DAY5‐2 古いおもちゃ 後編

「やっばいなあ。ほんとやっばいこれ」


 私はひとりごとを言いながら梅サワーを飲む。

 カウンターに置いたスマホにはあの『俺は強いんだぜ男』の死に顔が映っている。地下鉄の座席で死んだままグルグル路線を回っていたところを、一般人に盗撮されてネットにばら撒かれたらしい。

 延髄には小さく深い穴。血も涙もないやつだ。

 青シャツ自身は陽気なジジイなのに、そのおもちゃはまるでプロの暗殺者だ。殺しの一部始終を盗撮されたと知ったら、どうなるか。青シャツが止めてくれるかも、止められるかも分からない。

 私は飲み屋のオヤジに銀杏を注文した。とにかく和食がおいしい。

 間違ってもマリ奥様が狙われないよう、私達三人はあえて単独行動で目立つ場所をうろついていた。動画データはまだマリ奥様に渡していない。本人からはさっさと帰って来いと言われているが、三人で直訴して数日の家出を敢行している。

 私は奥様を敬愛しているが、やはり年上としては余計な世話を焼きたい。

 銀杏が運ばれてくる。串に通されていて、イチョウの葉に載っている。


「銀杏を食べ過ぎたら死ぬって、知ってる?」


 背後からなら分かる。ま隣の右の席から、いきなり声がかかった。

 私は梅サワーのグラスを握り締めながら笑顔を向けた。


「子供なら数粒で中毒も」


「大人も油断は禁物」


 やはり、ヤバい相手だ。前はどこにでも居るおばさんだったのに、今日は女優みたいな美人オーラが出ている。私より数段化け方が上手い。服と化粧と所作で、たぶん九〇歳の老婆にもなれる。どうせ指紋もないだろう。


「お姉さん! 何にします!?」


 相手のヤバさを知らない店主が、のこのこ寄って来る。

 おばさんは私を見つめたまま、首をひねった。骨肉がゴキリと鳴る。


「ここ、何がおいしいの?」


「あさりとコーンのピラフがおいしいです」


 おばさんは一瞬真顔になり、それから火のように笑い出した。私と一緒にビビる店主に「じゃあそれで」と注文する。枷垣の所に居た双子と同じだ。青シャツの爺さんより、このおばさんの方が危険度が高い。

 私は無駄な手順を省いて、本題に切り込んだ。


「私が誰か知ってるんですか。私と殺り合いたいんですか」


「その質問への答えは順に、イエス、条件付きイエスよ」


 おばさんの手入れの行き届いた黒髪を見る。次いで右手を見ると、銀の指輪が中指にはまっていた。右中指の指輪は、勝負に挑む時のまじないだ。中指の守護聖人はたしか、サトゥルヌス。

 自分の子供を頭から食い殺した、鬼畜だ。


「カジノの墓場さん、死んだわよ」


 おばさんが出てきたピラフに匙を入れる。バターの香りがふんわりと広がった。


「墓場さんを殺れるヤツなんて居ませんよ。私が五人居たって無理です」


「死なない人間は居ない。自宅のガレージで八つ裂きにされてた。睾丸が車のエンブレムに飾られてて……」


 そんな風に。おばさんが私の銀杏を指さした。

 墓場さんの車はベンツだったはずだ。おばさんがピラフを噛みながらまた首をごきりと鳴らす。私は梅サワーを飲み干した。


「そんなマフィア気取りのマネをするヤツは、生粋のヤクザなんかじゃありませんよ。例の潜入捜査官ですか」


「彼はもう死んでる。墓場さんが始末した。……この国には昔、国民幸福保全局というのがあってね。そこの連中が税金で捜査官を養成して、いろんな犯罪組織にモグラを放ってたの」


 モグラというのは、スパイのことだ。敵地に潜入するから、モグラ。私はおばさんを睨む。


「局長はあんたが始末した。元局長か」


「潜入捜査中に本部がなくなったモグラほど、哀れなものはないわ。モグラ同士で安否確認をして、互助で生き残るしかない」


「闇カジノで一儲けをもくろんだのも、巣なしモグラ全員の退職金確保が目的ですか。イカサマ師が生還していれば、三〇億は手に入ったはず」


「イカサマ師が上限なしのルームに入れるよう、お膳立てをした仲間が居る。墓場さんの秘書よ」


「嘘。一〇年以上前からカジノに居たはずですよ」


「そこがモグラの怖いところ。そして、敵からも味方からも唾棄される理由」


 何十年寝食を共にしようと、時がくれば簡単に取り入った相手を切る。用心深い墓場さんが自宅で惨殺されたなら、マリ奥様や青シャツも危ないかもしれない。

 私はおばさんの意図が見えた気がして、彼女に体を向けて訊いた。


「手を組みたいんですか。モグラ退治に協力したら、貸し借りなし?」


「おたがい、主人の命は最優先でしょう」


「仲間を呼びます」


「あなただけで良いわ。モグラの次の標的は、獅子森マリさんだから」


 私は意味が分からず、眉根を寄せる。おばさんが空になった皿に匙を投げながら、私を見た。


「あなた、獅子森マリにそっくりじゃない。影武者でしょ。あなたが居ればモグラが寄って来る」


 頭が真っ白になりかけた。私は髪をわしゃわしゃかきながら、おばさんに、えぇー、と声をぶつける。


「何言ってんすか。老眼すか。節穴すか。タダモノじゃないオバ様だと思ってたのに、ガッカリすよ」


「声も似てる。身長も体重も同じくらいでしょう。分かってて似せてるんだと思ったけど」


「年が違いますよ。マリ奥様の方が一年二ヶ月年下です。あと私はカニアレルギーです」


「獅子森さんらしく見える服と髪形で、二時間後に黒ホテルへ。盗品美術館を彼女の名前で貸し切ってあるから。モグラの一人が学芸員をしてるから、きっと襲ってくるはず」


 私はおばさんの喉を締め上げそうになった。

 私が喉に触れたのと、おばさんが私の目に触れたのが同時だった。

 端から見れば、私は確実におばさんを殺そうとしているが、おばさんは私の顔に手を添えて、いたわっているように見える。戦えば勝てるかもしれないが、経験値は確実に相手の方が上だった。

 目からまぶたへ、指が流れる。


「モグラは六人。墓場さんを殺す時に派手に動いたから、尻尾をつかめたわ」


 一人三殺。私は喉から手を離す。おばさんは一呼吸遅れて離した。私は何度もまばたきしながら「名前」と口を動かす。


「あんたの名前聞いてませんよ。こっちのは知ってんでしょ。教えてくださいよ」


「夏目漱石の代表作」


「はい?」


「ナマエハマダナイ」


「やっぱり首へし折ろうかな」


 おばさんがカウンターに一〇〇〇〇円札を置きながら、小さく笑う。彼女はそのまま店を出て行った。冷めた銀杏を見つめる私に、ビビりっぱなしの店主が寄って来る。


「ミユちゃん。あの人、ナニ? 大丈夫だった? 俺心配で死にそうだったよ~」


「話、聞こえた?」


 私が視線を向けると、店主は首を横に振る。


「この客の数じゃ一メートル以内じゃないと聞き取れないよ。だからさ、悪いことするヤツ多くてさ。ドロボーの計画立ててる客とか居んのよ。あとホラ、女の子のグラスにレイプドラッグ入れるクズとかさ。参るよね」


「その一〇〇〇〇円で監視カメラでも買えば」


 おばさんの残した一〇〇〇〇円札を、店主が「ほへー」とつまみ上げる。「上客ー!」と喜ぶ彼は、どうせカメラでなく馬券を買う。

 私は五〇〇〇円札を置いて、席を立った。入り口そばで、トイレに立った彼女のグラスに粉薬を入れようとしている男が居る。

 私は壁を走るゴキブリを叩き潰し、彼女が出て来るのを待ってグラスに放り込んだ。彼女の顔色をうかがうのに必死の男は、ゴキブリ入りのグラスを笑顔で差し出している。

 悲鳴やら罵声やらを背に、私は店を後にした。



 黒ホテル内での殺しは御法度だ。だが、墓場さんのような裏社会の大物を仲間の仇討ちで殺すような連中なら、きっと後先は考えないだろう。あのイカサマ師はモグラ達の希望だったのだ。その希望を私達の主人が殺した。そういうことなのだろう。

 私はマリ奥様がするように髪をゴージャスに盛って、マリ奥様が着るような馬鹿高いエレガントな黒のドレスを着ていた。ハイヒールが歩きにくく、バッグがウザい。外反母趾になって骨盤がゆがみそうだ。

 盗品美術館は演色性の高い電球で照らし出されている。演色性というのは、ざっくり言えば太陽の光にどれほど近いかという度合いだ。演色性の高い電球ほど、自然光に近い光り方をする。

 美術館には、擬似太陽が無数に点灯していた。私は未発表の銀河鉄道の原稿の前で立ち止まる。古い文学は良い。人間の根源的な価値に近いものに触れられる気がする。

 黒ホテルのエントランスで、枷垣のところに居た双子と会った。偶然ということにしておいたが、主人のマネをする私を露骨に笑いやがった。それぞれ違う方の手で口元を覆う仕草が心底ムカつく。

 彼女達の後方で記帳していたゴボウみたいな男が、まさか飼い主なのか。墓場さんや青シャツの威圧感の半分もない。

 双子が墓場さんのおもちゃだったなら、墓場さんは今も生きていただろうに。

 私は墓場さんが好きだった。とんでもない悪人だったが、私の嫌いな要素を一切持たない人だった。高貴で、上品で、最高の薔薇で飾った剣のような人だった。

 その人の睾丸を、車のエンブレムに?


「どうしてくれよう」


 銀河鉄道に背を向けると、貴重な美術品の陰からモグラが出てきた。六人どころじゃない。服装も雰囲気もバラバラの男が一四人。

 私はハイヒールを脱ぎ、バッグから小銭入れとメッシュ袋を取り出した。ミカンとかタマネギを入れるアレだ。五枚重ねにしてある。黒ホテルに銃は持ち込めない。

 小銭入れの中身をメッシュ袋にぶちまける。一〇円玉ばかり数百枚。袋の口を縛り、ずっしりとした凶器を手に下げる。

 モグラ達は私がマリ奥様ではないと察したらしかった。でも、構わないとばかりにファイティングポーズを取る。素手。全員素手だ。素手で墓場さんも引きちぎったのか。

 一度に三人がかかって来た。空手っぽい動きのやつ、ボクシングっぽいやつ、ヤクザの喧嘩スタイルのやつ。私は一〇円玉袋を、銀河鉄道のガラスケースに叩きつけた。一撃目でヒビが入り、二撃目で派手に砕け散る。

 本来鳴るはずの警報は作動しなかった。モグラかおばさんか、どちらの仕掛けかは分からない。

 私は空手の突きを放ってきた男の腕を取り、そのままもろともガラスケースの中に突っ込んだ。下になった男の体にガラスが食い込み、血が噴き出る。私はケースの内側からガラスを蹴り、他の敵に飛ばした。急いで脱出し、ボクサーのあごに頭突きをかます。

 ひるまない相手の股間に一〇円玉袋を振り子のように打ち込むと、骨の砕ける音がした。直後にヤクザ蹴りがわき腹に命中し、吹っ飛ぶ。

 まだ二人しか殺していない。一四引く二は、一二人。一人三殺という話は何だったのだ。私は殺到して来るモグラ達に貧相な武器と拳を振るった。

 気に食わないことがある。

 モグラ達の目に光があることだ。

 私や双子やおばさんとは違う、自分を真っ当な人間だと信じている者の輝きがある。暴力団や臓器売買組織に潜入し、悪党と同じ所業に手を染めることが、誇り高いことだと言うのか。組織の全貌解明や検挙のためなら、悪事も名誉をまとうと?


「この手でカタギを泣かせたんだろうが!!」


 モグラの太い小指を握り、力任せにへし折る。

 悲鳴を上げる口に肘鉄をぶち込むと、誰かの拳が腹にめり込んだ。のぼってきた胃液を相手に吐きつけ、一〇円玉袋でこめかみを砕く。何人倒したか分からなくなってきた。

 組織に捨てられたからって、被害者面する公務員どもが許せない。悪党に最低限の道義があるとすれば、加害者としての自分を認めることだ。大義があれば悪事も許されるなどと思うのは、傲慢だ。

 私達は許されない。許される必要もない。

 潜入捜査官だったなどという過去は言い訳にならない。

 ヤクザだろうと偽ヤクザだろうと、悪事に手を染めれば等しく悪人だ。

 正義のヤクザなんぞ存在しない。

 月島のオヤジと同じだ。

 報いから逃れることはできない。

 私はいつの間にかへし折られていた右手で敵の目をえぐった。たぶん、七人目。


「そう、それで、半分」


 馬鹿でかい拳に頬骨を砕かれながら、その声を聞いた。何かが私達に浴びせられる。直後に全ての電球が消え、闇が降りる。真っ黒な視界に踊る、ケミカルグリーン。蛍光塗料だ。

 浴びせられた液体の正体に気づく私の耳を、むごたらしい絶叫が次々と突き刺した。

 なんて酷い女だろう。目の前に倒れる死体の喉を触ると、恐ろしく汚い傷口がばっくり開いていた。

 これは、ガラスで裂いた傷口だ。

 砕け散ったガラスを集めて、ダクトテープで持ち手を作れば、武器になる。

 ズボンに塗料がかかったモグラが、睾丸にガラスを突き立てられて、とんでもない声を上げていた。

 私は床に這いつくばったまま、虐殺の音を聞き続けた。やがて静かになると、おばさんが倒れた敵にとどめを刺して回り始める。

 私の番が来た時、耳にかかる吐息の出どころめがけて拳を打ち込んだ。中途半端な手応えの後、私の眉間に眉間がぶつかる。

 意識が遠のく中、目の前の顔が言った。


「眠りなさい。取って食いはしないから」



 闇を幾重にも越えて、やがて何のストレスもない場所に来た。

 浮遊感と、ささやかな快楽。モルヒネか違法薬物を入れられたと分かった。体中を縫われたり切られたりしている。意識的に呼吸をしようと試みるうちに時が経ち、そして急に視界が開けた。夜明け前の光が壁に落ちている。知らない部屋だ。

 北欧風の内装。ベッドから起き上がると、あばらが痛んだ。

 頬を触ると、ぎょっとする。とんでもなく腫れ上がっているのが包帯の上からでも分かる。あえいおあう、と発声すると、何の問題もなく喋れる。それがまた気持ち悪い。


「二ヶ月くらいで治るわよ」


 窓辺から声がした。椅子に座ったパジャマ姿の女が、古いカメラを構えている。「パチリ」とシャッター音を口にする相手に、私は自分も同じパジャマを着ていることに気がつく。

 白と黒の横縞模様。まるで囚人服だ。


「この手当ては?」


「外科医だった頃があってね。男の医者からのセクハラがすごくて辞めちゃったけど」


「……。よくも六人なんて……」


「許してよ。後始末は全部しておいたんだから」


 おばさんが椅子の背から、大きな瓶を取り出す。オリーブのシロップ漬けでないのはすぐに分かった。「捨てちまえ、そんな汚いモン」と毒づくと、おばさんが火のように笑って、窓を開けて本当に外に投げ捨てる。

 ドボンと水音がして、潮の臭いがした。

 窓の外は海らしい。おばさんが髪を風で揺らしながら、同属を見る狼のような目をした。


「美学を持ってるヒトゴロシは好きよ。あなたの美学を知れて良かった」


「美学なんか知らない。単に品性の問題」


「二年前、あなたを見たことがある。馬鹿な犬みたいにご主人様に媚びへつらって、尻尾を振ってた」


 品性なんて言葉は使いそうになかった。

 そう言葉を落とすおばさんの顔が、急に冷え冷えと硬くなる。

 潮風がどう、と強く吹いた。


「まるで他人を利用した自虐行為ね。陰惨で哀れな自分と生き写しの獅子森マリ。彼女が強大であればあるほど、幸せであればあるほど、自分にもこんな人生があったのかもと、錯覚できる。だから自分を卑しめてまで彼女を持ち上げる」


 おばさんが私を目で射抜いた。吐息が潮風に乗って届く。


「あなたは馬鹿じゃない。獅子森マリもそれは知ってる。ただ、あなたがそう言われると喜ぶから調子を合わせてるだけ。あなたと獅子森マリには異なる美点がある。だからあなたは、獅子森マリには絶対になれない」


「……専門は外科では? カウンセリングごっこは勘弁ですよ」


「まともな精神科医は相手の心を解剖して晒したりしないわ。そういうことをするのは、むごいエゴイストだけ」


 おばさんが薄笑みを浮かべ、立ち上がる。

 戸棚を開けて白い薬瓶を取り出し、私の足元に置いた。


「痛む時に三錠。一日二度以上飲まないこと」


「どっか行くんですか」


「ここ、私の家じゃないの。あと五日したら持ち主がやって来るから、それまでに消えてね。台所のテーブルにあるサンドイッチは食べて良いから。冷蔵庫の食料に手をつけると、痕跡を消すのに苦労するわよ」


 おばさんが部屋を出て行く。私は「ナマエハマダナイ」と呼び止めた。


「本名を教えないと、青シャツの旦那の前でもそう呼びますよ」


 おばさんが数秒黙り、首をゆっくりと、ゴキリ、と鳴らした。


「ておくれ」


「何が」


「名前よ。手遅れ、って言うの。私」


 後ろ姿が低く笑う。「未だ夢、とどっちが非道いかしらね」と言い残すおばさんに、私は焦って「非道い名前なんて、思ったことないのに!」と叫んだ。


 私はその後三日留まり、雨の降る明け方に家を後にした。

 私の持ち物は玄関に丁寧に置かれていて、スマホで位置情報を調べると、黒ホテルから一〇〇キロも離れたリゾート地だった。家の持ち主は下着会社の女社長。よく知らない金持ちだった。

 そう、それと、台所のサンドイッチ。

 パーティーでもやるのかってくらい大量で、具は一〇種類もあった。

 しかも、どう見ても、手作りだった。



「二枚くれ」


「こっちは一枚だ」


「君、手つきが良いな。もう一〇年も続ければ墓場の腕に追いつくぞ」


 ポーカールームから声が聞こえる。私と片目のサエコ、ニンギョの三人は、暖かい廊下で小さな椅子に座っていた。わきのテーブルには飲み物や煙草もある。

 私が煙草を取ると、双子がいつかのようにマッチと手を差し出してくる。件のゴボウのような男がマリ奥様に詫びを入れに来ているのだ。その結果が、月の刻印のチップを使ったポーカーゲーム。チップ一枚の額は、一億だ。きっとゴボウの顔色は冷水にさらしたみたいになっているはずだ。

「風なんか吹いてないよ」

 火を守るフリで私の頬を触ろうとする双子の片割れを、肘でつく。片目のサエコがこれ見よがしに煙草を取ると、マッチの箱がまるごとテーブルに放られた。「ゲッ、差別」と顔をゆがめる片目のサエコに、ニンギョがケラケラ笑う。ポーカールームから青シャツの愉快そうな声が響く。

 私は壁際の席に目を移した。手遅れのおばさんがじっとこちらを見ている。急に青シャツの周囲に姿を現し始めた彼女を、皆、ひそかに注視している。

 私は天井に紫煙を吹き上げ「ナマエハマダナイ」と唱えてみた。


「未だ無し……か」


 他の皆には怪訝な顔をされたが、当人には、うっすらと笑みを返してもらった。

 マリ奥様も含めた、そしてゴボウだけを除いた、ご主人達の笑い声が響き渡った。

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マリ奥様のおもちゃ達 真島文吉 @majibun

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