第10話 ただの見物ですよ

「すげえ! コアだけいた!」

 横浜よこはま夜景やけい背景はいけいにしながら、犬上いぬかみくんがせてわらう。

「ち、ちかいです……」

 霧氷むひょうと、残響ざんきょうがくるくるなかみどりかぜがきらめいている。

「あ……、ご、ゴメン!」

 犬上くんはあわててわたしをおろしてくれた。


 ジリリリリリリ! 


 まもなく、懐中かいちゅう時計とけいった。

 今日きょうれた……。正直しょうじき気持きもちホッとした。

 屋根やねうえには風紀ふうき委員いいんちょうよこになってのびている。

 右肩みぎかたのコアは、まだふるえたままだ。


「このひと大丈夫だいじょうぶですか?」

「大丈夫だろ。いきはしてるし、気絶きぜつしてるだけだ。それにしても、すごいな。アンタのこえからだにはきずひとつつけずに、コアだけふるわせたのか!」

 犬上くんがおどろいているけど、驚いているのはわたしもだ。

 超音波ちょうおんぱ

 いろんなことができるってのはほんんだことがある。

 たとえば病院びょういん

 手術しゅじゅつとき使つか刃物はものの切れあじたかめたり、体の中にできたいしそとからくだいたりできるらしい。

 

「おもしろい! まるで超音波メスハーモニック・スカルペルですね!」

 

 突然とつぜんそらから〝月虹げっこう蒼白そうはく〟にかがやく声がした。

 おともなくばたく縞模様しまもようつばさ。屋根の上にふわりとつ、異人いじん紳士しんし

「こんばんは! コウモリさん、オオカミくん」


 ――シュナイダー先生せんせいだ。 


「今日もずっと、見てたよな。あんた。なんのつもりだよ!?」

 犬上くんがくちをとがらせる。

「ただの見物けんぶつですよ。〝おし〟がどんなたたかかたをするのか興味きょうみありますし」

「は!? オレはアンタの弟子でしじゃねえぞ!」

「ええ、〝生徒せいと〟ですね」

「くっ!」

 犬上くんがそっぽをく。


「クオリアを使うのに、『想像そうぞう』はいちばん大事だいじなものです。そこでびているかれも、イタチであるだけなら真空しんくうなんてせない。イタチという動物どうぶつに〝カマイタチ〟というイメージがプラスされてこそ、できるわざなのです。あなたがコアを撃ちぬけたのも、コウモリなら、超音波なら、できそうだとあなたがおもったからです」

 シュナイダー先生は、わたしに向かってほほ笑んだ。


「今日も素晴すばらしかった――と、いたいところですが。そもそも最初さいしょべなくなったのが今日の苦戦くせん原因げんいんです。あなたはもっとうまく飛べるはずだ」

 ひどい。

 ほほ笑んでおいて、この言い方。

 わたしは口のっこをぐにゃりとげてほほ笑みかえした。 


「ずいぶんなこと言うな先生! こいつはこいつで頑張がんばってると思うぞ」

 犬上くんがぶっきらぼうに言った。

「だいたいなんで、追撃者チェイサーがコウモリにアドバイスなんかするんだよ?」

「ふ。コウモリさんの騎士きし《ナイト》にはいわれたくないですね」

「む!?」

 犬上くんはもっとそっぽを向いた。


 たしかに。ずいぶんだとは思う――だけど、先生の言うことも、もっともだ。

 わたしは、変身へんしんした自分じぶんの体をもっと上手じょうずに使えなきゃいけない。

 最後さいごまで、逃げ切るために。

「わかりました〝先生〟。じゃあ、教えてください! 上手なやり方を!」 

「え?」

 先生がまるくしておどろいた。

「わからないことがあったら、教えてくれるんですよね。なんでも」

 わたしは、今日の授業じゅぎょうの最後に、先生自身じしんが言った言葉ことばをくり返した。

「ははは、それ、今日もいたぞ? あんた、どこでもそれ言ってるのか?」

 犬上くんが笑って言った。


 しまった! 

 先生の言葉、当然とうぜん、犬上くんも聞いていたんだっけ。

 わたしはあせをかいた。

 こちらを見た先生の口の端が、笑っている。

「どこでもは言ってませんよ。大事な教え子がいるところだけです」

 せ、先生、言いぎです! 

 バ、バレたらどうするんですか!?


「わかりました。わたし参加さんかするまで、あと五にち。それまでにあなたがほかの人につかまってしまうのはこまります。だから、特別とくべつですよ」

 先生はそう言ってわたしをまねきした。

「まずはその翼をしましょう。これくらいのダメージならクオリアが十分じゅうぶんにあればすぐに治ります。変身の時のイメージして……」


 わたしは先生の言うとおりにやってみた

 ――翼は簡単かんたん元通もとどおりになった

「コウモリの翼なら平気へいきですが、うでやあし、あなたの本来ほんらいの体の部分ぶぶんについた傷はこの方法ほうほうでは治りません。だからとにかく、あなたは怪我けがをしないこと。そのために、あなたはあなたにった飛び方をおぼえる必要ひつようがあります」

「わたしに合った飛び方?」

「そうです。トリもコウモリも、そして飛行機ひこうきにも言えますが、翼のかたち得意とくいな飛び方はわるのです」

「翼の形?」

「簡単に言うと〝ほそくて長い翼〟と〝ひろくてみじかい翼〟です。細くて長い翼ははやく、とおくまで飛べます。ですが、広くて短い翼は、あまり早くも遠くまでも飛べません。見たところあなたの翼は広くて短い翼だ」

「えっ?」

 それって、つまり、逃げるのに不利ふりな翼。おにごっこに向いてないってこと!?

む必要はないですよ。広くて短い翼は、早くは飛べませんが、そのわりに小回こまわりがくのです」


 ――そうか! 

 昨日きのう姥山うばやまさんといかけっこした時も、わたしの羽ばたきに姥山さんはついてこられなかった。


「私の翼もどちらかというと広くて短い方ですが、あなたほど自由じゆうに飛びまわることはできません。あなたは、相手あいてを向けて逃げるのではなく、できるだけ相手をかんじてよけてください。よけることで捕まらない。つかませない。それがあなたのたたかい方です!」


 言うが早いが先生は、縞模様のおおきな翼を広げてよる空に舞い上がった。

 あっというに高みに上りつめ、そこから音もなく急降下きゅうこうかする。

 あぶないっ! わたしは翼をひらいて飛び上がった。

「ひゃああああっ!」

 体をよじって、紙一重かみひとえ


「よくかわしました! つぎはもっと手加減てかげんしません!」

 先生がふたたび舞い上がる。


 わたしはが気じゃなかった。

 先生が急降下してくるの、全然ぜんぜん距離きょりがつかめない。

 もっと集中しゅうちゅうしなきゃ!

 次の瞬間しゅんかん羽音はおともないのに〝つきにじ〟がきらめいた。

 いきなりこんな近くに!?

 体をよじる。先生の指先ゆびさきかたにふれる。

 ひい――っ! 本当ほんとうに手加減なしだ!


 今度こんどは先生はすぐにはなれない。

 何度なんどもわたしをつかもうと羽ばたきながら向かってくる。

 まっすぐ飛んじゃダメだ! 

 かわし、かわし、かわして、かわす!

 つかまえにくいチョウチョみたいに、方向転換ほうこうてんかん


「その調子ちょうしです!」

 

 と――体をひるがえした時。

 屋根の上にすわり込んだ犬上くんが、わたしたちの追いかけっこをながめているのが目にはいった。

「おっと。よそ見はいけませんよ!」

 先生が空中くうちゅうで通せんぼをする。

「集中が途切とぎれましたか? 息も上がってますね!」

「す、すみません!」

「まあ、上出来じょうできです。これなら私が本気ほんきを出す日がそうです」

 先生がにっこり笑った。

 あれで本気じゃないの!? もっと、もっと頑張らなきゃ。


「先生! オレ、そろそろかえるわ! 帰ってオレも特訓とっくんする!」 

 屋根の上で犬上くんが手をっている。

「気をつけて帰るんですよ! いえに帰るまでが祭礼さいれいです!」

 昨日とおなじセリフで先生がおくり出す。


「ふん! こいつ、したに下ろしとくぞ!」 

ぐさの緑〟の風がき、気絶している風紀委員長を肩にのせ、犬上くんがジャンプする。

「頑張れよ! コウモリ! おれも頑張る! 明日あしたもよろしくな!」


 そう、わたしも頑張る。

 工場こうじょうの屋根の谷間たにまに吹き下ろす、緑の風を見送みおくりながらわたしはうなずいた。


     *      *


 すっかりくらくなった工場の通路つうろ。オオカミがトン、と地面じめんに降り立った。


 階段かいだんかげ便利べんり水尾みずのお龍次りゅうじは息をひそめてその様子ようすをながめていた。


おとこはさすがにおもいな……」

 肩にだれかをかつぎながらオオカミはつぶやいている。


「おい、いい加減かげんきろよ」

 ほっぺたをたたかれ、肩にかつがれていた人物じんぶつが目を覚ました。

 さっきの追撃者チェイサーだ。

「ボクはけたんだな……」

 どうやらもう、戦う気はないらしい。


 追撃者チェイサーは、オオカミといくつか会話かいわをしたあと、トボトボと通路を後にあるいてった。


「……よう! オッサン!」

 一人ひとりのこったのはオオカミの鼻先はなさきがひくついた。


「昨日からずっといるけど、あんた、なんなんだ!? 普通ふつうの人間だろ?」

 オオカミは、暗がりのこっちを向いて、にらんでいる。


運転手うんてんしゅだ」

 いぬはなから逃げるなんて、そもそもムリなはなしだ。

 便利屋・水尾流次は両手りょうてを上げて、暗闇くらやみから立ち上がった。

「運転手? コウモリのか?」

「ああ。かくしていてもしょうがねえだろ?」


 今日、あのじょうちゃんが逃げ切れたのもこいつのおかげなんだろう。

 だったら――


連絡れんらくさき、教えてくれや。アンタの」

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