第22話

 突然だが、事前に聞いていた水王国アリエスの特徴を挙げてみる。

 まずは、水路が多い。

 清豊の大陸自体が船で移動することの多い土地だが、アリエスは国内でも舟を頻繁に使うようだ。

 最奥に美しい宮殿を構え、その後ろには左右に広い断崖絶壁が聳え立っており、滝が流れ落ちている。

 何より目を引くのは、滝の上に浮遊している巨大な水晶。

 この水晶からはとめどなく水が溢れており、アリエスだけではなく清豊の大陸全域に行き渡っているらしい。

 これこそが上質な水の源で、永流石と呼ばれている。

 それ以外で言えば、王国軍とギルドの連携が密なことも1つ。

 グレイセスの場合は険悪とまでは言わないまでも、それぞれが不可侵のような関係だった。

 他の国も基本的にはそれぞれ独立している為、アリエスのような体制は珍しい。

 国全体の規模はグレイセスほど大きくないが、水が綺麗だからか空気も澄んでおり、清潔感がある――と言ったところか。

 なるほど、確かに見た限りでは聞いていた通りだと言える。

 ところが――


「これは……いったい……?」


 呆然としたサーシャ姉さん。

 あれから各地の村や町を経由して、僕たちはアリエスに到着したのだが、門を潜ってすぐに違和感を覚えた。

 余所者である僕ですらそうなのだから、サーシャ姉さんの衝撃は大きかっただろう。

 姫様たちも戸惑った様子で、ルナは目を細めていた。

 前述のように、国の外観や造りなどは聞いていた通り。

 だが空気は重く、澄んでいるどころか瘴気を孕んでいるようにすら感じる。

 通りを行き交う人々も、どこか体調が悪そうに見えた。

 何かがおかしい。

 そう思った僕が原因を探ろうとしていると、サーシャ姉さんがハッとした様子で声を上げる。


「ナミルちゃん!?」

「あ……サーシャさん、こんにちはッス……」


 壁に寄り掛かっていた船乗り風の少女、ナミル。

 歳と身長は僕と同じくらいで、髪は濃い青のショートカット。

 胸元は慎ましく、なんとなく新鮮だ。

 冗談は置いておくとして、彼女の顔色は悪く、生気を感じられない。

 命に別状はなさそうだが、かなり無理しているのがわかる。

 弱々しい笑みで挨拶して来たナミルに駆け寄ったサーシャ姉さんは、心配そうに呼び掛けた。


「どうしたの? 何かあったの?」

「いやー……最近ちょっと疲れ気味で。 でも、お医者さんに見てもらっても、どこも悪くないって言われちゃって。 なんとか気合いで頑張ってるところッス」

「駄目よ。 お医者さんが何て言おうと、そんな状態で無理したら。 とにかく今日は、家で休みなさい」

「え、でも、今から積み込みの仕事があるんスけど……」

「そんな力仕事、尚更駄目よ。 船員さんにはわたしから話すから、ナミルちゃんはすぐに家に帰りなさい」

「うー……わかったッス。 正直限界だったんで、今日は帰るッス」

「良い子ね。 よしよし」

「あはは……相変わらずッスね、サーシャさん。 じゃ、よろしくお願いしまッス」


 僅かばかり元気になったナミルは、覚束ない足取りで歩き始める。

 その後ろ姿をサーシャ姉さんは心配そうに見送ったが、次いで僕たちに頭を下げた。


「勝手に決めてごめんなさい。 でも、ナミルちゃんを放っておけなくて……。 案内するから、付いて来てくれる?」

「気にしないで下さい、サーシャさん。 情報収集する為にも、船員さんたちに会うのは悪いことではありません」

「そうね。 あの子の体調不良、ちょっと普通じゃなかったし。 もしかしたら、何か秘密があるのかも」

「他の人たちも、似たような症状が出ているようです。 アリエスで何かが起きてるのは、間違いないかと」


 サーシャ姉さんの謝罪を姫様は快く受け入れ、リルムとアリアは見解を語った。

 一方で僕も思考を回転させており、隣に立った少女に小声で話し掛ける。


「ルナ、どう思う?」

「あの痴女たちの言う通り、何かは起きているのでしょうね」

「問題は、その何かだ。 心当たりはないか?」

「……憶測に過ぎないけれど、良いのかしら?」

「あぁ」

「たぶん毒ね。 それも、ただの毒じゃないわ。 体そのものと言うより、何て言うのかしら……魔力を乱すような効果ではないかしら」

「魔力を乱す、か……。 キミが使う毒に同じものはあるか?」

「いいえ。 わたしのスキルは、基本的に殺すことを目的にしているから。 こんな風に、生かさず殺さずの状態にする毒はないの」

「なるほどな。 そうなると、ある程度見えて来たかもしれない」

「そうなの?」

「キミの言葉を借りるなら憶測に過ぎないが、へリウスか別の魔族が関わっている」

「わたしも漠然とそれは思っていたけれど……シオンには何か根拠がありそうね」

「奴が言っていた。 魔族にとって人間の魂は、最高の美味だと。 それを味わう為に魔力を乱して衰弱させ、生気を吸い取っているんじゃないかと思ってな。 ただ……」

「ただ?」

「……いや、何でもない。 憶測に憶測を重ねても無意味だ。 どちらにせよ姫様の言うように、聞き込みをする必要はあるだろう。 魔族の仕業だとしても、具体的な方法がわからないからな」

「良くわからないけれど……そうね。 じゃあ、行きましょうか」

「その前に、キミにだけ言っておくことがある」

「わたしにだけ? もしかして、愛の告白かしら?」


 蠱惑的な笑みを浮かべてのたまうルナに、僕は溜息を漏らした。

 だが、なんとか意識を切り替えて、用意していた言葉を口にする。

 それを聞いたルナは目を丸くしたが、次いで不服そうに返事した。


「気乗りしないけれど、一応わかったと言っておくわ」

「有難う、頼りにしている」

「本当に、人使いが荒いんだから。 もう良いから、早く行きましょう」


 そう言ってルナは足を踏み出し、サーシャ姉さんの元に向かった。

 気乗りしないと言いながら頼みを聞いてくれる彼女に、僕はこっそりと苦笑する。

 ルナがナミルを心配してくれたと思ったサーシャ姉さんは喜んでいたが、残念ながらそれは見当違いだ。

 しかし訂正を面倒臭がったルナは、何も言い返さなかった。

 そうして僕らが連れて行かれたのは、アリエス内にある船着き場の1つ。

 小型の舟がいくつも停まっており、水路を行き来するのだろう。

 だが、船員たちは例外なく疲弊しており、かなり辛そうに見えた。

 その痛ましい姿に姫様やアリアは同情していたが、まずは用事を済ませよう。


「サーシャ姉さん、ナミルのことを報告しなくて良いのか?」

「あ……そ、そうね。 こっちよ」


 僕の声に反応したサーシャ姉さんは慌てて再稼働し、一隻の舟に近付いた。

 そこには数人の船員が立っていたが、やはり元気はない。

 それを見たサーシャ姉さんは申し訳なさそうにしつつ、意を決して話し掛ける。

 僕の背中に隠れながら。


「あ、あの……すみません」

「……ん? あ、サーシャちゃんじゃねぇか。 久しぶりだなぁ」

「お、お久しぶりです。 あの……き、今日ってナミルちゃんもお仕事の日なんですよね? さ、さっき会ったんですけど、かなりしんどそうだったので……や、休ませて欲しいんです」

「げ、マジか。 これで何人目だよ……」

「どうする? この人数で積み込み終わるか?」

「予定時間はオーバーするだろうけどよ、やるしかねぇだろ。 はぁ……うちも終わりかもな」


 男性が苦手なサーシャ姉さんだが、なんとか言うべきことは言い切った。

 彼女の報告を聞いて、船員たちは絶望的なオーラを背負っている。

 それでもナミルが休むことを却下しなかった辺り、この人たちは善人に思えた。

 とは言え、このままでは彼らの仕事に大きなダメージを与えるらしい。

 それゆえに僕は、手を差し伸べることにした。

 見返りは求めるが。


「すみません、僕で良ければ手伝います。 その代わり、終わったら質問に答えて下さい」

「は……? 気持ちは有難いが、あんたみたいな可愛い女の子に出来る仕事じゃねぇよ」

「ご心配なく、僕はこれでも聖痕者です。 それと、男です」

「マジか! 聖痕者が手伝ってくれるなら、間に合うかもしれねぇ! おいテメェら、この可愛い女の子が手伝ってくれるってよ!」

「うぉぉ! やる気出て来たぜ!」

「体は重いけど、関係ねぇ! やってやる!」


 聖痕者と言うことは聞こえたようだが、男だと言うことはスルーされた。

 まぁ、もう何でも良い。

 瞬時に諦めた僕は作業を始めようとしたが、そこに待ったを掛けられた。


「シオンさんにだけ、手伝わせる訳には行きません」

「はぁ、力仕事って趣味じゃないんだけど」

「わ、わたしも頑張ります!」

「……やれやれだわ」

「ナ、ナミルちゃんを休ませたのはわたしだし……と、当然わたしも手伝うわよ」


 姫様を始めとして、次々と名乗りを上げる少女たち。

 それ自体はそこまで意外じゃなかったが、ルナまでも参加することには驚かざるを得ない。

 そうして結局僕たちは、ナミルの担当だけじゃなく、他の舟の手伝いもすることになった。

 作業が進むのは勿論のこと、美少女たちと一緒に仕事が出来ることで、船員たちのモチベーションは最高潮。

 体調は相変わらず悪そうだが、今は忘れているらしい。

 あとで反動が来なければ良いが。

 ちなみに一応言っておくと、ナミル以外にも女性の船員は少なからずいる。

 僕たちに掛かれば積み込み作業など大した労働じゃなく、短時間で完了した。

 船員たちは大層喜んでいたが、僕にとってはここからが重要。


「それではお聞きしたいんですけど、体調不良者が出始めたのはいつからですか?」

「うーん……大体、2週間か3週間くらい前か?」

「だな。 なんか急に体が怠くなってよ、酷い奴はまともに動くことも出来なくなったんだよ」

「最初はそこまで多くなかったんだが、だんだんそう言う奴らが増えて行ってな。 今では仕事に影響が出るほどだ」

「新しい感染病じゃないかって話も出たんだけど、いくら調べてもわかんないのよ。 医者も匙を投げてる状態ね」

「なるほど……」


 一通り話を聞いた僕たちは、顔を見合わせた。

 全員固い面持ちをしているが、特にサーシャ姉さんが顕著。

 恐らく僕たちが共通して思い浮かべているのは、ヘリウス。

 奴と遭遇したのが約3週間前だと言うことからも、時期が合致した。

 ほぼ決まりだと思った僕はルナと顔を見合わせ、小さく頷く。

 あとは方法だが、それに関して考えようとしたときに、気になる情報が入って来た。


「そう言えば、女王様が支給品を配り始めたのもそれくらいだよな」

「あー、あの水か。 確か、他の大陸の水とうちの水を比べたいから、飲んで感想を提出しろって話だよな」

「それは良いんだけどよ、量が多過ぎねぇ?」

「わかる。 飲み比べるだけなら、あんなに配らなくても良いのにね」

「やっぱ、うちの水が最高だし、正直あんまり飲みたくねぇんだよなぁ」

「でも飲み切れって命令だし、従うしかねぇだろ」

「女王様がこう言う命令を出すのって珍しいけど、何か狙いがあるんじゃない?」


 体調不良者が出始めた頃と同じ時期に支給され始めた、他の大陸の水。

 事件の顛末が見えた気がした僕は、船員たちに礼を告げてその場を辞すことにした。


「有難うございます、参考になりました」

「いやいや、お礼を言うのはこっちの方だって。 マジで助かったぜ」

「お役に立てたなら良かったです。 では、失礼します」


 船員たちに背を向けた僕を、姫様たちが慌てて追い掛けて来た。

 突然動き出した僕を不思議に思っているようだが、敢えて触れずに声を投げる。


「リルム」

「ん? 何よ?」

「作ってもらいたい魔道具がある」

「ふーん、どんなのよ?」


 僕の言葉にリルムは怪訝そうにしていたが、内容を聞いて真剣な表情になった。

 姫様たちも事情を察したらしく、厳しい面持ちになっている。

 しばし黙考したリルムは、人差し指をビシッと立てて言い放った。


「1晩だけ頂戴」

「流石だな、そんなに早いのか」

「ま、あたしに掛かればね。 その代わり、シオンに頼みがあるの」

「頼み? 何だ?」


 魔道具作成に関して、僕に出来ることなどあるんだろうか?

 内心で首を捻っていると、リルムはニヤリと笑って――


「荷物持ち手伝ってよ。 いろいろ、買い足さなきゃいけないから」

「魔箱があるのに、荷物持ちが必要なのか?」

「必要なの! 良いから、手伝って!」

「……わかった」


 強引なリルムに苦笑しつつ、了承した。

 本音では必要ないと思っているが、彼女なりに何か考えがあるのだろう。

 僕にはわからなかったが、姫様たちは察することがあったのか、憮然としていた。

 しかし、これはリルムにしか出来ない仕事なので、文句を言えないらしい。

 それはそれとして、同時に進めておくべきこともあった。


「姫様、お願いがあります」

「お願いですか?」

「はい。 アリエスの女王に会いたいのですが、約束を取り付けることは可能ですか?」

「それは……相手の都合にもよります。 無視はされないでしょうけれど、立て込んでいるなら難しいかもしれません」

「そうですか……」

「ですが、シオンさんの為なら頑張ります。 なんとかしてみましょう」

「姫様……有難うございます、助かります」


 確定じゃないが、強い意志が垣間見える姫様を頼もしく思う。

 ところが、次の瞬間にはその気持ちを撤回したくなった。


「そ、その代わり……ご褒美が欲しいです」

「……僕に出来ることでしたら」

「で、では、今夜少しお部屋にお邪魔しても良いですか? 久しぶりに、ゆっくりお話したくて」

「……わかりました」

「有難うございます!」


 顔を赤らめてモジモジしながら願い出た姫様を、僕は消極的に受け入れた。

 正直に言うと遠慮したかったが、無理を言っているのは僕の方。

 多少の希望を叶えるくらいは、致し方ないだろう。

 他の少女たちの視線が痛かったが、リルムと同じく、この役目は姫様にしか果たせないとわかっている為、不満を飲み込んでいるようだ。

 その後、姫様たちはナミルの様子を見に行ってから、宿を借りに行くらしい。

 そして――


「行くわよ、シオン!」

「わかったから、そう急かすな」


 僕の手を取って歩き出すリルム。

 こうして僕たちは、アリエスの街を散策し始めた。

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