第28話

 月明かりが降り注ぐ、時計台の頂上。

 そこに陣取ったルナは、盛大に嘆息した。

 夜になったとは言え、アリエスの街には街灯が多数設置されているので、視界はそれほど悪くない。

 ナミルのソフィアへの攻撃を防ぐことは出来たが、かなり際どかった。

 シオンに言われて警戒していなければ、間に合わなかったに違いない。

 ナミルが魔蝕教だとシオンが疑いを持ったのは、初対面のとき。

 体調が悪かった彼女は足取りが覚束なかったが、シオンの目はそれが絶妙な体術による演技だと見抜いていた。

 しかし、体調が悪いこと自体は事実だった為、その場で取り押さえるのではなく様子を見た。

 結果としてナミルの凶行を未然に防げた訳だが、ルナはいまいち手放しで喜べない。

 1つ目の理由は、シオンが当然のように気付いたことに、自分は一切気付けなかったから。

 もう1つの理由は、彼がソフィアを守る為に、常に最大限の警戒を怠っていないから。

 そのことに嫉妬したルナは、微妙にふくれっ面を作りながら言い放つ。


「あとで、たっぷり報酬をもらうんだから」


 そのときのことを想像したルナは人差し指を舐め、次いで蠱惑的な笑みを浮かべた。

 だが、今後の動き方に関しては未定。

 シオンに依頼された通りソフィアたちを守れば良いのだろうが、彼女であっても、この距離から割って入るのは中々難しかった。

 ならばピンチのときに助けるだけで良いかもしれないが、とあるものがルナを迷わせている。

 それは、混乱の只中にあるアリエスの街。

 侵入したサハギンの数が多過ぎて、ソフィアたちを囲っている集団以外の個体が、暴れ回っていた。

 ギルドの聖痕者が必死に応戦しているものの、かなり戦況は苦しい。

 このままでは、いずれ国民に被害が出るだろう。

 とは言え、ルナは自分には関係ないと考えていた。

 アリエスの為に戦うと約束したのはソフィアたちだけであり、自分はシオンの依頼を遂行するのみ。

 頭ではそう思いつつ、ルナは自然と戦況を確認しようとしてしまっていた。

 そのとき、ソフィアたちの援護に集中しようとしていたルナの耳朶を、柔らかな女性の声が打つ。


「ルナちゃんって、素直じゃないのね」

「……いきなり現れて、何を言っているの?」

「だって、口ではいがみ合ってても、しっかりソフィア姫たちを守ろうとしてるじゃない」

「それは、シオンに依頼されたからよ。 本当なら見捨てているわ」

「そうかしら? わたしはそう思わないけど」

「どう思うかは貴女の自由よ」


 時計台に登って来たのは、ギルド長であるユーティ。

 ルナの言葉に苦笑を浮かべた彼女は、長弓を引き絞って矢を射出した。

 放たれた矢は凄まじい速度で飛来し、精確にサハギンの頭を射抜く。

 距離で言うと200メトルは離れており、『弓術士』としては相当な腕前だ。

 ユーティは次々と矢を放ち続け、確実に1体ずつ処理して行く。

 何度見ても見事で、ルナですら胸中で称賛していたが、問題は攻撃間隔。

 長弓が武器の彼女は、射程に優れている半面で、連射速度に難があった。

 それでもユーディは歯を食い縛り、自分に出来ることに全力で取り組む。

 その様を見ていたルナは、思わず問い掛けた。


「どうして、そこまで必死に戦うの?」

「どうしてって言われてもね。 わたしが戦わなかったら、皆が危険だからよ」

「この数が相手なら、どうせ全員は守り切れないわ。 それなら、何人か犠牲にしながら戦えば楽じゃない?」

「そうは行かないわ。 結果として守り切れなかったとしても、最初から諦めるなんて絶対に駄目」

「でも、全部を守ろうとして被害が拡大するくらいなら、最初からある程度見捨てて、他の安全を確保した方が理に適っていないかしら?」

「計算上はそうかもね。 けど、却下よ」

「どうして?」

「命は、1つしかないの。 どんな計算を立てたって、失われる命の代わりはないのよ。 だから、見捨てて良い命なんてないの」

「……そう」

「それに、わたしたちが最後まで諦めなかったら、全員守り切れる可能性だってあるんだから」


 力強い笑みを浮かべるユーティ。

 ルナには、ユーティの気持ちが完全にはわからなかった。

 100人の命を無理に守ろうとして結果90人しか守れないなら、最初から1人を犠牲にして確実に99人を守った方が良い。

 それがルナの考えだが、ユーティの言葉が彼女の心を揺さぶっている。

 綺麗ごとに過ぎない。

 内心でそう断言しながらも、どこかで否定し切れなかったルナは、大きく息を吐き出して声を漏らした。


「やっぱり、貴女の考えは甘いと思うわ」

「そうかもね」

「本当に守り切りたいなら、そう出来るように打てる手は全て打つべきよ」

「え? それって……」

「痴女姫たちをカバーしながらでも、手を貸すことは出来るわ。 ただし、それ相応の見返りはもらうわよ?」

「ルナちゃん……有難う!」

「お礼は言葉ではなく形としてもらうわ。 そうと決まれば、ここから半径500メトル以内に敵を誘導して」

「500メトル? それはちょっと広過ぎない?」

「良いから早くしなさい。 もたもたしていたら、本当に守れなくなるわよ?」

「わ、わかったわ」


 ルナに催促されたユーティは、急いで遠話石を取り出して指示を出した。

 すると、ギルドメンバーによって次第にサハギンたちが時計台の方に集まって来て、それを見たルナは――


「魚もどきの分際で、いつまでも調子に乗らないで」


 妖艶な笑みで人差し指をペロリと舐めてから――狙撃。

 長銃を間断なく撃ち続け、500メトル圏内のサハギンたちの頭を、ことごとく吹き飛ばして行く。

 初めて『殺影』の力を目の当たりにしたユーティは、あまりの射程と精度、そして威力に唖然としていたが、すぐに立ち直って遠話石に叫んだ。


「強力な援軍が来てくれたわ! 皆、ここが勝負どころよ! 頑張って!」


 ユーティの声に勇気付けられたように、ギルドメンバーの動きが活発化した。

 それに対してルナは、粛々とサハギンを処理して行く。

 このとき彼女は、今まで自分が奪って来た命について考えていた。

 後悔はしていないが、禁忌を冒していた自覚はある。

 だからこそ、シオンに未来の話をされたとき、自分にそんな資格があるのかと思った。

 しかし今は、誰かの命、誰かの未来を守っている。

 贖罪にはならないだろうが、少なくとも奪い続けていた頃よりも胸が熱くなった。

 柄にもないと思ったルナは苦笑しつつ、体に力が漲るのを感じている。

 新しい生き方のヒントが得られた気がして、更に勢い込んだルナはスキルを発動した。


「【戯れましょう】」


 呼び掛けに応えて、影から使い魔が生み出される。

 ただし、その数――10匹。

 訓練を繰り返し、強くなっているのは何もソフィアたちだけではない。

 ルナも人知れず、自身を磨き続けて来た。

 黒猫や黒蛇に黒鳥。

 多くの使い魔が現れたことにユーティは驚いていたが、ルナは構わず告げる。


「行きなさい」


 その途端に使い魔たちが、アリエスの街に散って行った。

 近くのサハギンから手当たり次第に毒を付与して、行動不能に陥らせる。

 ギルドメンバーたちからすれば、突然モンスターが倒れて行くようなものだが、これ幸いとばかりにトドメを刺した。

 こうしてルナは、内から外から盤石の態勢で、サハギンを追い詰めて行く。

 隣で矢を撃つユーティは感嘆の溜息をついていたが、気分が高揚したルナは彼女を煽り立てた。


「ペースを上げるわよ」

「えぇ!? まだ速くなるの!?」

「情けない声を出していないで、手を動かしなさい。 ギルド長でしょう?」

「もう、厳しいんだから。 やってやるわよ!」


 文句を言いつつも楽しそうなユーティは、額に汗しながら限界を超える。

 そんな彼女を見て、ルナは密かに笑みを浮かべ――


「……悪くないわね」


 呟かれた言葉は、発砲音で搔き消された。

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