると、耳元で美羽がささやく。
「洗脳」
「嘘は言ってない。階段から落ちた女の子は、みずから足を滑らせたんだ。そうだろ、美羽。おまえの記憶はまだ欠けているのか?」
「弓弦は覚悟のうえで家族を守る気なんだね、感心感心」
美羽はすっかり記憶を取り戻していた。
あのとき、梓に蹴られたのは間違いない。それ以上に美羽自身は身体を後ろに大きく反らせたのだ。
それには理由があった。幼い頃に殴られたり蹴られたりした虐待の記憶が、あの瞬間、美羽の脳裏をよぎったのだ。
『あの事故は梓のせいではない。なぜなら──』
同じ台詞を何度も梓の心の傷に擦り込んでいく。見て見ぬふりをした母さんを責めてはいけない。すべては不運が重なっただけだと。
ずるい。卑怯だ。醜悪だ。倫理観がない。
ああそうとも。俺は気にしない。大切なものを守るためなら手段は選ばない。恥じることもない。俺はアイドルでもないし模範となる人間でもないんだ。博愛主義者じゃない。正義の人でもない。ただの家族の守護者だ。
「ひらきなおり。うん、事故の原因は私が足を滑らせた事故でいいよ。梓ちゃんが軽く蹴ったなんてうちの家族が知ったら、自分たちの虐待を棚上げにして高村家にたかるだろうから。ああ、気持ち悪い。私は私なりに身内のことを考えているの。殴る親もたかる親も恥ずかしいったらない」
美羽も家族のことを考えているのだ。愛憎相半ばする思いの中で。
「でも清水先輩が好きな人は良識ないのかあ」
「それが俺の正義だ。清水は関係ない」
「清水先輩に返事しないの?」
「どう返事しろってんだよ。からかいやがって」
「探偵倶楽部同好会の学外会員になるって件は?」
「ああ、忘れてた」
清水がやってる探偵の真似事は気になっていた。
夏休み後半に未解決事件の現場に一緒に行ってみようと誘われていた。興味がないといえば嘘になる。
「いまなら副会長じゃん」
「むなしい肩書きだな」
返信をしないでいたら新しい表示が出た。
『僕の助手に常識は必要ない。良識も知能もいらない。僕は運動神経が鈍くて、方向音痴で、日常生活がままならないことがあるのはわかってるだろう。そんな僕をバカみたいに守ってくれればいい。つまりきみの家族の端っこに腰掛けさせてくれ』
「やだ、これって婿入りしたいってことじゃない?」
美羽は小鼻を膨らませ、鼻息を荒げる。
「助手? 清水がほしいのは番犬だろ」
返事は決まった。
『胆試し代わりに行こうぜ』
俺は清水の助手にでもパシリにでも番犬にだってなってやる。ピタリ張りついて、高村家にとって不利なことをおおやけにしないよう、常にそばで見張ってやる。
『ひとつ質問していいか』
『弓弦からの質問ならなんでも答えるよ』
『俺に手を出さないと誓えるか?』
送信したあとに、まんまと挑発に乗っていることに気づいたが、美羽は「きゃあ」などと声をあげたあと姿が消えた。
なんてあっけない。とたん、目頭がじわりと熱くなる。
今初めて知った。美羽は俺にとって間違いなく期間限定の家族だったのだと。
『返信が遅くなってすまない。今後、僕たちが家族になる可能性を考えていた』
『やめろ』
『家族同士でも理解し合うのは難しいよな。君がなにを考えているか、僕は勝手にいろいろと考えすぎてしまうだろうから、その中に答えがあることもあるだろう。弓弦が選べ』
わからないものはわからないでいい。
理解し合えなくても不安にならなくていい。
友人、恋人、助手、番犬。俺が選んでいいのか。いや、選ばなきゃいけないとしたら、もう少し先がいい。
だがひとつだけはっきりとわかっていることがある。
母さんの考える家族の姿と梓が感じている家族の姿、それに俺が思い描く家族の姿は今後同じ形にはならないだろう。
いびつな社会不適合家族。崩壊だけはなんとかは食い止めて見せる。
清水をその中に組み込むのは悪くないかもしれない。
『いま外で蝉が鳴いた』
清水の返信に何かを感じて、指が急く。
『なんて?』
『ミーンミンミーンミンミーン ミーンミーン ミンミンミーン ミンミーンミン ミンミンミン、だってさ』
さようなら。
美羽は最後に清水に別れを告げに行ったようだ。
ぽとりと生暖かい水がスマホの画面に落ちたが、弓弦はいつまでも拭えずにうつむいていた。
*** END
BLまでいかなかったけれど、ブロマンスの始まりで終わりです。
不器用探偵と弱みを握られた助手のビギニングの物語。
まがりもん あかいかかぽ @penguinya
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