第36話

「ほう、よくきたな...... たいした度胸だ」


 そう赤い武骨な鎧をきこんだ大柄な男が高い位置にすわり、こちらを見下すようにいる。 天房さまと私は荒河の国にきて、この男、猛水と相対していた。


(この男、猛獣のような目をしている。 己に絶対の自信をもち、他者の意見など聞き入れようもない。 最悪この場で理由をつけ、斬りつけることさえあるかもしれん。 我が国での会談を拒否するわけだ)


 後悔したが、今は逃げる算段を考える。


「それで敵地にきたということは、我が降伏を受け入れるということか......」


 そう膝をたてほほに当てながら、横柄な態度で猛水はいった。


(この男...... やはり尊大......)


 その態度に不快さを感じた。 しかし天房さまの表情は変わらない。


「猛水どの、我が方との戦いは甚大な被害が出よう。 無益な戦いを避けるため、それを話しに参った」


 天房さまは丁寧にそういうと、猛水は笑う。


「はっはっは! 面白いな。 戦いが無益とは、益があるから戦うのであろうよ」


「されど、戦いにて民に将兵、多くのものが死にゆこう。 それが益があるともうされるか」


「ふっ、いかにも、民草などいくらでもほうっておけば増える。 まさに草のようにな」


「そのような......」


「そうであろう。 もとより我らも民草だ。 それが武力、権力、財力でのしあがり、民を支配しているだろうが」


 そう猛水はにやついた。


「......一体、あなたはなにを考えられておられる。 力さえあればなんでもなせるとお思いか」


「そうよ。 力こそこの世界の普遍の万理。 獣がそうであるように人もそうあるべきだ。 それが情、法、德など余計なことを考えるようになり、人は獣でなくなった。 それが人を苦しめるのだ」


「考えねば苦しまぬ...... そういうことか」


「そうだ。 もっと世界を単純にすべきなのだ。 勝つものが食い、負けたものが食われる。 そうすれば人の悲哀などなくなるだろう」


 そういった猛水の目は、何の迷いもないようにみえた。


「それでは猛水さまも食われる側になるやもしれませんぞ......」


 そう私がいうと、猛水の目は獣のように光る。


「......そうよ、それこそがこの世界の真理。 民草の奴らも、いや獣ですら知恵と力あれば我らと同じことを考えるであろうよ。 人も獣もそれが正しいあるべき姿よ」


(なんなんだ、この男...... 迷いがないとでも言うのか)


「なれば、あなたは我が方が降伏したあと、なんとします」


「ふっ、しれたこと、我が覇業に殉じさせるために、兵も民も使うだけ」


「それは尖兵として使われると、ただの民ですぞ」


「民とて武器をもたせれば兵となろう」


「ただ戦場にだせば死ぬだけでしょう」


「それでよい。 肉の壁となり、少しでも突き進めばよい。 他の国への侵攻へのな。 さすれば敵は恐れおののき、容易く攻め落とせる」


「それはもはやただの悪逆ぞ」


 私たちの話を聞いて、天房さまはそう強くいった。


「それを悪と断ずるならばそれもよい。 おのが我欲のため悪逆を突き進むのみだ。 それが人の本性、正しき道よ」


 その目は狂気を含むようにみえた。


(この男に説得など無用、このままだと会談どころではないな...... 天房さまだけでも逃がすしかない......)


 不穏な空気が場を包む。 


「......あわれなものだな」


 その時天房さまがふいにそういった。 一瞬の静寂がその場の不穏な空気を制した。


(天房さま)


「なんだと......」


「人はそれほど単純ではない。 あなたは人の一面しかみてはおらぬ。 それは逃避だ」 


「逃避...... 我が逃げていると申すか」 


 猛水は憤怒の形相になっている。


「お主らのように善や理想など詭弁をろうして、この世界の事実に目をそむけているものが逃避などとよくいうわ!」


「私も自らを善とは思ってはいない。 しかし善が理想ならば悪もまた理想。 片方に片寄っているものは、所詮考えることをあきらめた逃避者にほかならない」


「悪が理想だと......」


「左様、悪逆を人がなせば心はよどむ。 誰とて正しくありたいと願う心があるからだ。 自らの悪と語るものは、悪ならば自らの歪んだ行為に苦しまずにすむからそう申しているだけ...... だから言葉にする、それこそ詭弁だ」


「............」


「人はどれ程達観しようが、悲哀も善悪も失うことはない...... それが本性。 そしてそれに抗いながら生きていくものだ」


「......それで我に矛を納め、これから善行をなせとでも申すか」


「今更生き方をかえられるほど、そなたは強き者ではあるまい。 我らは死と生を覚悟してそなたたちを打ち破る。 そなたの話をきいてそう決心した」


 そう天房さまは、毅然といいきった。


「くくっ...... いいよる...... よかろう、ならばお主らの兵も考えさえも全て打ち砕き、お主らの正しさを証明するがよい。 できねば、天沼の国は人一人残らぬ荒野と化すであろう」


 そう猛水は炎のようにたぎる目でこちらを見据えた。



「ふぅ、納めようとしたが、余計に油を注いだか」


 帰り道、天房さまはため息をついた。


「いいえ、あの男には、どうせ降伏も戦もさしてかわりますまい。 それより、私は父が天房さまが自らより主座が適していると、申していた意味がよくわかりました」


「そうか」


「はい、あの場で私では感情に任せ理想を語ろうとするでしょう。 それならば猛水の心には迫れず、最悪あの場で斬り殺されていたやもしれません。 天房さまがあの場でああいったゆえ、斬らずに帰したのでしょう。 斬れば天房さまの言葉を認めることになりましたゆえ」


「......とはいえ、あのものは私と同じ、間違えた道をわかりながら進むしかないものだ」


「いいえ違います。 天房さまは己が間違いをお認めなされ、ただされた。 それは強きものの証。 あきらめ、自らを正当化するものとは人の格がちがいます」


「......そうか。 そなたにそういわれると自信も生まれるな。 しかし、これで戦いを避ける術はなくなったな。 己のため何者をも犠牲にすることができるものと戦うことになる」


「はい、取り急ぎかえり、流雅たちに相談しましょう」


「うむ、そうだな」


 私たちは国へと帰還した。

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