第12話
夜ご飯を終え、二人は部屋の中でぼんやりと過ごしていた。二人とも無言だったが、お互いに無理に話題を探そうともしなかった。静寂の中、時計の針の音だけが小さく規則的に響いていた。針は、深夜一時を指していた。
突然バタンという音がしたかと思うと、どたどたと廊下を歩く音が騒がしくきこえてきた。たまかはびくりと身体を跳ね、何事かと振り向いた。廊下から人影が出てくる。部屋の明かりに照らされた人物は、くるくると毛先の巻かれた黒いサイドテールを揺らし、制服から伸びた細長い手足を動かしていた。部屋に入った途端足を止め、少女は胸を張った。彼女の身体の至る所に煤や土がつき、さらにそれ以上に血がべっとりとついていた。
「ソ、ソラさん?」
たまかが驚いて彼女の名前を呼ぶ横で、ミナミは慣れたようにソラを見上げただけだった。
「何かあったんですか?」
格好からしても、戦いの後なのは間違いないだろう。さらに玄関のチャイムもノックもなく他の部屋に上がりこむなど、きっと非常事態だ。そう思って身構えたたまかへ、ソラは一言、短く答えた。
「プリン」
「……え?」
「プリンがあるってきいたからきた」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしたたまかの横で、ミナミは「おう」と答えて立ち上がる。ゆっくりとした足取りで、冷蔵庫へと向かっていった。その背中を見送り、たまかは呆れ顔を浮かべた。
(『ブルー』にはチャイムを鳴らすとかノックをするとかの概念がないんですかね……)
たまかはため息をつくのを堪え、ソラを見上げた。真面目な顔をつくり、素早く立ち上がる。ソラの方が背が高く、見上げることになるのは変わらなかった。
「プリンの前に、まずは治療をするべきだと思います。……その血、抗争でもしてきたんですか? 診せてください」
有無を言わせずソラの手を取り、矯めつ眇めつ観察する。血だらけだが傷口が何処にも見当たらず、たまかは顔を顰めた。
「いらないよ。怪我なんてしてないもの。これは全部返り血」
ソラの言葉通りだった。どこも血はついているのに、かすり傷や打撲痕ばかりで深い切り傷は見つけられない。小さい切り傷はいくつかあったが、どれも緊急性はないようだった。確認を終えたたまかが手を離すと、ソラは血がつくのも構わずにその場にどかりと座り込んだ。たまかもその横に座ると、ミナミが三つのプリンを持って戻ってきた。
ミニテーブルに、『水波』『青空』『たまか』と書かれたプリンが三つ、仲良く並んだ。横に置かれたスプーンをとり、たまかは自分の名前の書かれた蓋を開けた。濃い黄色が艶めいて、食欲を誘った。
「頂きます」
たまかは小さく呟いて、スプーンで掬ったぷるぷるの塊を口にいれた。柔らかさに歯を突き立てると、甘さが舌を支配する。……美味しい。とても良く冷えていた。
「相手は『レッド』?」
ミナミもプリンを頬張りながら、ソラへと尋ねた。ソラはプリンを搔っ込みながら、首を横に振った。その食いつきようから、プリンを食べるのを割と楽しみにしていたようだった。
「いんや、『ラビット』」
それからソラは、その顔を憎々し気に歪めた。思い出したくもない、とでもいうかのようだった。
「……あいつら、わざわざウシオの死体を持ってきて、ご丁寧に目の前で首を切り落としてくれたよ」
「……ひっ?」
たまかは思わず小さく悲鳴をあげた。ミナミは理解出来ない、と眉を顰めた。
「ウシオ? ……ウシオって、確か『レッド』に殺されたんじゃ?」
「ああ。恐らく『レッド』から買い上げたんだろう。わざわざ私らに見せつけるためだけに」
あいつら、それはもう楽しそうだったよ。
ソラはそう付け足して、スプーンを口にいれた。たまかはスプーンで掬った小さい塊を、なかなか口に運ぶことが出来ず、じっと見つめるばかりだった。思わず想像してしまった凄惨な光景を振り払おうとするが、すればするほど頭を離れなかった。
「私、頭来ちゃってさ。『ラビット』の奴を一人掴んで、思いっきり壁に打ち付けてやったの。んで、ドスで首を切ってやったんだけどさ……」
そこでソラは一旦話を切り、プリンを口にいれて咀嚼した。たまかはプリンを乗せたスプーンを、黙って容器へと戻した。ソラはプリンを飲み込むと、スプーンを動かしながら再び口を開いた。
「『ラビット』の奴、仲間が目の前で殺されたっていうのに爆笑し出してさ。一体何が面白いんだか。本当、『ラビット』の連中は訳がわからないよ……とても正気とは思えない」
「あいつらが正気だったことがあったか?」
「ないね。……いつも通りだね、まあ」
ソラはスプーンを置いて肩を竦めた。容器の中は、カラメルが一滴残っているだけだった。
「弱っちいくせに調子乗ってるわ、本当。……思い出したらムカついてきた。はあ~、カイでも鍛えてこようかな……」
「やめろ。見張りがいなくなるだろ」
ミナミはプリンを食べながら、ちらりとたまかを横目で見た。ソラは空になった両手を後ろについて、体重を預けた。はあ、と天井に向かって息を吐く。
「『ラビット』の頭は強いのかな。雑魚ばかりじゃなくて、強い奴を出してこいっつーの」
たまかはスプーンを容器に入れたまま、苦笑を浮かべる。
「……ソラさんって、戦いがお好きなんですね。喧嘩っ早いといいますか」
「気安く名前を呼ぶなって言ったでしょ。殴るのはお前でもいいんだからな」
「……ごめんなさい」
たまかは素直に謝った。名前で呼ぶなと言われていたことを忘れていた。
「まあ、手の早さではミナミに負けるけどね」
「へ?」
思わずミナミを振り返る。ミナミは最後の一口を口にいれたところだった。もぐもぐと咀嚼しながら、その瞼を下げた。
「……安心しな。縹様の命令がある限り、てめえのことは殴ったりしない」
「私は納得いかないけどね。こんな弱っちいゴミみたいなやつ、捕まえられようが殴られようが自業自得だと思わない? 縹様の言う事に背くつもりはないけどさ……」
ソラはそう言うと、腹筋の力で勢い良く上体を起こした。長い足を曲げ、立ち上がる。フリルの彩るミニスカートと、長く垂れた袂が揺れた。
「私は見張りに戻るわ。……お前がどんな死に方をするか見ものだね。楽しみにしてるよ」
心底小馬鹿にする笑みを浮かべ、たまかを見下ろしながら吐き捨てる。最後はつまらなそうな顔になり、ソラは背中を向けた。そのまま廊下を歩いて行き、やがて扉の音がきこえてきた。
静かになった部屋で、たまかは思い出したように残っていたプリンを掬い、口へと運んだ。ミナミは、それをじっと見つめていた。たまかには、ミナミが何を考えているかはわからなかった。
「もう寝るか?」
ミナミが掛けた言葉は、ソラや抗争についての言葉ではなかった。たまかは虚を衝かれ一瞬呆けたが、夜も遅いことを思い出し、頷いた。ミナミはベッドへと近づき、軽く整えた。
「明日はここを発つんだ。備えて身体を万全にしておいた方がいい」
「……もしかして、ベッドを貸してくれる気ですか? 別に床でいいですよ」
「でも、縹様があっしを泊めてくれた時は、ベッドで寝かせてくれた」
よくわからないが、そこにミナミなりのこだわりがあるらしい。
たまかは少し考えたあと、「では、お言葉に甘えて」と言ってベッドへと入った。甘いものを食べたあと歯磨きをしないで寝るのはどうかとふと思ったが、暢気にそんなことを言うのも憚られた。それに捕虜の身で贅沢は言えないだろう。そうでなくとも、予想より遥かに好待遇を受けているのだ。
暖かい布団で身体を包む。無理やり目を瞑るが、眠れそうになかった。暗闇の中で、なんだか無限と思われる時間が、緩やかに進んでいく。時計の規則正しい音に混じって、時折ミナミが立ち上がって歩く音がきこえてきた。
今日のこと、明日のこと。あるかもわからない、未来のこと。いろいろなことが頭に浮かんでは、消えていった。不安、憔悴、憤怒、悲嘆、いろいろな感情が胸の中で蠢いて、混ざって溶けていく。そんなことを繰り返しながら、長い夜が明けていくのを待った。
***
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