酒壺

@wlm6223

酒壺

 父が七十九歳で逝った。風邪一つひかずに壮健なままの大往生だった。

 母は十三年前に風邪をこじらせ肺炎で逝った。以来、父は骨董の趣味を持つようになり、書画や茶碗を買い求めては一人悦に入る楽隠居の生活を送っていた。

 そんな父だからこれといった資産はなかった。道楽を続ける毎日だったから、本人はそれでも充分幸せだっただろう。

 父の葬儀には思いのほか多くの参列者が来た。父との縁故と訊くと、大抵は趣味の仲間か飲み友達で、親戚縁者が少々呆れるほどの「遊び友達」を持っていたことが分かった。

 葬儀が済んで一段落すると、姉と私は遺品整理に取りかかった。父の住んでいたマンションの一室は書画、もう一室は陶器類のコレクションの収納部屋になっていた。父はどちらかといえば神経質な方で、各部屋とも小綺麗に整頓されていた。この膨大なコレクションにまじってニヤニヤとしていた父の姿が目に浮かぶ。

 父はまったく暢気な道楽者だったのがよく分かる。私と姉は少々嘆息気味にそれらを見回し、「あの親ならこれくらいのことは平気でするだろう」と意見が一致した。

 私と姉は相談し「面倒くさいから」という理由で、書画の部屋にあるものは姉が、陶器類の部屋にあるものは私が相続することで割り切った。遺品をそれぞれの自宅へ配送し、父のマンションを引き払った。

 私にも姉にも書画や骨董の趣味はないので、遺品がどの程度の価値のあるものなのか皆目見当がつかない。そもそも父の遺産など目当てにしていなかったので、お互い古美術商へ引き取ってもらうよう算段した。

 その古美術商は土曜日の午前中に私の家へ来た。玄関で軽く挨拶を交わし、さっそく陶器類の入った段ボール箱の品々を査定してもらうことにした。古美術商はその量に困惑気味だった。

「これ全部ですか」

「ええ。そうです」

「全部で何箱あるんですか」

「二十箱です」

 うちのリビングに段ボール箱が二十個も占拠しているのである。はっきり言って邪魔で仕方ない。

「一度うちで引き取らせて頂いて、鑑定はそれからという事でいかがですか」

「そうしましょう」

 古美術商はワゴン車で来ていて、私も手伝い、段ボール箱をワゴン車へ積み込んだ。

 翌週の木曜日、古美術商から「鑑定が終わりました」との連絡がきた。土曜日に古美術商のもとへ行く約束を取り付けた。

 土曜日、古美術商へ行くと査定額が書かれた鑑定書を見せられた。どれも数万円位の値がついていた。一つだけ六百万円の値がついていた。そこには「酒壺」と書いてあった。

「これは?」

 と私が「酒壺」と書かれた所を指さして訊く。

「これは約八百年前のものですよ。珍品です。実際に使われた形跡があるのでこの値段になります」

「実際に使われていたとは、どういうことですか」

「全品調べさせていただいたのですが、どれも鑑賞用ではなく、お父様が実際に使用された形跡がありまして」

「ほう」

 父は単なる蒐集癖で集めていたのではなく、実用していたのか。

「その壺は実用していなかったら、いくらになります?」

「プラス四百万ぐらいには……」

 こういう無頓着なところがまた父らしい。きっとお気に入りの日本酒を注いで古き日本の姿を思い描いて楽しんでいたのだろう。

 書道の古筆手鑑に「見努世友」というのがあるのを思い出した。「ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とすることこそ、こよなう慰むわざなれ」という。父は「見ぬ世の人」となった母や友人たちと毎晩晩酌を交わしていたのだろうか。父に日本の古典のいう「雅」の趣味があったかどうか、今となっては知りようもないが、葬列の面々を思い浮かべると「雅」とはいかなくても自由闊達な老境の自由人として笑顔の絶えない生活をしていたことは察することができる。

「その『酒壺』だけ引き取ります。あとは買い取ってください」

 そう言うと古美術商は承知しました、と酒壺を箱に入れて私に返した。

 父の四十九日の法要には、父が好きだった日本酒を酒壺に入れて墓前に供えよう。きっとあの父のことだ。あの世でも暢気にやっていくだろう。その父の陽気さ暢気さに、父を失った悲しみよりも、天命を全うしたことの方が私の心の慰みになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

酒壺 @wlm6223

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る