慈悲の心

「あ、な、な? は?」


 揺れる中、カレン、言葉を失って口と目をぱちくり、惚けている。


 無理もないこと、あれだけ無礼を働いていたのがまさかまさかの希少な本物エリィートの大活躍を近距離で目撃出て驚愕、同時にこれまでの行いを今更ながら後悔していることだろう。


 凡人が犯しやすい間違いの筆頭はエリィートを過小評価すること、だがそれらはエリィートにとっての日常茶飯事、未熟な凡人を許すのもエリィートにとってはいつものことなのだ。


「よろしい、謝罪と賛美の言葉、受け取ろうじゃあないか。遠慮なく申したまえ」


 ほんのちょっとだけ流れた額の汗を手の甲で拭いながらエリィート、慈愛の笑みを浮かべてカレンの言葉を待つ。


「す! す! すー! すすす!」


 そこに割り込んできたのはチビだった。


 構ってほしいのか、このエリィートの前に飛び出ておどけて、かと思ったら振り返り海の方を、倒れたマストの先を、このエリィートがいない方向を全身全力で指さしている。


「おい、ありゃ、見間違いだよな?」


「まじかよ何でこんなとこに!」


「おいおいおい冗談じゃねぇぞ! なんであんなバケモンがこんなとこにいんだよ!」


 その指さしに引っ張られる凡人たち、エリィートバケモノ扱いしておきながら次々にその目線を、このエリィートではなく海の方へと向けていく。


 エリィート、無視されるのは好きくない。


 ざばああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 そのエリィートの目の前で、チビが指さした先、海が泡立つや割れ、そして巨大な水柱がそそり立つ。


 その長さ、太さ、高さ、どれも今しがた切り倒したマストよりも長く、太く、高い。


 長らく海中にあったらしく表面には藻が張り付き、それが海水と共に流れ落ちる表面には、ぬめりけのある赤黒い光沢と規則正しく並ぶ、チビの鍋よりも大きな吸盤だった。


 そしてそんな水柱が倒れ、そして切り倒されたマストに絡みついた。


「……クラーケン」


 カレンが呟いた水柱の主の名は、当然エリィートだって知っている。


 クラーケン、そうクラーケン、島ほどの巨体な海洋生物、遭遇したらほぼ死ぬため、長らく伝説扱いされ続け、研究もはかどらず、現在でもタコなのかイカなのかさえもはっきりしてない。わかってることは、深海に潜み、鯨を喰らい、時に船舶を引きずり込む、現代に生きる伝説のモンスターだ。


 けれどもエリィートの知識が正しいので、眼前の光景に疑問が浮かぶ。


 これだけ巨大な触手は、幻でもない限り間違いなくクラーケンだろう。そのことにこのエリィートとて、疑問の余地はない。


 しかしそのクラーケンがここにいることに、鋭いエリィートは疑問を感じる。


 クラーケンの生活圏は深海、餌を求めて浮上してくることはあってもそれはあくまで上下移動、巨体故に海流に負けることもなく、なので結して深い海から離れることはない。


 対してここ、内海は深海と呼べるほど深い海域はなく、ましてやここら砂浜近くの浅瀬に、餌もないのに生きたクラーケンが現れるなど聞いたこともない。


 不思議、だがこれは現実、そして一つはわかった。


 この橋を造ったのはやつだ。


 理由はまだエリィートにもわからないが、それを証明するように、今、目の前で太い触手がマストを海中へと引きずり込む。さらに複数の触手を追加で海面に伸ばすや、こちらの橋に、甲板に叩き乗せてきた。


 ドッゴーン!


 揺れを加速させる衝撃、続いてメキメキともバキバキとも聞こえる破壊音立てて、打ち上げられた難破船が、クラーケン待ち構える海中へと丸ごと引きずり込まれようとしていた。


 途端、これまでの比ではない大混乱、その中でエリィート、これが何を示すのか、因果は不明ながら、このエリィートに何が求められてるかを素早く感じとった。


「す! す! す!」


 エリィートの目の前で両手バタバタ動かすチビ、その背後で他の凡人やら黄色い鎧やらカレンやらがあちらへこちらへと逃げ回っていた。


 彼らが求めること、それは現状打破、即ちモンスター退治、クラーケン殺しなのだ。


 あれほどの巨大生物相手に、凡人ならいくら集まろうとも無謀、だけれどもエリィートならば、このハルバードと一緒ならば、それが可能なのだ。


「にげ! にげ! す!」


「あぁわかってる、任せておけ」


 高鳴る胸、はやる気持ち、落ち着かせながらもエリィート、構える。


『フラッグ・アックス・スタイル』


 頭上の高々と掲げたハルバードを旗に見立て、敵陣へと特攻放つ捨て身必殺の構え、狙うはすぐそこに横たわり、難破船を捕らえてる触手の一本へ、ただただ集中する。


 近くで見ればやはり太く、そして凛々しい一本、硬さと弾力兼ね備えた肉の柱、さりとてエリィートが誇る最大攻撃力、大上段からの一撃ならば、両断も不可能ではない。


 それでまず一本、そこから次々に切り取っていて、引き裂き、潜り込み、足を全部奪い去り、止めに首を刎ねて高々と掲げるだけだ。


 あぁ聞こえる、見える、感じられる。


 死闘の果てに海に浮かぶクラーケン、誰もが生存を諦める空気の中をさも当然のように帰り着くエリィート、誰もが感涙に膝をつき、そしてこの橋この場所は聖地となり、付近の村と町にはこのエリィートの銅像と記念碑が立ち並び、いつか発明されるであろう凡人用クラーケン退治の方法には『エリィートスタイル』と名付けられ、武勇伝は劇場版に、そして千年先まで子供のあこがれを独占し続けるのだ。


 さぁ、伝説を始めようではないか。


 ズキリ。


「あへええええええええ!!!」


 雰囲気、健康、やる気、己忌々しい頭痛が何もかも奪っていく。


 ……別に、今すぐ伝説を作る必要もない。


 橋も崩れる。


 それにクラーケンは不味そうだ。


 ならば慈悲を見せる。


 エリィートは無駄に野生動物を殺さないものなのだ。

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