第3話 殺戮機械が あらわれた!【完結】

 佐塚はポケットのカッターナイフから手を離すと、デスクの端に貼られた付箋に目を走らせた。その内容で大体の状況が掴めた。


「課題の提出がまだのようですね、新美にいみ芽生めいさん」


 この女生徒――新美は宿題を提出していないのだ。それを注意するつもりで呼び出したのだろう。佐塚の言葉を聞いて、新美は露骨に嫌そうな顔をした。


「私もいろいろ忙しいんです、部活にバイトに。前から思ってるんですけど、古典なんて勉強して何の意味があるんですか? 私、大学受験に古典使うつもりもないですし」


 開き直ったように言う新美。佐塚は無表情だったが、隣で聞いていた花菱が目を吊り上げた。


 佐塚はふむと呟くと、本立てにあった『古典B』の教科書を取り出し、パラパラとめくった。


「肉は脆い」


「は?」


 唐突な佐塚の言葉に、新美は包み隠さぬリアクションを返した。

 

「私のように機械の体を持つ者は、部品を変え続ければ長い時を生きることができます。一方、肉の体を持つ人間の命は儚いものです」


「何の話ですか?」


 新美は眉をひそめる。

 

「しかし」


 佐塚は教科書を置いた。


「この書物に載っている作品は、数百年という時の中で存在し続けています。それを生み出した人間の肉体が滅びてもです」


 佐塚が新美を見据える。


「機械の体を持つ私も、私という存在が滅されればそれで終わりです」


 無敵の殺戮機械キリング・マシンであっても、滅びの運命から解き放たれた存在ではない。


「だが、これらの作品は違う。生あるものの意志が、別の形となって永遠の時を渡ろうとしている。それを尊いと思いませんか」


 佐塚の問いかけは、ますます新美を混乱させただけのようだった。


「先生が言ってることは意味がわかりません。授業があるんで失礼します」


 新美は適当に頭を下げるとさっさと職員室を出ていってしまった。花菱が「ちょっと」と言いかけた姿勢のまま固まっている。


「いやー、含蓄に富んだ話だったねぇ」


 大山崎は顎に手をやって微笑んでいる。


「知り合いの吟遊詩人の受け売りです」


 佐塚は淡々と答える。

 隣ではぁと花菱が溜息を吐いた。


「私は佐塚先生が心配です。本当に大丈夫ですか? 機械の体とか、吟遊詩人とか……相当ストレス溜まってません?」


「特には」


 実際、肉体には何の負荷も掛かっていない。


「この前のメンタルヘルス研修で講師の方が言ってたもんねぇ。『教員が受けるストレスは戦場の兵士と同レベル』って」


 大山崎が気楽に言う。


 この仕事が『戦場の兵士と同レベル』というのは、佐塚には首肯しがたかった。今のところ、気が狂った冒険者に呪殺爆弾を投げつけられることもなければ、仮面を付けた魔術師集団に氷結呪文で建物ごと結晶化させられることもない。やったことと言えば、鳩サブレーとかいう美味い菓子を食べたことだけだ。平和そのものだった。


「悩みとかないですか?」


 心底心配そうに花菱が佐塚の顔を覗き込む。


「そうですね――強いて言うなら、自分がなぜここにいるのか分からない」


「めっちゃアイデンティティクライシスに陥ってる!!」


 花菱が仰け反った。


「佐塚先生、ご飯行きましょう! ご飯! 美味しいもの食べましょう! ね?」


 花菱は目をうるませて佐塚の手を取ると、ぶんぶんと振った。 


「お気遣いなく。肉の体は初心者ですが、カロリーは適切に摂取しようと思いますので」


 そういう問題じゃないですよ! と頭を抱える花菱の隣の椅子に、大山崎が腰掛けた。


「なぜここにいるのかねぇ」


 物思いにふけるように呟く大山崎。その表情は、かつてデイテイエン高原の岩壁でガイガーンと言葉を交わしたときのことを思わせるものだった。ガイガーンは機械の体を持つ自分とも、別け隔てなく接してくれる男だった。


「私もこの歳になっても、まだまだ悩んでるよ」


 ガイガーン――いや大山崎は続けた。


「子供っていうのは本当に素晴らしいよ。可能性のかたまりだ」


「でも、さっきの新美さんの態度は酷かったと思います。私が注意すればよかった……」


 しゅんとした表情で花菱。


「はははは。まぁ、叱るべきだったとは思うね、花菱君ではなく佐塚君がね。しかし、ああいう態度も含めて素晴らしいんだよ、あの子は。彼女はね、先回りの後悔がないんだ」


 大矢崎は人差し指を立てると、佐塚と花菱に講義するように言った。


「もしこれをして失敗したら未来の自分は後悔するだろうな、だからやめておこう……なんてことは考えていないんだ。遠い未来の自分がどう考えるかなんて知ったこっちゃない。それがいいんだよ。私達にそんなことができるかい?」


 佐塚の横で、花菱がうーんと唸る。困っているその姿を見て大矢崎は笑った。


「もし仕事をサボってトラブルが起きたら後悔するだろうな、だからサボらないでおこう……経験がそれを教えてくれるんだよね。でも、そんなのことばっかり考えてるから私達は山程仕事を抱えることになる」


 で、過労死すると大山崎が笑う。


「サボりたきゃサボれってことですか?」


 そんなこと生徒に言えないですよと花菱が唇を尖らせる。大山崎は肩をすくめると、


「本当にやらなきゃいけないことだけやれってことさ。子供の頃は無意識にそれが出来てたんだよなぁ。あ、花菱先生。遠足の行き先アンケートの結果、まだもらってませんよ」


「ゲッ、忘れてた」


 花菱の顔が青くなる。そしてデスクの上の書類をひっくり返し始める。


「ふむ」


 佐塚は肉の体を持つ人間の、その生涯の刹那さに思いを馳せた。短い時を生きるからこそ、時に愚かに見えるその瞬間その瞬間の行動に、輝きが生まれる。それは、決まり切った未来に収束しない、不確実性が持つ輝きだった。


「子供は宝だよ、佐塚先生。何があってもあんまりネガティブに捉えずに、彼らをありのまま愛してやろう。まあ、最悪なことになる前にフォローはしてあげないといけないんだけどね」


「ありがとうございます、ガイガーン殿。貴殿の話はいつも為になります。二人で戦場を駆けた『赫の断崖』の撤退戦の時のことを思い出しました」 


「わはははは。よく分からんけど私、褒められてるんだよね?」


 あくまでしらばっくれる大山崎を見ながら、佐塚は彼の言葉を胸の中で何度も繰り返した。実際に口にも出してみる。


「子供は、宝」


 荒削りな魔力石を太陽にかざしたときのような、不規則な反射光。その瞬間を生きる者が放つ、ランダムな輝き。角度を変えれば、それはさらに無限に変化していく。


「なるほど」


 佐塚はからっぽだった胸に、何かが満たされ始めるのを感じた。


 休み時間が終わり6時間目が始まると、佐塚の周辺からは人がいなくなった。自分以外の二年生の教員は皆授業らしい。佐塚は時間割表を見ながら、帰りのHRの時間を待った。窓の外では小鳥が木にとまって可愛らしい声で鳴いている。この学校は自然が豊かだ。


 と、そこに。


 けたたましい音と共に、誰かが職員室のドアを開けた。それは若い男の教員だった。走ってきたらしく、息も絶え絶えだった。目を見開き、職員室中に響き渡る声で叫ぶ。


「はっ、は、刃物を持った不審者が校内に!!」


 その瞬間、佐塚は駆け出していた。


 校長らの席の背後に架かっていたを手に取ると、デスクからデスクへジャンプしながら最短距離で移動し、知らせに来た若い教員の前に立った。佐塚はうろたえるその若い教員の目をじっと見て、


「分かりました。鏖殺します」


と宣言し、職員室を飛び出した。


 廊下に出ると生徒の悲鳴がこだましていた。佐塚は逃げ惑う生徒の流れから、現場の方向を鋭く予測して風のように走り始めた。血の匂いはしない。まだ誰も傷付けられてはいないようだ。

 佐塚は走り出してから、自らの戦闘スキルが転生前とほとんど変わらず継承されていることに気づいた。


 ――ヤバいヤバい怖い怖いヤバい頭おかしいヤバいって怖い死にたくない怖い怖い二階の講義室だってヤバいヤバいヤバいよ怖い怖いって怖いよ死にたくない死にたくない社会の選択授業の怖いヤバいヤバいって殺される殺されるおかしい死にたくない――


 すれ違う生徒をひらりひらりとかわしながら、その口から漏れる恐怖と混乱に満ちた言葉を聞き取る。現場は社会の選択授業が行われている二階の講義室だ。


 目的の教室の前は既に人気がなく静まり返っていた。佐塚は教室の横を走りながら、すりガラス越しに中の様子をうかがった。ドアから入っている余裕はない。佐塚はためらわずにその場で踏み切って身を躍らせると、すりガラスをぶち破って教室に侵入した。


 破砕音と共に教室に飛び込んだ佐塚は、ガラスが体に刺さるのも構わずに床を転がって、敵の前に立ちはだかった。


「な、なななな、なんだお前は!」


 刃物を持った男が目を剥いてあからさまにうろたえていた。手にしているのは包丁だろうか。ちんけな武器だ。


「何が目的ですか」


 額から流れる血にも構わずに、佐塚が男に問うた。その言葉を聞いたからか、男は冷静さを取り戻したようだった。男は口の端を吊り上げて芝居がかった笑みを作る。


「は! ガキを道連れに死ぬんだよ! 自分がいかに恵まれてるかも分かっていないクソガキ共をよ! 俺は無敵だからな、何やったって怖くないんだ!」


 男が包丁を振り回す。何の流派ということもない。ただ闇雲に振っているだけだ。


「無敵ですか」


「おお、俺は失うものなんて何もねぇんだよ! 無敵だ!」


「奇遇ですね。私もよく無敵だと言われます」


 男が「あ?」と疑問符を浮かべる。


「子供達の命が目的ですか」


 男はニヤニヤと笑うばかりで答えない。佐塚はそれを無言の肯定と受け取った。


「他のパーティーのメンバーは?」


 鏖殺みなごろしと言って職員室を飛び出してきたが、見たところ侵入者はこの男一人だった。冒険者なら四人一組がセオリーだが。


「はあ? パーティーはもう始まっちゃってるんだよ!」


 要領を得ない男の回答。他に誰かが隠れている様子もない。ソロか。


「佐塚先生!」


 後ろから声がした。佐塚が横目で後ろを見ると、教室の隅に固まった子供達を守るように、花菱花江が震えながら立っていた。両手を広げて精一杯敵を威嚇している。

 そのすぐ後ろで、新美芽生が床に座り込んでいた。恐怖のあまり失禁している様子だった。


『教員が受けるストレスは戦場の兵士と同レベル』


 なるほどと佐塚は納得する。


 そして、ある言葉が佐塚の胸の中に湧き上がってきた。それはかつて、あちらの世界で何度も口にしてきた言葉だった。身の程を知らない愚かな冒険者どもを震え上がらせてきたその言葉。その言葉が自然と佐塚の口からこぼれた。


「もし宝が欲しいなら、この私を倒してからゆくがいい」


 子供達たからに手出しはさせない。

 佐塚はジャケットのポケットからカッターナイフを取り出した。


「トチ狂ったこと言ってんじゃグブェ!」


 佐塚がさすまたを腹に突き込むと男はあっさり嘔吐した。男は目を白黒させて、手にした包丁を振り回す。殺戮機械キリング・マシンを相手にするならせめてバスタードソードでも持って来いと言いたかった。

 男は意味のわからない言葉を叫びながら包丁を佐塚に投げつけた。身をかわせば花菱に当たる。佐塚はその一撃を甘んじて受けた。血が吹き出す。なるほど、これが肉の体。


 だが、そんなことでは殺戮機械キリング・マシンは止められない。


「佐塚先生!」


 悲鳴のような花菱の絶叫が聞こえた。

 佐塚はカッターナイフの刃をチキチキとひねり出す。


「分かっていますよ花菱先生」


 佐塚はカッターナイフを構え、床を蹴って男に飛び掛かった。無慈悲な斬撃の群れが男を襲う。目にも止まらぬ早業。それはまるで竜巻だった。男の周囲にあった黒板や教卓も巻き込まれて切り刻まれていく。床に、天井に、ガラスに鮮血が飛び散る。なにもかもがバラバラになる。


 そんな殺戮の時間は、わずか数秒だった。


 全てが終わり男が床に倒れる。


 男の衣服や髪は切り裂かれてズタズタにされていた。だが、よく見ればその体には傷一つ付いていない。飛び散った血は、全て佐塚自身のものだった。

 あまりの恐怖に気を失ったのか、男はピクリとも動かなかった。


「殺したら駄目ですよ――と言っていましたからね」


 佐塚はカッターナイフの刃を収めると後ろを振り返った。花菱と生徒たちは、この世のものとは思えないものを見たかのように呆然としていた。


 佐塚は無事に宝を守ることができた満足感に浸った。そして、自分がこの世界に来た意味を、改めてその魔力石のない胸に刻んだのだった。


 その後、警察で取り調べを受けた男は「あんな"本物"がいるなんて思ってなかった」と意味不明な供述をしたという。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 魔王軍の宝物庫『バルビュイユの大穴』は今日も平和だった。

 無謀にも忍び込んだ冒険者一行は、その絶対的な財宝の守護者の前に、あっけなく蹴散らされて逃げ帰っていった。


「ロブも変わったねぇ」


 額に角の生えたウサギの魔物――アルミラージがしみじみと言う。


 『大穴』の第69層にある大広間の真ん中である。そこには宝物庫の守護者たる一体の殺戮機械キリング・マシンが佇んでいる。四本の足に四本の腕、二本のサーベルと一振りのハンマー、そしてクロスボウで武装したその機械の魔物の足元には、立ち耳、垂れ耳、白に黒に茶色と、たくさんのアルミラージが群れていた。


「性格も穏やかになったし、全く人間を殺さなくなった」


 別のアルミラージが言う。


「ロブは前から優しいよ」


 まだ角の短い子供のアルミラージがぴょこんと跳ねながら言った。


 ロブと呼ばれているその殺戮機械キリング・マシンは、魔力の籠もったガラスが嵌め込まれた大きな単眼を赤くピカピカと光らせながら、


「必要なければ殺さないよ」


と言った。


「ねぇねぇロブ、お話して」


「ロブのお話、ぼくも聞きたい」


 子供のアルミラージ達が、ロブの金属製の足に鼻先を押し付けて、つんつんとつついた。


「絵巻物はあるかい?」


 ロブが穏やかな声で言う。子供たちに読み聞かせをするときにいつも使っている絵巻物があるのだ。それはいつだったかの冒険者が落としていったものだった。


「あれはもう飽きちゃった」


 茶色い垂れ耳のアルミラージが黒い目でロブを見上げる。


 ロブはしばらく思案するとまた目をピカピカと光らせた。


「じゃあ、こことは違う、遠い世界の話をしようか。最近ちょっと、思い出したんだ」



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異世界転生した俺の代わりに魔王軍最強の殺戮機械が現世に送り込まれていたんだが たぬき85 @shimizu_n

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