DAY5‐1 古いおもちゃ 前編

 小さな部屋に五人居る。老人が二人と、若者が二人、あとの一人はディーラーだ。ポーカールームは快適で、壁際に酒やチキンも並んでいる。

 ディーラーを含めた五人全員がセレブという話だが、一人だけ嘘をついている者が居る。

 嘘つきが誰かは、もはや他の全員にバレていた。


「一枚くれ」


 若い男がカードを代える。赤のストライプスーツを着た鼻の高い男で、堂々と落ち着き払っていた。配られたカードを見て、わずかに口の端を引く。

 そばに座った青シャツの老夫が「良い手が揃ったらしい」と笑った。もう一人の老夫が、セーターのそでをまくりながら笑い返す。

 最後の客の若い女が、薄く笑いながらチップを転がす。真っ黒なチップは、一枚二〇〇〇万円だ。客は全員勝負を受けた。

 若い男が口元を覆いながら「悪いな」とカードを明かす。

 一〇と六のフルハウス。

 強烈な役に、しかし他の三人は笑顔を崩さない。彼らが公開する手札は、どれもブタだった。フルハウスの勝ちだ。

 莫大なチップを勝ち取った若い男は、周りの視線にさっと顔色を変える。

 ディーラーを含め、皆、目は笑っていなかった。


「これは今夜、君が出した役のまとめだ」


 ディーラーが机の下から紙切れを取り出し、放る。ワンペア、ツーペアを中心に、フラッシュが何度か出ている。そして今のフルハウスだ。


「フラッシュが出る確率を知ってるかね。ドラマや映画じゃないんだ。そうそう派手な役は揃わない」


「神様のおぼしめしさ」


「皆分かってる。君はイカサマ師だ。そして真に裕福な人は余裕があるから、イカサマをしてまで勝とうとはしない。君は苦労して金持ちの遊び場に潜入した、ネズミだ」


「何の証拠があって……」


「そでにカードを隠してる。古典的過ぎて逆に誰も気づかない、はずだった」


 若い女が壁際のスコッチを取りに行きながら、すげなく言う。

 そでを押さえる若い男を、ディーラーがネズミをいたぶる猫の目で見た。白いベルを鳴らすと、部屋のドアが開いて赤いチョッキの男達が入って来た。


「待て! 俺は潜入捜査官だ! お前ら全員検挙するぞ!」


「万が一それが事実だとしても、関係ないね。潜入捜査官は実在するが、それをおおっぴらに認める組織など存在しない。殉職した潜入捜査官の家族のもとには、故人は重要な任務に就いていた誇り高い人でしたという告白だけが届く」


 しくじった捜査官を助ける者は居ない。

 ディーラーがあごをしゃくると、イカサマ師は部屋から連れ出された。遠のく怒声を聞きながら、青シャツの老夫が伸びをする。


「純粋なゲームより面白かったよ。彼には『チップ』をやりたいくらいだ」


「今夜の皆さんの負け分は弁償します。彼が勝たなかった回のぶんも」


「潜入捜査官というのは本当かねえ?」


「さあ、本当かもしれません。以前捕まえたのは本物のヤクザと見分けがつきませんでしたよ。言葉も行いもね」


「そこまで行ったら、潜入捜査官という名の犯罪者だな」


 ディーラーと青シャツが話している間に、セーターの老夫が黙って帰って行った。スコッチを口に含む若い女が、客用の象牙のベルを鳴らす。扉が開いて、唇を黒糸で縫った三十路女が入って来た。若い女が青いチップを手渡し、他の二人と遊んで来いと告げる。

 青シャツが出て行く三十路女の背を見ながら言う。


「良いのか。ボディーガードを先に帰してしまって」


「あれはおもちゃ。自分の身は自分で守れる」


「気をつけた方が良い。旦那は守れなかった」


 声を上げて笑う青シャツに、ディーラーが困ったような笑顔を返す。若い女が髪先をいじりながら、自分の席に戻った。


「サシで勝負を」


「正気か? もう四〇時間も寝てない」


「純粋なゲームは一度もしてないわ。四〇時間に見合うものを賭けましょう」


「何だ? 一〇億か?」


 獅子森マリが青シャツを見つめ、ふっと吐息をもらした。


「負けた方は自称潜入捜査官の飼い主を殺る。というのはどう?」


「獅子森くん。それは当カジノの役目だ。飼い主が居るかも分からん」


「良いじゃあないか墓場はかば、面白そうだ。ポーカーで賭けたものは必ず支払う。飼い主がとんでもない大物だったら、とてもとても面白い」


 青シャツの目の色が、炎を見つめるカラスのように燃え上がる。墓場はため息をつき、未開封の新しいカードを取り出した。



 ……で。見事マリ奥様が勝ってきたわけだ。

 イカサマ無しのストレートフラッシュ。ひどい話だ。

 私は最近加速してきた縫合癖がたたってハロウィンのコスプレみたいになっている。右の鼻の穴を縫おうとする私を力づくで止めながら、片目のサエコがマリ奥様に訊いた。


「奥様が勝ったんでしょ? なのに、なんであたしらが現場に行かなきゃならねんですか」


「イカサマ師は本当に潜入捜査官だったのよ。ただし警察官じゃない。平成中期に解散した組織の放った弾の生き残りだった。飼い主はとっくに引退して天下った、悪徳企業の相談役」


 ニンギョがマリ奥様の足の爪を塗りながら、首をひねる。


「青シャツの旦那なら、ワケない相手ね。旦那のトコにもワタシタチみたいなの、居るはずよ」


「そう。その『あんた達みたいなの』が気になるのよ。一度も見たことないわ。だから現地に行って、動画を撮って来てほしいの」


 私は片目のサエコと顔を見合わせた。右まぶたを縫合した私もいまや片目のミユだ。片目のサエコがマリ奥様に口をとがらせる。


「自分の仕事を盗撮されたら、どんなやつだってキレるんじゃないですかね」


「殺されないように気をつけてね。あんた達の代わりを見つけるのは、たぶん無理だから」


 ソファに寝たまま言うマリ奥様に、私達は何とも言えぬ顔をさらしていた。



 悪徳企業というのは、その界隈では有名なインチキ健康食品や水ばかり売ってるニセ科学系の会社だった。

 高い契約料を払って受信する映画チャンネルに大量にCMをはさむから、嫌われてる。しっとり感動映画の途中でいきなり汚い肥満腹やニキビ顔を映し、驚き屋の芸人を使って便秘や勃起の話を始めるから、私も大嫌いだ。

 ターゲットの相談役がもしCM内容に関与してるのなら、青シャツの刺客を全力で応援する。


「ミユ。毎回思うんだけど、あんたどうやって針の跡消してんの? 綺麗さっぱり過ぎて気持ち悪ぃんだけど」


 ビジネスホテルの窓際で双眼鏡を覗く私に、片目のサエコがピザをかじりながら言う。

 私の嫌いなパイナップルの載ってるピザ。

 双眼鏡から目を離すと、ちょうどシャワーを浴び終えたニンギョがジーンズとTシャツ姿で出て来た。机の上のピザの箱を見るや顔をゆがめ、サイドメニューの山盛りポテトを全部かっさらって行く。「私の食べられるものないの?」と愚痴ると、二人が顔を見合わせる。


「双眼鏡が油でベトベトになるモンしかないよ」


「じゃあ代わってよ! 次はサエコの番じゃん!」


「でもこのピザ、あたししか食べないからアツアツの内に片付けないと……」


「こっちに焼きおにぎりタコスってのがあるね。焼きおにぎりとチキンとセロリが入ってる」


 ニンギョがケチャップのかかったタコスを渡してくる。手は汚れずに済むが、わけの分からない味がした。チキンは照り焼きだ。

 双眼鏡を構え直すと、ターゲットが芝生の上でストレッチを始めていた。極めて健康的な老人。毎朝自然公園を一時間以上走ったり、他人の犬とたわむれたりする。

 毎朝……毎朝?


「なんで朝っぱらから出前ピザなのさ! もっとあっさりしたの食べたい!」


「ここら辺、ファーストフード店しかないんだよ。コンビニすらない。ファーストフード以外を食べたいなら悪徳企業の系列の自然食レストランに行くしかない」


 どうりで最近ピザやハンバーガーばかり食べてると思った。

 私はレンズの中で走り回る老人を憎々しく見つめる。運動を終えたら会社のレストランで食事、最上階のオフィスに数時間こもり、帰宅。一日中この窓の風景の中で生活している。

 会社も自宅も同じ区画だ。だから私達も外に出る必要がない。


「ね、アレ、何だろう?」


 ニンギョが隣に立ち、窓を指でつつく。双眼鏡を動かすと、公園の入り口をまっすぐターゲットに向かって進む人影を捉えた。

 なんというか、ものすごく、デカい。身長は明らかに二メートル以上あるし、綿パンとピチピチの長そでシャツを押し上げている筋肉は岩のようだ。


「あの体、格闘技やってるね。背中に墨しょってるの、うっすら見えるし。青シャツの旦那のおもちゃ違うか?」


「……いや、たぶん関係ない。顔面全体でオラついてるけど、目が人殺しじゃない」


 ただの一般人の馬鹿だよアレ。

 私はレンズの中の男を見つめて言った。

 安い染料で染めた茶髪に、剃った眉毛。危なそうだが、セレブに飼ってもらえるほど魅力的じゃない。俺は強えんだぞアピール全開の歩き方でターゲットに向かって行く。

 ターゲットの護衛の男三人が、一〇〇メートルも手前から警戒して位置についた。体格で劣るが、おそらく三人の方が強い。

 ターゲットはなでていたゴールデンレトリバーから手を離し、飼い主のおばさんを背に守った。カッコいいけど、一〇〇メートルもあるんだからそのまま逃がすべきだろう。おばさんは五〇代前半。上品そうだが一見して特徴のない、普通のおばさんだ。私は双眼鏡の倍率を上げた。


「あっ、ヤバ」


「どしたか?」


「カメラ持ってきて。もうすぐターゲット死ぬから」


 片目のサエコが手も拭かずに高性能カメラを抱えてくる。レンズを公園に向け「刺客はどこだ!?」と問う。

 私は犬の飼い主のおばさんを指さした。


「ほら、人殺しの目」


 おばさんは私達が張り込んでから毎日公園を散歩していた。ターゲットが気を許して犬をなで出したのは、ほんの三日前だ。他にも犬をなでさせている飼い主は無数に居た。だから気づかなかった。


「男が三〇メートルに入ったぜ。どうする気だろう」


 俺は強いんだぜアピールをする男が、走り出した。三人の護衛が戦闘体勢に入る。勇敢だが、護衛としては失格だ。戦うのは一人で良い。他の二人は主人を守るべきだった。ターゲット本人まで空手の構えを取っている。

 走る男が、おばさんを意識したのが分かった。グルだ。

 おばさんの手際は見事だった。コートの内側からアイスピックのようなもの、おそらくはマイナスドライバーを研いで刃物にした凶器を抜き取り、背後からターゲットの延髄を破壊した。

 そのまま犬を放り出して逃走する。護衛と対峙した男の方は急停止し、おばさんが逃げ切るまで挑発に徹する。


「あのレトリバー、盗品かな。こんな手もあるんだなあ」


「男が逃げるね。護衛、今頃ご主人の死に気づいてるね。三人まとめて人生終了よ。気の毒ね」


 私は双眼鏡を目から離し、窓を拳でノックした。窓にはターゲットに気づかれぬよう、高性能の目隠しフィルムを貼ってある。外から部屋の中は見えないはずだ。

 なのに。私は髪をかきながら息をついた。


「あのおばさん、こっちに気づいてたな」


「……マジ?」


「刺す時、一瞬私を見た」


 ヤバいよ、あれは。

 私達は数秒の沈黙の後、急いで部屋を引き払いにかかった。

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