第13話
「縹様に会わせて頂けませんか」
閉められたカーテンの向こうから朝日が漏れ出て、小鳥の囀る声がきこえてきた。座ってぼんやりと虚空を見つめていたらしいミナミが、その声に緩慢にベッドへと振り向いた。たまかは布団から上体だけあげた状態のまま、じっとミナミを見つめた。その顔は真剣だった。
「……うん?」
徹夜だったのだろう、ミナミは昨夜より幾分と反応が鈍かった。部屋の明かりは窓から漏れる朝日のみで、部屋は全体的に薄暗かった。
「縹様に会って、話がしたいのです。出来ませんか」
たまかは繰り返した。真面目な顔で、ミナミの双眸へと訴える。
「縹様は、てめえのような奴がおいそれと会えるような方ではない」
「昨日は特別だったんだ」、そう言って、ミナミは立ち上がった。窓際へと近づき、黒いカーテンを勢いよく開ける。眩しい光が部屋を支配して、たまかは思わず手を翳した。
「起きたんなら飯にするぞ」
ミナミは返事を待たず、キッチンへと向かった。たまかはベッドを抜け、その後をついていく。
「どうしても『ブルー』を出る前に、話がしたいんです」
「何をきくんだ? 昨日あっしにきいたようなことか?」
「はい」
「そんなのきいたって無駄だろ。てめえが引き渡されることは変わらない」
ミナミは食パンをトースターへと突っ込んだ。セットを終えると、鈍い音がジジジ……ときこえてきた。
「それでもききたいのです」
ミナミはちらりとたまかを一瞥した。たまかの真剣な顔に思う所があったのか、盛大なため息を漏らす。
「……強情だね。よくわからんとこで」
ミナミはたまかを除けるように手で押して、冷蔵庫へと向かった。中から小さいヨーグルトの容器とマーガリン、お茶のペットボトルを取り出してミニテーブルへと運ぶ。たまかはそれを突っ立って眺めた。それから水切り籠に置いてあるコップを二つ持ち、その後を追いかける。ペットボトルのキャップを開けるミナミへとコップを差し出すと、とくとくと音を立ててお茶が注がれていった。
「少しだけでもいいんです」
「……」
ミナミがペットボトルの傾きを整えたときには、コップに並々とお茶が揺蕩っていた。零れそうなそれに見向きもせず、たまかは真っ直ぐとミナミを見つめ続けた。
「ここは『ブルー』だ」
ミナミはキャップを閉め終えると、たまかを見つめ返した。
「何か希望があるなら、力尽くですればいい」
「……力尽く?」
チーン、とキッチンから音が鳴った。パンの焼ける、香ばしい匂いが辺りに漂う。
ミナミは何も答えずに、トースターへとパンを取り出しに向かった。たまかは一度目をこすり、並々とお茶の入ったコップを見下ろした。
(……非力な私では暴れられないからこそ、お願いしてみたのですがね……)
窓を見ると、街に朝の光が当たって、大きな影を作っていた。地上まで高さがあるせいか、なんだか神々しく感じられた。
(力尽く……、力尽く……)
遠くに見えるビルの数々をぼんやりと眺めながら、何かないかと頭を回転させる。そうしていると、香ばしい匂いと共に、ミナミがパンを皿に乗せて運んできた。一つをたまかの前に置き、もう一つを自分の前に置く。座り込むと、挨拶もなしにパンに口をつけた。
「力尽くなんて無理ですが、一つ思い出したことがあります」
ミナミは咀嚼しながら横を向いた。たまかはマーガリンの蓋をあけた。
「私、縹様にまだ話していない、重大なことがありました」
「……それなら、あっしがきく」
「駄目です。縹様じゃなきゃ、話せません」
バターナイフを滑らせると、雪だるまのようにくるくるとマーガリンが集まった。ミナミが、その顔に珍しく不快感を貼り付けた。目を細め、たまかを睨み付ける。
「あっしに言えないとでも?」
「はい、残念ながら。……殴りますか? 私は別に構いません」
パンの上に、マーガリンを滑らせる。塊はすぐに溶けて、透明になっていった。
「……殴れないこと、知ってるだろ。縹様の命令なんだから」
「でしょうね。これが私なりの力尽くです。どうですか」
たまかはバターナイフを皿に置きながら、なるべく不遜に見えるよう笑ってみせた。
「腹が立つな」
ミナミはそう感想を零すと、再びパンに齧りついた。咀嚼するミナミの横で、たまかは手を合わせた。
「頂きます」
パンに齧りつくと、サクッという音ともに、香ばしい小麦の味が広がった。マーガリンが口の中でこってりと合わさって、塩味が顔を出す。
しばらく二人で咀嚼していると、ミナミがヨーグルトへと手を伸ばした。皿の上は、空になっていた。
「……一応縹様には話してみるが、実際に話が出来るかは知らんぞ」
「! ありがとうございます」
たまかは口元に笑みを浮かべた。その顔を横目で見て、ミナミは苦笑を漏らした。スプーンへと伸ばしかけていた手を引っ込め、たまかの口元へと近づける。
「パンくずついてる」
乱暴に拭われ、たまかは顔を顰めた。
「痛……」
「縹様は忙しいお方だからな。てめえなんかにかける時間は本来ない。迷惑をかけないように」
言いたいことは言ったとばかりにスプーンを取ると、ヨーグルトを掻っ込む。たまかも口を閉じ、再びパンに口をつけた。
とりあえず、水面への取り次ぎを頼むことには成功した。実際に話せるかはわからないが、泣き寝入りせずに行動に移せた分、自分を褒めるべきだろう。
(あとはまあ、水面さん次第ですね)
たまかと話し合う気になってくれるだろうか。『ブルー』にほしい人材だと買ってくれてはいたが、結局のところ、今の水面にとってたまかは『取引先に引き渡す品物』に過ぎない。宅配会社の倉庫に置かれているダンボール箱のようなものだ。傷をつけないよう注意はするだろうが、特別目をかける義理も存在しない。
(ミナミさんには感謝しないと)
そんな状況で、傷一つつけずに部屋に泊めてくれた挙句、本来なら突っぱねられかねないお願いまできいてくれた。水面との接触がどうなるかはまだわからないが、たまかはミナミへと柔らかい笑みを浮かべた。
「『ブルー』で過ごした時間は、ミナミさんのお陰で快適でした。ありがとうございます」
ミナミは虚を衝かれたように目を瞬かせた。
「そうかい。……前も言ったけど、それは縹様にして貰ったことをしただけだからな」
「『だから縹様のお陰』、ですよね。わかっています」
漸くパンを食べ終えたたまかは、空の皿を見下ろした。
「それでも礼をさせてください。……ちなみに、ミナミさんから見て、縹様は私に会ってくれると思いますか?」
「……」
ミナミはお茶を飲み干した。空になったコップを、ミニテーブルに音を立てて叩き付ける。少し間を置いて、言いにくそうに口を開いた。
「……九割、お会いになるだろう」
***
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