三十七、論理くん、私の恥ずかしい思い出話を聞き逃す
日曜日。今日は、空は晴れているけれど結構涼しくて肌寒いくらい。せっかく銀水に行くんだから、前に行ったときと同じ格好をして行くことにした。Baby, the Stars Shine Brightのブラウスとスカート。でも、今日は少し寒いので、その上にカーディガンを羽織った。待ち合わせ場所の尾風駅に行くと、切符売り場の前に、論理一人だけがいた。
「おはよう、文香」
「おはよう、論理」
論理は、素早く私の後ろに回り込むと、両手で私の胸を抱いた。
「Baby着てきてくれたんだね。嬉しいよ」
論理はそう囁いて、昨日剃ったばかりの私のうなじにキスをし、舐めた。
「ちょっと…こんなところで!みんな見てるでしょ…」
「そんなことは関係ない。文香っ!」
その腕に、一層力がこもる。
「もぉ、…論理」
「愛してるよ」
「愛してるよ」
「大好きだよ」
「大好きだよ」
「ずっと一緒だよ」
「ずっ…」
「はいはーい!おふたりさーん!そっこまでだよーん!」
優衣の、頓狂な声が聞こえて、私は勢いよく顔を上げた。見ると、優衣と沢田くんが目の前にいる。私は、すぐさま論理から離れようとしたけれど、論理は離してくれない。
「こら!論理!こんなところでなにやってるの!離れなさい!しっしっ!」
「論理も相変わらずだな。マイペースというか、場所を認識しないというか…」
二人にそう言われて、論理は渋々私を離してくれた。
「じゃ、じゃあ、切符買おうか!」
私は一人歩き出した。
指定された、香歌行きの特急電車に、私たちは向かい合わせで四人座った。電車はまもなく動き出した。しばらく走ったあと、優衣が口を開いた。
「ぶんちゃんの今日の服かわいいね!どこのブランド?」
「Baby, the Stars Shine Brightっていうブランドだよ。おばあちゃんに買ってもらったんだ」
「へ〜、Baby, the Stars Shine Bright?長い名前ね。聞いたことないわ」
「略して、『Baby』って言うらしいよ。そうなんでしょ、論理」
「うん。やっぱりBabyは、あふれるフリルと愛らしいヨークが魅力的だよね。少女っぽさというか、清楚で華やかな一着だと思う。文香の少女性をこの上なく演出していると言っていい」
論理は、饒舌に語ってくれた。もう、論理ったら…嬉し恥ずかしだよ〜。しかし、前の二人は、ポカンと口を開けたまま引いていた。
「しょ、少女性、ですか…。てか論理が女の子の服を詳しく語るなんて…キモいんですけど…」
眉をひそめる優衣の隣で、沢田くんが面白そうに笑っている。
「ははは!論理ってそんな趣味あったんだな。いろんなところで、人とは違うやつだぜ」
「論理がこういう服好きだって言うから、またおばあちゃんに頼んで買ってもらっちゃおーっと」
「今度は背中ファスナーのワンピースでしょ?あ、背ボタンのブラウスでもいいか」
「え、向坂さん、どうしてそれ知ってるの?」
「ふっふっふ!この優衣様の情報収集能力を甘く見ちゃいけないよ!でもさ、どうして論理、背中ファスナーや背ボタンが好きなの?」
あ、そういえばそれ、私も知らない。
「文香が呼吸をするときに、動くのは主にお腹だけど、わずかだけど背中や肩も動く。その息遣いが、ファスナーや、ボタンの動きになって現れる。そんな動きを見ていると、文香への愛が一層沸き起こってくるんだ」
論理は、熱っぽく語った。そう語る論理は、いつもの胸式呼吸。「はああっ」と目立つブレスで素早く息を吸うごとに、胸がふくらんで肩が上がる。そんな論理の呼吸が愛しい…。その呼吸が、こうして愛を紡いでくれる。論理にここまで愛されて、私は幸せだわ…。でも、やっぱり前の二人は、言葉を失っている。
「論理の言うことやることは、時々わけがわからねー」
「つまり?論理は…呼吸フェチってこと?キモっ!そんなの聞いたことないわ!」
「そう言われるのももっともだと思う。文香の呼吸に、すごく感じる」
そう聞いた優衣は、論理に向かって大きく口を開くと、深く一度息を吸った。
「ねぇ、論理、私ので感じないの?」
いたずらっぽく微笑む優衣。ちょ!優衣ったら〜!
「いや、まったく。俺が感じる呼吸は、文香の呼吸だけだ」
論理は毅然として言い切った。論理…。私は照れてしまい、口元がにやけそうになるのを抑えきれなかった。
「はいはい。ごちそうさまー」
優衣は呆れたように、でもどこか楽しそうに言う。沢田くんもニヤニヤと笑っている。そういえば、沢田くんは何かフェチとかないのかな?
「ねぇ、沢田くんは何フェチなの?」
「お、俺か?」
突然私にそう聞かれた沢田くんは、口元を緩ませた。
「俺は…おっぱいフェチだな。ほんとは大きいのが好みなんだが…」
優衣の胸元を見る沢田くん。
「義久っ!ど、どうせ私は胸が小さいわよっ!」
優衣は、プンッと沢田くんから顔を背けてしまう。その頭を、沢田くんはポンポンと撫でた。
「優衣のは、形がいいんだよ。おっぱいは大きさも重要だが、その前に形がよくなけりゃ意味がねぇ。形がよくて、乳首がピンク色で上向きの優衣のおっぱいには、そそるもんがあるぜ。あとは、感度も大切なんだ。優衣は感度抜群で俺が触ると色っぽい声を…」
バシン!沢田くんの頬を優衣の平手が打った。
「黙りなさいこのスケベ!いつもいつも無神経なことばっかり言って!」
「何が無神経だよ、俺は褒めてるんだぜ?」
優衣は、顔を真っ赤にしながら怒っていたけれど、内心嬉しそうだった。
「まあまあ二人とも。仲良きことは美しいことじゃないですか」
私は、この二人が恋人どうしになってよかったと、微笑ましくなった。
それから電車は、撫仏の駅に着いた。論理と私のファーストキスは、撫仏の駅を過ぎたときだった。そのときのことを思い出して、私は体が熱くなった。論理、覚えてくれてるかな。と、論理が私の手を握ってくれる。電車は、撫仏の駅を出発し、走り出す。
「文香、覚えているか?俺たちのファーストキス。ちょうどこの辺りだったよな」
論理!覚えてくれてたんだ…。
「うん、もちろんだよ。私たちの思い出の場所だよね」
握りしめた手に、一層力がこもる。
「うへ!そんなエピソードがあったの?ていうかさ、電車の中でやったわけ?ここでもあそこでも勇者だね!」
「お前らやっぱやることが違うわー。俺たちのファーストキスは、無難に家の中だったぜ」
優衣と沢田くんは、面白そうに驚いていた。
「おい」
突然、隣の席から声がかかる。驚いて見ると、そこには、あの人が…!
「あ、あのときの会社員の人!」
「おぅ、覚えてくれていたのか、光栄だな」
あのファーストキスのときに、ずっと論理と私を見ていた会社員風の人が話しかけてきた。他の三人は、状況がわからずポカンとしている。
「誰この人?知り合い?」
優衣が私に尋ねる。
「あ、この人はね、えっと、ファーストキスのときに論理と私のこと見ていた人で…知り合いじゃないんだけど…」
「なに?見ていただと?文香、それどういうことだ」
論理は気色ばむ。
「えっと…この人、私たちのファーストキスのときも見てたし、そのときの台詞もずっと聞いてたんだよ。論理は話すのに夢中でこの人のことが見えてなかったんだと思う」
「なんだと?悪趣味なやつもいたもんだ。人のラブシーンをこっそり観賞するとはな!」
論理は、会社員を睨みつける。
「まあまあ、僕だってわざと観賞したくてしたわけじゃない。とはいえ、面白い見ものだったぞ。あのお前たちが今も続いているのは、僕としても嬉しいな、あんな熱い台詞を長々としゃべるやつらは、長持ちしないもんだからな」
「なにをっ‼︎」
論理が席を立ちかける。それをなだめる私。
「どんな台詞を言ったんですか?」
沢田くんが、会社員に聞く。
「いろんなクサイ台詞を言っていたが、特に僕はこの台詞が好きだな。『池田さん、俺を、吸い込んでくれ!』」
それを聞いた優衣と沢田くんが、ぷっ、と吹き出す。私も少しにやける。論理がそう言ってくれたあとに、私たちはキスしたんだよね。
「あはははは!呼吸フェチの論理らしいよ!でも、吸い込んでくれって…あはは、笑える〜!」
優衣はツボに入ってしまったらしく、笑っている。
「優衣、あんま笑うなって、論理は真剣だったんだろう、ほら、論理真っ赤になってるぞ」
そう言う沢田くんも、笑いを堪えられないみたい。
「でも、私は嬉しかったんだよ。本当に吸い込んであげたい気持ちだったんだよ」
「じゃあ、吸い込んでみろって」
その会社員の一言で、またみんなはゲラゲラと笑う。それから、会社員が紅峠で降りて行くまで、赤くなった論理を除いて、私たちは面白おかしく話していた。紅峠から銀水までは、真っ赤になった論理をなだめて、みんなでおもしろいユーチューブを見た。
銀水の図書館に着いた。図書館は相変わらず学校の図書館のようで、木造で古びていた。私たちはその中に入って、勉強を始めた。一時間くらい勉強したあと、ふいに沢田くんが口を開いた。
「なぁ、俺たちさ、不思議な縁で結ばれたよな。だって、一年生のときはあまり話したことなかったんだぜ。それが今ではこんなに仲良くなれたじゃねーか。どうなるかわからねーもんだな」
「沢田の言う通りだ。まさか文香とこういう関係になれるとは思わなかったし、沢田や向坂さんとも仲良くなれるとは思わなかった」
「ほんとにそーよね。私、二年の最初の頃まで論理のこと大っ嫌いだったんだもん。なんか変な感じだけど、よかったよね」
三人は、感慨深げに語り合った。優衣と私は小学校の頃から親友だったけど、論理とは恋人どうしになれたし、沢田くんともこんなに仲良くなれるなんて思ってなかった。本当に、縁って不思議だなぁ。
「ねぇ、私たちの出逢いってさ、星と同じ数の巡り逢いの中で、気がつけば一緒にいたんだよね。それってもう、奇跡だよね」
私は、胸の中に込み上げるものがあって、柄にもなく熱く語る。三人とも、私の言葉を、少し目を潤ませて聞いていてくれる。私は胸のたぎりを感じつつ、大きく口を開いて、お腹に「すはあああっ」と(私独特のブレス音、論理くん萌えてくれるよね)息を吸い込むと、更に語る。
「私たちの出逢いは、きっと、神様が導いてくれたんだよ。きっと私たちはこれからもずっと、神様のもとで一緒に生きるんだし、私たちが死んじゃってからも、天国で私たち四人はずっと一緒にいられるんだと思う。まさに、神様に導かれた奇跡だよね。私たち、奇跡の中でずっと一緒だよ。卒業してからも、大人になってからも、私たち…」
「おい、そこ、図書館だぞ」
注意された私は、ハッと我に帰る。あ、嫌だ私、熱く語り過ぎちゃった。謝らなくちゃ。声のしたほうを振り向くと──。
「坂口ぃっ‼︎なんでお前ここに!」
論理が叫ぶ。そこにいたのは、正真正銘の坂口くんだった。
「だから図書館だぞと言っただろ、あまり大きい声を出すな」
「さ、坂口くん…なんでいるの?」
私は、狼狽えを隠せずに坂口くんに尋ねた。
「この図書館の近くに、ばあちゃん家があるんだ。明日からテスト期間だろ?だから、帰りがてらここに勉強しに来ていた」
「まったく、いつもいつも。俺たちのあとを付けてくるかのようにひょいひょい現れるやつだ」
「そうだな、論理。きっと神様に導かれた奇跡なんじゃないか?なぁ、文香」
聞かれてたんだ!私は、真っ赤になって坂口くんから目を逸らした。
「ねぇねぇ、坂口くんがいるんだったらさ、勉強教えてもらおうよ!坂口くん頭いいでしょ!」
優衣がそう提案すると、あからさまに嫌な顔をする論理を尻目に、坂口くんは快く承諾してくれる。
「ああ、いいよ。みんなの助けになれるかわからないが、手伝わせてもらえれば嬉しい」
こうして五人で勉強をすることになった。坂口くんが丁寧に教えてくれたお陰で、効率が上がって、明日からのテストの準備は万端になった。
図書館を終え、私たちは五人で銀水の駅まで帰ってきた。少しお腹も空いたので、あのときのお蕎麦屋さんにもう一度行った。みんなでお蕎麦を食べていると、パブロフの犬のように、あのときのことを思い出して、体が熱くなってきた。みんなで食べてるのに、なに熱くなってるの私!
「文香、今日はもみあげ剃ってきてくれてるんだね」
論理は、と言うが早いか、髪を耳に引っ掛けて丸見えになっている私のもみあげを、指で触れた。
「ああうっ!」
論理…急に触らないでよぉ…熱いよぉ…。
「ぶんちゃん、なに変な声出してんの?」
優衣も、みんなも、私を見てる…あうぅ…。
「あ、いや、ちょ、ちょっと、ね…」
なんとかその場をごまかしたけれど、私は息が上がってきてしまう。その様子を見せまいと、私はお蕎麦を勢いよくかきこんだ。
「うっ!げほっ!げほっ、ごほっ!」
むせてしまった。
「ぶんちゃんそんなにお腹空いてたの?むせるまでかきこんで」
また、優衣も、みんなも、私を見てる…あうぅ…私、空回りしてる…。ふと、カウンターの向こうを見ると、見覚えのある店員さんが、こちらをニヤニヤしながら見ていた。
「論理ぃ…」
私は、小さくつぶやいた。あのとき、もみあげや耳に触れてくれた論理の指の感触が蘇る。ここで私たちはキスしたんだっけ…。あの、体の熱さ、むらむらと突き上がってくるもの、みんな、ついさっき体験したものみたいに生々しい。
「そろそろ行こうか」
みんなお蕎麦を食べ終わったみたいなので、坂口くんに促されて、私たちはホームへ向かう。
「すまん、俺、ちょっと用足してくる」
論理はそう言って、あのトイレに入っていった。なんだかくらくらする。そんな私を、優衣が意味ありげに笑いながら見ていた。
「ぶんちゃん、お蕎麦屋さんのあとのトイレだよね!どうする?今も行きたいかい?」
「あうぅ…もう…優衣ったら…」
困っている私を、優衣は面白おかしく肘で突く。
「お蕎麦屋さんのあとのトイレ?なんだそれ?」
沢田くんが、不思議そうに優衣に尋ねた。
「あのねー、実は、ぶんちゃんったら、そこのトイレで…」
「ちょ!ちょっと優衣!」
「いいじゃない、本人は今いないんだし、ぶっちゃけちゃえ!」
そんなこと言われてもぉ…。でも、体も、おまんこも熱いから、その熱さに突き動かされて、言葉が出てきそうになる。
「それは気になるな。文香、聞かせてくれないか」
坂口くんがそう言うなら…!いや、でもそれどこか違うような気もするけど…でもいい!私話しちゃう!
「えっと…前に論理とここへ来たとき、私、なんだかずっと体が熱くておかしかったの。それで、今のお蕎麦屋さんでそれが最高潮になって、そこのトイレに入ったときに、その…ショーツが濡れてたの。おかしいなって思って、えっと…触ってみたら、えっと…その…どんどん感じてきて…あの…うぅ…い…いっちゃったの…」
あああああ!言っちゃった!体が火だるまになったように熱い!優衣は、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、ひっひっひと笑っている。沢田くんは、池田でもそんなことするのかよ、と言ったような顔で私を見つめている。坂口くんは、腕を組みながら、寂しそうに遠くを見つめていた。
「へっへっへ!やったね!トイレのお姫様!」
「何がお姫様だよぉ!あうー!」
優衣を羽交い締めにしようとしたけれど、優衣はそれをするりと抜けてしまう。私と優衣は、追いかけっこするような形になった。
「悪い、待たせた」
論理が帰ってくる。私たち四人は凍りついた。
「あ、ああ、論理、帰って来たの?長かったわね、あははは」
優衣がわざとらしく笑う。でも、そのあとに誰も口を開くことはなく、不自然な沈黙が流れてしまう。
「え?お前らどうした?」
「い、いや、なんでもねぇ。さ、行こうぜ!」
沢田くんが、論理と肩を組んで、歩き出す。優衣と私もそのあとに続いた。論理の頭の上には、大きなハテナが浮かんでいるけれど、まぁいいよね。
「俺の恋も、慢性疾患だな…」
後ろを歩いている坂口くんが、ため息混じりに小さくつぶやいた。坂口くん…熱さに任せてあんなことしゃべっちゃったけど…ごめん…。それからあとは、特急電車に乗って尾風に帰った。尾風駅の前で、私たちはそれぞれに解散し、家路についた。
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