第13話② 見知らぬMACアドレス 後編





 実は、MACアドレスの登録は以前までは実施していなかった。

 業務で使用しているパソコン一台一台のMACアドレスを調べて登録するのが手間がかかるという理由である。しかしながら、

先日社内のネットワークに勝手に3Dプリンターを接続したということが判明し、かつ社内のネットワークが不通になってしまったという事件があったため、MACアドレスを登録することにしたのだ。

 これにより、誰かが勝手に社内ネットワークに情報システム部が承認していない機器を接続した場合はアラート通知が飛ぶようになった。

 

「……まあ、結果として未然防止になっているわけですよね。」


「そうだね。でも、前回の3Dプリンターの件で勝手に社内ネットワークに接続しちゃいけないということを理解してもらえたと思ったんだけどね。」


 そう言って安藤さんは大きなため息をついた。

 以前、3Dプリンターを勝手に社内ネットワークに接続した人がいて、社内のネットワークが不通になるという事件が発生した。その時に、再度社内全体に周知したのだ。勝手に社内ネットワークに機器を接続してはいけない、と。

 それなのにも関わらず今回またアッピュル製品を勝手に社内ネットワークに接続しようとしている人がいる。

 

「みんなに理解してもらうのは大変ですよね。それに、昨今ではスマートフォンのデータ通信量は年々増加していってますし、契約しているコースだと通信速度制限に引っ掛かるのかもしれませんね。それで、会社のアクセスポイントに接続しようとしているのかもしれません。」


「そうだね。データ通信量定額制で、1GBとか3GBとかに設定しているとすぐに通信速度制限に引っ掛かってしまうからね。麻生さんはその辺どうしているんだい?」


「私は容量無制限にしています。自宅にも無線環境は整っていますけど、電車で通勤する際に動画とかみていると結構データ通信量えぐいので。かと言って街中に溢れている無料Wi-Fiは使用したくないですし……。」


「そうなんだ。その方が安心だものね。」


「安藤さんはどうなんですか?」


「僕かい?僕はガラケーだよ。電話としてしか使用しないからね。」


 安藤さんはそう言ってスーツの胸ポケットから折り畳み式のガラケーを取り出してみせた。

 懐かしいそのフォルムに思わずくすりと笑みが漏れた。

 

「そうですね。そういう選択肢もありますね。」


「だろう?でもね、もうすぐガラケーがなくなるって話があってね。戦々恐々しているよ。」


「そうですか?意外と便利ですよ?スマートフォン。」


「そうだね。便利だけどね。僕はあえて不便を選択するよ。最近のスマートフォン事情は僕にとっては恐怖でしかないからね。」


「どうしてですか?」


 スマートフォンが恐怖?

 安藤さんの言っていることが理解できずに私は首を傾げた。

 

「スマートフォンには機能が多すぎる。電子決済もできるし、銀行のお金も管理できる。振込だってできるだろう。それにいろんなサイトのアカウント情報が保存されている。電車に乗るのだってスマートフォンだけで用が足りるだろう?」


「はあ。そうですねぇ。便利だと、私は思いますが……?」


 スマートフォン1台あれば大抵のことはなんでもできる。

 とても便利な世の中になったものだと私は思っている。

 ポイントカードだって、前はお財布の中がパンパンになるくらいに、ポイントカードが詰め込まれていたのに、今はスマートフォンのアプリでポイントをためることだってできる。

 つまりお財布は軽くなるのだ。

 持ち歩く荷物が少しでも減ることはとても嬉しいことだ。


「そうだね。使用する分には便利だろうけど、スマートフォンをどこかに落としたりしたら、どうだい?」


「あっ……。」


 スマートフォン1台に自分の個人情報が沢山詰まっている。銀行の情報や電子決済アプリ、それに様々な便利なアプリ。

 つまり、スマートフォンを落とすということは、自分の個人情報を落とすというわけだ。

 下手をするとスマートフォンに銀行口座にログインするためのIDやパスワードを保存している人だっているだろう。某大手ネットショッピングサイトのIDやパスワードを保存している人だっているだろう。某大手ネットショッピングサイトで購入する際に、クレジットカード連携していれば、スマートフォンを拾った人がネットショッピングし放題だ。

 

「……急に怖くなりました。」


「まあ、落とさなければいいだけなんだけどね。仮に落として誰かが警察に届けていてくれたとして、スマートフォンの中身が無事なのかはわからないからね。情報だけこっそり抜き取ってから警察に届ける人もいるだろうし、こっそりウイルスを仕込む人がいるかもしれないしね。僕はそういうのが怖くてスマートフォンを持つことをためらっているんだよ。」


 安藤さんのその言葉にはどこかハッとさせられた。

 

「まあ、スマートフォンの話はこれくらいにして。犯人捜しをして社内のネットワークに接続しようとする行為をやめてもらわないとね。」


「あ……はい。」


 

 私は、犯人捜しを再開することにした。

 相手は7時30分という通常よりも早い時間に出勤してきている。

 会社に入るためには従業員入口の電子錠を開けないといけない。電子錠は自動ロックになっており、一度ドアを閉めると自動的にロックされるようになっている。そのため、ドアを開けるためには毎回電子錠を開錠しなければならないのだ。

 つまり、午前7時30分より前に電子錠のロックを解除した人が私用のスマートデバイスを社内ネットワークに接続しようとした人ということになる。

 

「管理会社にログを開示していただけないか確認してみます。」


「うん。よろしくね。」


 電子錠については外部に委託している。

 だが、利用ログについては委託先に確認すれば教えてもらえるはずだ。

 社員には1人につき1枚電子錠を解除するためのICカードが配付されている。そのICカードの番号がログに記録されているはずなのだ。

 委託先の警備会社に連絡をとると、会社の入口の電子錠の開錠ログを教えてくれた。

 本日の午前7時30分前に電子錠を開錠したのは、一人だけだった。

 

「……一人だけ、午前7時30分前に出社してきていた方がいらっしゃいました。」


 警備会社に教えてもらったIDに、私は怪訝な表情を浮かべながらも安藤さんに報告をする。

 私はてっきり、磯野さんだと思っていたのだ。

 いつもはギリギリに出社する磯野さんがたまたま早くに会社に出社して時間を持て余した結果、会社のアクセスポイントに私用デバイスを接続したのではないかと思っていたのだ。

 いつも重大なトラブルを引き起こすのは磯野さんだから、今回も磯野さんの仕業だと思っていた。


「そう。誰だった?」


 安藤さんの問いかけに私は自分の心の整理がつかないままに答える。

 

「総務部の……吉井さんです。」


「……そうか。」


 安藤さんも驚いたように目を見開いた。

 総務部の吉井さんは人格者であり、会社のルールを事細かく把握している人だ。

 会社のルールでわからないことがあったら吉井さんに聞けば一発で教えてくれると誰もが思っているだろう。

 でも、そんな吉井さんだからこそ、会社のネットワークに私用のデバイスを接続しようとした理由がわからない。

 誰かが吉井さんのICカードをこっそり交換して使用しているのではないかと疑いたくなるくらいだ。

 

「……とりあえず吉井さんに話を聞いてみようか。」


「……はい。」

 

 私の中ではまさか、吉井さんがという思いでいっぱいだった。

 しかしながら、ログからは吉井さんが疑わしいとされる。

 私は安藤さんと一緒に総務部の吉井さんの元に向かった。

 

「吉井さん、少しお時間よろしいでしょうか。」


 まだ吉井さんが犯人だとは決まったわけではない。それに、もし吉井さんが犯人だったとしても何らかの事情があるのかもしれない。

 だから、私たちは吉井さんを会議室に呼び出すことにした。

 

「どうしましたか?」


「ちょっと吉井さんに確認したいことがありまして……。」


「わかりました。5分だけ待っていてください。」


「ありがとうございます。では、先に会議室に行ってますね。」


「ええ、すぐに向かうわ。」


 私は吉井さんの席を離れて安藤さんと一緒に会議室に向かう。

 

「吉井さん、いつもと同じでしたね。」


「そうだね。気づいていないのかもしれないね。」


 安藤さんとそんな会話をしながら、会議室に吉井さんがやってくるのを待つ。

 しばらくして、吉井さんは分厚いノートを片手に会議室にやってきた。

 

「お待たせしちゃってごめんなさい。それで、なにかしら?」


 吉井さんは会議室に入ると、安藤さんと私の前の椅子に座る。

 

「ええと……吉井さんってアッピュルのスマートフォンかタブレットをお持ちだったりしますか?」


 私が吉井さんに尋ねると、吉井さんは少し驚いたように目を見開いた。

 

「ええ。持っています。この前の土日にアンドゥロイドからアッピュルのスマートフォンに替えたばかりだというのに情報が早いわね。」


「は、はは……。」


 吉井さんはアッピュルのスマートフォンを持っていた。

 やっぱり犯人は吉井さんなのだろうか。

 

「今日は、アッピュルのスマートフォンをお持ちですか?」


「ええ。持ってきているわよ。」


 そう言って吉井さんはスーツのポケットからスマートフォンを取り出して私と安藤さんに見せてきた。

 真新しいアッピュルのスマートフォンが吉井さんの手の中にあった。

 

「えっと……会社で使用しましたか?」


「ええ。そうね、空き時間にちょこっとね。」


「えっと……朝7時30分すぎに使用しましたか?」


「まあ、すごいわ。その時間に使用したわ。ちょっと早く会社に着きすぎてしまって。まだこのスマートフォンに慣れないから、ちょっと触っていたのよ。」


「……そうですか。」


 状況からして、社内ネットワークに接続しようとしたのは吉井さんと思われる。けれど、吉井さんには悪びれた様子は全くみられなかった。

 

「あ、そうそう。麻生さんならお若いし、情報システム部で電子機器のことに詳しいでしょう?ちょっと教えてくださらないかしら?」


「なにを、でしょう?」


 吉井さんが私に見やすいようにスマートフォンを机の上に出した。

 

「今朝、スマートフォンをみたらね、アップデートをしてくださいというお知らせが表示されていたのよ。それで、時間もあったしアップデートをしようと思ったのだけれども、Wi-Fi経由でないとアップデートができないと表示されてしまって……。会社のWi-Fiにアクセスしようとしたんだけど、繋がったかと思ったらすぐに切断されちゃって……。なにがいけないのかわかるかしら?」


 吉井さんの発言に私も安藤さんも口をあんぐりと開けて固まってしまった。

 社内ネットワークに私用スマートフォンを接続しようとしたのはやはり吉井さんだったのである。でも、その吉井さんは、私用スマートフォンを社内ネットワークに接続することがルール違反だということを認識していないようだ。

 吉井さんの目をみても、吉井さんが嘘をついているようには思えない。


「あー、非常に言い辛いのだけどね、吉井さん。あー……、社内ネットワークに私用デバイスを接続するのは禁止されているというのは知っていますね?」


 安藤さんが非常に言い辛そうに口を開いた。


「え、ええ。先日、磯野さんが問題を起こしてしまった件でしょう。もちろん知っているわよ。」


 吉井さんは、なぜそれを今ここで訊くのかと不思議そうに首を傾げた。

 これは理解をしていないようだ。


「えっと、ちなみに吉井さんは私用デバイスというのはなにか、ご存知でしょうか?」


「ええ。パソコンやプリンター、タブレットにスマートフォンでしょう?」


「……はい。その通りです。」


 スマートフォンを社内ネットワークに接続してはいけないということは吉井さんは理解しているらしい。

 ではなぜ、吉井さんは会社のアクセスポイントに私用のスマートフォンで接続しようとしたというのだろうか。


「吉井さん。社内ネットワークに接続する方法はご存知ですか?」


「ええ。もちろんよ。LANケーブルを挿せばいいのでしょう?」


「はい。そうです。でも、LANケーブルを使用する以外にも社内ネットワークに接続する方法があります。それは、ご存知でしょうか?」


 安藤さんの質問に私はハッとする。

 もしかして、吉井さんは……。

 

「あら?LANケーブルを挿す以外にも社内ネットワークに接続する方法があるの?」


「はい。アクセスポイントに接続すると社内ネットワークに接続されます。」


「そうなの…‥‥えええっ!!!?」

 

 安藤さんの説明に、吉井さんから心底驚いたような声が上がった。

 いつも冷静沈着な吉井さんからは聞くことができないような声だ。

 どうやら吉井さんはアクセスポイントに接続する行為が社内ネットワークに接続する行為だとは思っていなかったらしい。

 

「はい。ゲスト用のアカウントで接続していただければ、社内ネットワークには接続できないつくりですが、吉井さんが接続しようとしていたのは、業務用のアカウントでして……。業務用のアカウントでの社内ネットワークへの接続は制限されておりまして、情報システム部が許可したデバイスしか接続できないようにしております。なので、吉井さんのスマートフォンが会社のWi-Fiに接続できなかったんですよ。」


 安藤さんは吉井さんに優しく説明をする。

 吉井さんは神妙な顔つきで安藤さんの言葉に頷いていた。

 吉井さんもやっと理解してくれたようである。

 安藤さんは最後に、吉井さんのスマートフォンに会社のゲストアカウント用の設定を施していた。

 

 

 

 その後、社内へのヒアリングで意外とアクセスポイントでの接続が社内ネットワークに接続されてしまうということを知らない人が多いことがわかった。

 LANケーブルを挿した場合だけ、社内ネットワークに接続されると認識している人が半数近くいたのだ。

 私たちは再度、社内ネットワークの接続についての説明を強いられることになったのだった。

 

 

 

 

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日も情シスは恐怖に慄く 葉柚 @hayu_uduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画