CHAPTER4-1 僥倖
タクシーの後部座席に座る筧の前方、
フロントガラス越しに赤い屋根の
瀟洒な一軒家、遠藤家が見えてきた。
さっき島川の店前で受けた電話で聞いた住所を運転手に伝えていた。
始めてだな、あいつん家来るのは。
ったく小洒落た家に住みやがって。
筧は小さく舌打った。
「この辺でいい」
「え?あと少しですけど」
「いいから」
筧は運転手の好意を遮り、遠藤家の
真ん前でなく、その数メートル前で
タクシーを停車させた。
運転手に札を数枚渡してタクシーから降りる。
腹を括る必要が遠藤家までの
数メートルにあった。
人を殺す覚悟が。
一郎に一千万を返さない事より、
梶谷に四千万を返さない方がヤバい。
そんな事は明白だった。
「・・・・山ん中に埋められるよりはマシか」
筧は邪な思いを胸に秘めると、
上着のポケットから常備している
手のひらサイズのポケットナイフを取り出し、
見つめた。
同時にブレーキともいえる感情が
筧に芽生えた。
殺しなんかやって、無事で済むのか?
そこにいた身だからこそ分かる。
日本の警察を舐めちゃいけない。
殺るならもっと計画的にしないと。
殺して金を奪う。その際、相手に騒がれて近隣に気付かれるのを避けるのには事前に
練るべきことがある。
事を済ませた後、何処へ逃げる?逃走手段は?
その根回しも出来ていない。
そんな犯罪が上手く行く筈がない。
これからやろうとする事、その成功を確信させる
要素は今の筧には皆無だった。
だがー
ー迷ってる時間はない。これしかない。
賭けるしか。
半ばヤケクソだった。筧はいよいよ一縷の望みを頼りに腹を括り、
ナイフを握ったままの手をポケットに
突っ込むと、遠藤家の玄関に向けて歩き出した。
チャイムを鳴らす。
嫁もいるのだろうか?息子がいるって
以前言ってたな。いずれにしろ、まずは一郎だ。
その後で母子も。
一気に殺って家にあるカードや現金、
金目のモノを奪う。
死体は、数日見つからない様に家の
どこかに隠す。
島川と合流し、出来るだけ遠くへー
ー稚拙だった。テンパっているのが
自分で痛いほど分かる。
チャイムを鳴らした事を後悔した時、
ドアが開くと同時に一郎が顔を出した。
!!・・・・行くぞ。
筧はポケットの中で握ったナイフに
力を込めた。
ーが、
「筧、よく来てくれた!」
一郎の言葉に、筧は少し呆気に取られた。
どう見ても、歓迎されている。
金の催促じゃないのか?
「お、おお」
筧は取り急ぎ、無難な返事をした。
「早く入ってくれ」
一郎は、急かす様に中に入る事を促した。
「一郎」
「ん?」
「・・・・お金の事じゃないのか?」
「ああ、今日は違う。だが、お前には
協力する義理がある筈だ」
「あ?」
筧は訳がわからなかったが、
ポケットの中のナイフを握るのをやめた。
一郎は、筧を伴いリビングに戻ると
美波を呼び寄せた。
「筧だ」
筧は小さく頭を下げる。
「筧です。初めまして」
「はじめまして。妻の美波です」
美波もお辞儀を返す。
「警察にいらっしゃったんですか?」
「ヤクザ相手の部署にいたんだよな」
心強い味方を得た、そんな感じで得意げに
一郎が言った。
「ああ。お陰でこの様です」
そう言うと、筧は右足を引き摺って見せた。
「怪我、ですか?」
美波が聞いていいモノか、戸惑いながら
聞いた。
「ええ。チンピラに撃たれちまいましてね。
警察(カイシャ)からお役御免に
なっちまいまして」
美波は聞かなきゃよかった、といった風情で
顔を伏せた。
「今は興信所やってんだよな?」
「興信所?ってー」
美波が再び顔を上げる。
「いわゆる探偵ってヤツです。といっても、
依頼といえば浮気調査とかそんなの
ばかりですが」
「すみません、私たち家族の事に
巻き込んでしまって」
美波はうやうやしく頭を下げた。
「こいつはいいんだよ」
一郎が言った。
「え?」
美波は夫の言葉の意味が分からず、筧に目を
やると、筧の目は怒っている様に見えた。
「とにかく、これを見てくれ」
一郎は、そんな筧の様子に気付かず、
メモを差し出した。
それを受け取り、メモに目を通した
筧の目が少し大きくなる。
「・・・・警察へは?」
筧は高揚を抑える様に言った。
「もちろんしてない。だからお前を呼んだんだ」
一郎が言った。
「警察にいた俺が言うのもなんだが、
それが賢明だな」
「お前が犯人を捕まえてくれ。こんな
薄汚い奴には一銭たりとも渡したくないんだ」
「ホシの見当は?」
「ホシ?ああ、犯人か。まったく思い当たらない。
まあ、社長業なんてやってるから
どこで誰に恨み買ってるかわからんがな」
そう言うと、一郎は着信履歴が表示された
スマホを筧に差し出した。
「この番号から追えないか?」
「どうせ、トバシの携帯だ」
そう言うと筧はスマホを一郎に返した。
「トバシ?」
「闇ルートで流通してる、ヤクザたちが
使うモノだ。それを追っても使ってる本人には
辿り着かない」
「そうか」
「とにかく、お金を用意しないとな」
「明日の朝、犯人からまた電話がくる。
そしたら金を下ろしに行くよう言われた」
「なら、今夜は出来る事はないな」
そう言うと、筧はメモに改めて
目を落としす。
五千万円の文字に心奪われていた。
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