第10話 第一層の探索

 四回目の探索が始まった。


 月盾は今まで三回だけ遺跡を探索してきたが、三回とも無計画に歩き回るだけだった。


 一回目は怯えながら住宅に侵入して、回転翼音が近くで聞こえなかったので夕方まで室内を調べた。


 背負い鞄は衣服と皿で埋まり、成果があったと信じたが買取所に持ち込むと買取価格は僅か二千二百紅銭である。


 落胆していると、買取所の職員は月盾に白薔薇遺跡で収集できる遺物の過去買取額の一覧表を送信してくれた。


 高額で販売できる高価な遺物を携帯端末で確認すると、二回目は安価な遺物を避けて第一層を探索した。

 結果、四千紅銭ほどの収入を得た。


 しかし、四千紅銭は労働者が稼いでいる日給の半分である。





 三回目は白薔薇遺跡に入る途中で自律軽戦車に遭遇した。


 目の前の木が砲撃で破裂する光景を見て、正直、月盾は探索士を辞めたいと思った。


 白薔薇遺跡の第四層以降に見える摩天楼を見て、上層で高価な遺物を収集したい、一度で大金を手に入れて直ぐに乙位者になりたいと思った。


 もちろん、それは向上心から生まれた思いではなくて、夷狄の砲撃を目の当たりにして、もう恐い思いをしたくない、一日でも早く探索士という危険な仕事を辞めたいと願ったからだ。


 月盾は臆病な少年だった。


 四千紅銭を稼ぐだけならば貧困街の奉仕活動に参加するだけでも可能で、もし分離壁の内側で暮らす夢がなければ探索士活動から逃げ出していた。




「大丈夫よ、少なくとも一時間は夷狄も探索士も来ないわ。私が見張っているから安心して遺物を収集しなさい」


 月盾は赤筆で丸印が付けられた最初の収集場所に到着した。遺跡は路地から室内まで監視装置に満ちている。


 監視装置により撮影されると、映像も音声も白薔薇遺跡の情報空間で保存される。


 黄金姫は情報空間に接続して周囲の状況を完全に把握していた。


 天気から虫の一匹にいたるまで黄金の瞳が知る所だった。


 月盾が携帯端末の画面を見ると、周囲の夷狄の位置情報が表示される。


 収集する遺物の写真も表示された。侵入したのは集合住宅の一室だったが、指示に従い書斎から探索を開始する。


 月盾は指示に従い、薔薇の絵が描かれている花瓶や銀製の万年筆を収集した。


 純銀の万年筆は一本十五万紅銭で販売できると黄金姫は言った。




「よしよし、最初の場所だけで四十二万は期待できるわね」


「思ったのだけど」と月盾は恐くなった。「まだ残りが七カ所もあるよね。稼ぎ過ぎだと思うのだけど」


 花瓶を除くと収集した遺物は体積も重量も小さいものばかりで、背負い袋にはまだ十分に余裕があった。


 月盾は思い切って提案した。


「ねえ、黄金姫。収集した遺物を拠点で保管して、それで一日当たりの販売額を八千紅銭前後に調整できる? 四千紅銭しか稼げなかった探索士が、夷狄に監禁された後で突然に三十万も遺物を買取所に持ち込んだら絶対に疑われる。間違いなく、ぼくは黄金姫と通じていると思われる」


 しらばくして、指輪から黄金姫の声が聞こえた。


「それもそうね」


「それで可能なの?」と月盾は尋ねた。


「可能よ」と黄金姫は答えた。「冷静に考えたけど、月盾の作戦が正解ね。今、可能な限り高価な遺物から先に回収するようにしているの。だから、三カ所目から四カ所目になると成果も乏しくなるわ。まだ午前中よね。次の場所で遺物を収集したら、拠点に戻ってきてくれないかしら」


「了解した」


 月盾は念のために回転翼音を確認して室外に出た。携帯端末に夷狄反応はなく、実際に夷狄はいなかった。


 午前中は合計二カ所で遺物を収集して、第二層にある拠点に戻った。


 収集した遺物を食卓に並べると想像以上の量がある。


 夷狄を気にせずに一心不乱に収集したので、短時間で十分な量が集まっていた。


 時計を見ると十二時三十分。


 今日は拠点で椅子に座って弁当を食べられる。


 前回までは第一層の物陰に隠れて弁当を食べていたが、周囲を警戒しながらなので味がしなかった。




「想定外の事態を想定していたのだけど」と黄金姫が言った。「想定外の事態が起きないとは想定外だわ」


「どのような事態を想定していたの?」


 月盾は弁当を食卓に置いて尋ねた。

 黄金姫は宙を見つめながら答えた。


「謎の暴力団に襲われたり、規則を守らない夷狄に攻撃されたり、月盾が指示を無視して勝手に行動して夷狄に囲まれたりする事態を想像していたわ。過激思想に汚染された戦闘集団に襲撃される可能性もあれば、白薔薇が意地悪して目的地に目当ての遺物がない事態も十分に想定できたわね。でも、実際には理論上の最短時間で、安全に、狙い通りの高額遺物を収集できたわ」


「それなら安心だけど」


 黄金姫は月盾が食卓に置いた弁当を見た。


「唐突だけど、弁当を調べても良いかしら? 気になるのよね」


 月盾は嫌がった。


 食料配給所で配給されている無料弁当とはいえ、食べれば満足できる毎日の楽しみでもある。


 しかも、今日は月盾の好物である唐揚げ弁当だった。


 食事ができない夷狄に渡すのは抵抗がある。


 しかし、黄金姫が台所から茸と醤油の伊風麺と生野菜を給仕すると、冷めて固くなっている唐揚げに対する興味が急速に薄れて、月盾は弁当の半分を黄金姫に譲った。


 米、唐揚げ、煮物、卵焼き、漬物。

 黄金姫は弁当の献立を種類別に保存袋に入れた。


 そして、若鶏の唐揚げ一つを銀色の肉刺で串刺しにすると、口を開けて一口で食べた。



 月盾は驚いて尋ねた。


「黄金姫は食事ができたの?」


「見た目は以前と同じだけど、今の私は以前とは別の身体なのよ」と黄金姫は唐揚げを咀嚼して飲み込んだ。「月盾の食事を見ているだけなのは退屈ですからね。だから、白薔薇にお願いして新型を製造して貰ったのよ。人間と同等の五感と食事能力、完全防水で体重も四十八キロと軽量よ。戦闘能力は落ちたけど、人生を楽しむための能力は前の身体よりも遙かに上だわ」


「戦闘能力が高い方が良いと思うけど」と月盾は呆れた。


「それにしても無料弁当なのに悪くはないわね」と黄金姫は月盾の意見を無視して、食事の感想を述べた。「貧困街で無料配布されている弁当だと聞いていたから、怪しげな材料を調理した危険物だと思っていたけど。危険物質も毒物も含まれていないし、味もそれほど悪くはないわ」


「そうなの?」


「強いて言えば、旨味調味料と酸化防止剤くらいかしら。でも、労働者階級は全員が似たような食事をしているから問題ないわ」


 黄金姫が教えてくれた無料弁当の真実は、月盾には驚きだった。


 食料配給所で配給されている弁当は例外なく危険物質が含まれていて、貧賤は都市が危険物質の毒性を調査するための実験動物にされていると噂されていたからだ。


 無料で配布している以上は別の場所で利益を得ているはずである。


 それは治験だった。


 だから、朝の麦焼と昼の弁当、夜の弁当には研究物質が含まれていると小建世界では誰もが信じていたし、月盾も自分は治験用に生かされている実験動物だと思っていた。


 しかし、それでも無料で食事ができるので誰もが感謝していた。




 ところが、黄金姫の調査によると弁当に危険物質は含まれていない。

 要するに、目的は治験ではない。


「どうして、食料を無料で配給しているのだろう?」


 月盾は弁当を食べながら疑問を口にした。黄金姫は肩をすくめた。


「暴動防止ではないかしら。食事に満足している者は人生に満足しているものよ。帝錦都市の権力者を倒さなければ自分達は死ぬと思えば、小建は死を恐れずに団結して武力革命を起こすでしょうね」


「都市に? 無理でしょう」


 月盾が笑うと、黄金姫は目を細めて言った。


「無理だと思わせるのが、食料と衣服を配給したり、無料大浴場を建設したりしている理由なのでしょうね。突撃銃で武装した革命軍と戦うよりは、貧困街の福祉を充実させる方が低予算なのよ」


 黄金姫の声には怒りが含まれている気がした。

 月盾は慎重に尋ねた。


「それは良い事、それとも悪い事なの?」


「良い事よ。誰にとってもね」と黄金姫は即答した。「背景はともかく、結局、人は生きるために生きているのだから死が遠いのは良い事よ。月盾だって他人を殺すために革命に参加して殺されたくはないでしょう。抑圧者にも被抑圧者にも、貧困が存在するとは避けるべき状況であって、貧困の存在を肯定するのは自殺志望者か破滅主義者、あるいは貧困を利用して他者を支配したい小人だけよ。だから、月盾は貧困は自主性を育むという意見を信頼しないで」


「分かった」


 月盾は生野菜を食べながら答えた。

 黄金姫は微笑んだ。


「精神的豊かさは物質的豊かさから生まれる。それは真理よ。さあ、午後も元気に探索を頑張りましょう」


 昼食を終えて、月盾は再び第一層に出発した。

 伊風麺は美味しくて、月盾は元気になり遺跡探索にも熱心になった。


 探索範囲は拠点の近くであり、遺物を収集して鞄が満杯になると拠点に戻り黄金姫に渡した。


 黄金姫が周囲を警戒していたので、月盾は彼女を信じて走りながら移動した。


 目的地の家に侵入すると、熟練した強盗のように目的の遺物を手際良く収集する。


 四十分程度で指示された遺物の収集作業を終えると、他の遺物は無視して次の拠点に向かって駆け出す。


 以上の作業を繰り返して、十六時になると百万紅銭以上の遺物が集まった。



 拠点に戻ると、月盾は麦茶を飲んで椅子に座った。


 疲れていたが、一日で一年分の遺物を収集できたと思うと晴れやかな気分になった。


 黄金姫が遺物を適切な販売価格に抑えながら鞄に詰めた。


「検討したのだけど、今日は二十万紅銭分を販売するわ」


 黄金姫の発言を聞いて、月盾は驚いた。


「二十万はまだ多すぎると思うけど。危険ではないの?」


「危険よ」と黄金姫は固い声で月盾に伝えた。「でも、路地裏の月盾が暮らしている場所はもっと危険だと思うのよ。それに突撃銃を明日までには手に入れたいの。だから今日だけは危険を冒すわ」


 鞄を受け取ると、月盾は懸念を口にした。


「二十万紅銭で黄金姫と契約している事実が露見するかもしれない」


「その時は諦めましょう」と黄金姫は肩を竦めた。「正直、私と月盾の間に何か取引があった事実は小建支部も気付いていると思うのよね。ただ、詳細が把握できていないから放置されているだけ。彼等は進級探索士が下位の夷狄に操られても人類の脅威にはならないと判断しているのよ。黄金姫が上位の夷狄で、月盾が上位の夷狄と取引しているのが露見する事態だけが危険なの。

 月盾が白薔薇女王と取引して帝錦都市を攻撃する、という状況に匹敵すると判断されたら探索士協会は月盾を拘束するはずよ。もっとも、その場合も月盾が進級探索士だから即座に処刑されたりはしない。進級探索士、しかも要勤四級以上の夷狄兵器が提供されていない未成年など脅威ではないもの。むしろ、月盾は探索士協会に保護されると思うわ」


「黄金姫は本当に上位の夷狄なの?」


 月盾が疑いを込めて尋ねた。


 自分を白薔薇女王と同等と考えているかのような発言に不満を抱いたのだ。


 白薔薇大阿飡は大惨劇を引き起こした最強の夷狄で、恐れられると同時に敬意も払われていた。


 そのため、仮に本当に上位の夷狄だったとしても、我が儘な娘として狼型兵器にすら馬鹿にされている黄金姫に、偉大な白薔薇女王と自分が対等であるという勘違いをして欲しくなかった。


 白薔薇女王は夷狄の女帝、上位の夷狄ではなくて無敵の支配者なのである。




 そして、月盾に疑われて黄金姫は不機嫌になった。


「御免、悪かった。黄金姫は上位の夷狄です」と月盾は慌てて謝った。


「分かれば良いのよ」と黄金姫は許した。「契約の時から思っていたけど、月盾は私を過小評価しているのよね」


「いや、疑っていないよ。それだけではなくて、黄金姫と出会えたのは本当に幸運だったと思っている。黄金姫が力のある夷狄であるのは間違いない。ほら、遠隔操縦人機六体を瞬殺していたしね」


 月盾は本心で言った。

 機巨組の遠隔操縦人機を六体も同時に破壊した記憶は、まだ月盾の記憶に鮮明に残っていた。


 狼型兵器三十体の部下が居て、今も、黄金姫が思っただけで月盾を一秒以内に殺す事ができる。


 それに黄金姫が白薔薇女王と交渉できるほど上位であるのも間違いない。


「ぼくは黄金姫を信じているよ」と月盾は繰り返した。


「本当かしら?」


 しかし、黄金姫は不満なようだ。


 月盾は遺物で重くなった鞄を背負うと拠点を出た。


 背負い鞄には二十万紅銭に相当する高価な遺物が詰まっていると思うと緊張した。


 第二層から第一層に戻ると、自律軽戦車の位置を確認する。


 最近、彼等は不活発で停留所の近くには現れなかった。月盾は白薔薇遺跡の外に出ると、停留所に向けて歩き出した。


 汗が頬から地面に落ちて、携帯端末を見ながら森の中を進む。






 突然、指輪が震えたので月盾は耳に当てた。


「どうしたの?」


「月盾、残念な知らせがあるわ。敵よ。直ぐに第一層に戻って」


 月盾は足を止めた。

 そして、深呼吸をして尋ねた。


「敵というのは?」


「愛国同盟よ。彼等は夷狄と取引した人間を殺すの。そして、今まで私の契約者候補は彼等に殺されてきたわ」


 黄金姫の話を聞いて、月盾は駆け出した。


 携帯端末を確認すると、敵対反応が森から近付いていた。


 黄金姫がなぜ探索士を殺しているのか疑問だったが、疑問の答えが明らかになった。


 彼女は殺していなかった。


 月盾が黄金姫の言葉を信じたのは、彼女を信頼していたからだけではなくて、夷狄と通じている者を密かに殺す者がいるのを不思議だとは思わなかったからだ。


 夷狄は敵であり、敵と親しくしている者は排除するべき敵であると思う者がいるのは当然である。


 それは夷狄が相手を利用する目的で相手に優しくするのと同程度には自然だった。





 遺物が詰まった背負い鞄が重かった。


 命を最優先に、という黄金姫の言葉を月盾は思い出しながら走った。

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