第5話 深淵迷宮(アビスダンジョン)
◇◇◇【side:セシリア】
――深淵迷宮(アビスダンジョン)
「とりあえず、身体の状態を《施錠(ロック)》して予防している。……セシリアも結界なり張ってくれ」
ここのところ毎日聞いていた声が耳元で聞こえる。
ピチャンッ……ピチャンッ……
気がつけば洞窟の中。
水が落ちる音が鼓膜を揺らす。
(……き、綺麗なところです)
見える景色はクリスタルが淡い水色に光っていて、幻想的でとても美しいが、どこか冷たくも感じられる不思議な場所……。
「あのぉ〜……まぁ、なんだ……。悪かった……。俺ってヤツは、わりとあと先を考えないところがあるんだ……」
また耳元で声が聞こえ、私はピクッと身体を揺らす。……と、同時に顔に熱が込み上げてくる。
「セシリア……。あの、早く結界を張れ。……そんなに必死にしがみつかれて悪い気はしないが、そんなに胸を押し当てられたら身ぐるみを剥ぎそうになるんだが……?」
「……ッ!!」
私はルシア・シエルに抱きかかえられている。それも私が彼の首に腕を回してしがみついているのだ。
「は、離して下さいッ!!」
「ちょ、急に動くな! 俺が触れてないと《施錠(ロック)》が、」
「んっ、ひゃぁっ!」
「ふ、不可抗力だぞ? わざとじゃない」
ふにっ、ふにっ……
「んっ、ぁっ! なっ、なにしてるんですか!? も、揉んでるじゃないですか!! 早く離してっ、下さいッ!!」
「わ、わかったから暴れるな! 離れる前に結界を張れって!!」
「……ッ!! 《聖域展開(ホーリーフィールド)》! は、はい!! 早く離してください!」
もにゅもにゅ……、バチンッ!!
「イッテッ!!」
やっと解放された私はキッと彼を睨みましたが、彼は「ハハッ、ごめんごめん」と、一切悪びれた様子もなく謝罪する。
ここで突っかかっても意味がない。
またからかわれて、私の顔が更に赤くなって、それをまたからかわれて……の繰り返しになることは、出会ってからの3日間で学習している。
彼はスケベで、適当で、思い込みが激しくて、おまけに話を聞かない。相手にするだけ無駄……って……、
「……こ、ここは“深淵(アビス)”でしょうか?」
ようやく私は現状を理解した。
「…………わ、悪かったな?」
「…………」
「セ、セシリア? ……セシリアさーん?」
「あの、少し時間を下さい……」
「あっ、はぃ……」
彼はポツリと呟いて周囲を観察し始めたが、私は彼に構っている場合ではなく慌てて記憶を遡る。
確か……、「勇者に強姦されそうになったところを助けて下さったのです。彼の罪に寛大な処置を!」と私が懇願しても、
――勇者がそんなことをするはずがない!
――やはり、貴様は聖女として欠陥がある。
――これだから“ガルシアーノ”は……。
などと、逆に責め立てられてしまった。
――では……、生き地獄をみせるというのはいかがでしょう?
私の権力と実績が不足していることで、恩人である彼が深淵(アビス)への追放刑となってしまった。
『私も一緒に行き、恩を返すべきでは?』
もちろん、そう考えた。
【聖女】ならば、そうすべきだと……。
ですが……。
私は2度も命を救われた彼に恩を返すべきなのに、“深淵迷宮(アビスダンジョン)”という地獄を前に完全に足がすくんでしまった。
さらに賢者ラディアンが民を煽って彼を吊し上げて……そ、そうです。それがあまりに申し訳なくて声をあげて……、気がついたら彼に抱きかかえられていて……。
「今、私は『現存する地獄』に立っている?」
声に出してしまい慌てて口を押さえましたが、彼はいつのまにか《解析》スキルを使用して本格的に調査を始めている。
――普通にCランクの【鍵師】だけど?
暗殺狼(アサシンウルフ)たちを討伐した彼は「何者なのか?」の問いに苦笑しながら小首を傾げましたが……間違いなく天才……。
きっと戦の女神に愛された特別な人。
……ですが、いくら才があっても彼の魔力量は平凡。完璧に使いこなしていると思われる天職【鍵師】のスキルがあっても、魔法の適正がないと言う……。
黒い斬撃を放った“特殊な剣”や手荷物なども裁判の前に没収されている……。十中八九、私たちはここで命を燃やすのでしょう。
カタカタッ……
小刻みに身体が震える。
(…………怖い……。……死にたくない。いや、死なないッ!! 私は父様の不名誉ッ!! “シリカ”を守らなければいけないのにッ!!)
他種族との共存を目指した父は処刑された。
――大丈夫。だって言葉は通じるじゃないか。
そう言って魔族と手を取り合おうとした父は反逆罪に問われて王国によって殺された。父を慕っていた領民たちは反旗を翻し、ガルシアーノ家が収めていた小都市は壊滅。
度重なる騒動で母は心を病んで自害し、幼い妹は孤児院に送られた。私が【聖女】という天職を授からなければどうなっていたことか……。
“ガルシアーノ家”の再興は……。
最愛の妹であるシリカは……。
私が死ねば……。いえ、もう死んだものとして処理されているのかもしれませんね……。
ゾクゾクゾクッ……
(シリカッ……!! どうか無事でッ!!)
祈るように目を閉じれば、ツゥーッと涙が溢れた。
ジュゥウッ!!
唐突に油がはじける音が響いて慌てて振り返ると目を疑う光景が待っていた。
「なっ……、なぜ、このようなところで調理しているのですか!?」
「なぜって……お腹が空いたから? あぁ。安心しろ! セシリアの分もちゃんと用意、」
「迷宮(ダンジョン)で調理するなど非常識も大概にして下さい!! どのような魔物がおびき出されるかわかったものじゃありませんよッ!!」
「……あぁ。大丈夫! 気になるところはあるが、近くに魔物はいない」
「ぁ、あなたは……、私たちがいまどこにいるのかを理解しているのですか……?」
空腹など感じるはずがない。
ここは地獄。私たちは死ぬのです。
本来であれば恐怖に包まれて身動きなど……。
……大丈夫です。同じ轍は踏まない。
命の恩人である彼には私の命の使い道を自由にする権利がある。……八つ当たりするのは愚かな……こと……。
「ん? 深淵迷宮(アビスダンジョン)だろ? 転移陣は一方通行で200年前の英雄シリウスが設置したもの。確証はないが……、おそらく7階層だろうな」
彼は焼いている肉をひっくり返し、ジュウッと音を鳴らせたかと思えば調味料をぱらぱらとふりかける。
八つ当たりは愚かなことと、わかっている……。わかっているのに、声を荒げずにはいられない。
「……ど、どうしてそんなに平然としているのですか!? そもそも、その器具や食材はどうやって出したのです!?」
「えっ、これは右腕の義腕が、」
「ここは深淵(アビス)!! いくらあなたが天才だとしても、ここは他の迷宮(ダンジョン)とは次元が違うのですよ!?」
「……」
「……ゆ、勇者と私が居なくなり、ルベリアル王国は大丈夫でしょうか!?」
「……」
「妹のシリカは!? 孤児院への送金は続けていただけるのでしょうか!?」
「……」
「私が死んだら、シリカはどうなるのですか!! 私のこれまではなんだったのですか!?」
カチッ……
彼は“魔道コンロ”の火を止めて私へと歩み寄ってきますが、死への恐怖とシリカに関する焦燥感に包まれている私は言葉を止めることができない。
「わ、わかっています! あなたに救われた命です!」
「……」
「私はガルシアーノ家の娘!! 所詮、“罪人聖女”ッ!! 命を救われた恩を仇で返し、あなたをこの深淵(アビス)に追いやってしまいました!!」
「……」
「その責任から逃れるように見て見ぬフリをして、我が身可愛さにあなたを見殺しにしようとしたのです!!」
「ふっ……」
「なにがおかしいのですか!? あなたは確かに戦の女神に愛されています!! ですが、ここは深淵(アビス)! いくらあなたでも生きて帰れるはずがありません!!」
「……」
「私たちはここで死ぬのです!! それなのに……なぜあなたは、」
ポンッ……
私の言葉を遮るように彼は私の頭に手を乗せた。
「泣くな、セシリア……。本当にすまなかった」
私は頬を流れる涙を自覚する。あまりに優しい声色にそれが加速したことも理解してしまう。
おかしな人だ……。
子供のように笑ったり不機嫌になったり……、とても大人の表情になったり優しく微笑んだり……。
「あの賢者にずっとムカついたし、元はと言えばお前と勇者の変態プレイのせいだし……で、思わず拐っちまった……」
「……だから、それは違うと言っています……」
スッ……
涙を拭われてると、苦笑する黒紫の瞳と視線が合う。
「そう心配するな……」
「……」
「俺の“これまで”を全部使ってでも生きて帰すって約束してやる。さ、流石にやりすぎたなぁ〜って思ってるし……?」
「……」
「うまい飯でもご馳走すりゃ少しは誤魔化せるかと……」
私は彼が頬をポリポリと掻いているのを見つめていた。バツが悪そうに私から視線を逸らして苦笑しているのを……、コロコロと変わる表情を見つめていた。
「それから……、ルベリアル王国と……“妹のシリカ”? 孤児院? ……ガルシアーノ家? まあ、よくわからんが、なんとかするから……、勘弁してくれ」
「……」
「おい……セシリア?」
「……」
ぷにっ……
片手で両頬を寄せられても涙が止まらない。
彼の声色には不思議な安心感がある。
大丈夫なはずがないのに大丈夫だと錯覚してしまいそうな……、
ちゅッ……
「……ッ!!」
ぼんやりと見つめていたらまた唇を奪われてしまった。
「あ、あなたは、またッ!!」
反射的に腕を振り上げる。しかし、ギュッと目を瞑って頬を打たれるのを待っている彼を目の前にして、
ぺちんっ……
腕を振り抜くことはできなかった。
「……ん? あれ?」
恐る恐ると言った具合に目を開けた彼は小首を傾げたので、私は頬に触れていた手を降ろす。
……仕方がないじゃないですか。
だって、わざと私を怒らせて泣くのをやめさせようとしたのがわかってしまったのですから……。
「……えっと……」
「なにか言うことはありますか……?」
「……えっと……ごめんなさい?」
「今回は許してあげます。前回のは許してません」
「……はっ? えっ? ん? どゆこと?」
困惑する彼を他所に、私は自分でゴシゴシと涙を拭った。
「……セ、セシリ、」
「ちなみに!! 私は!! へ、変態プレイなんてしてませんので……! そ、それに……、急に深淵迷宮(アビスダンジョン)に連れて来られて、少し困惑しただけです……!」
「ふっ……、ハハッ!! そうか!」
「勝手に絶望していても仕方がないと言うことですよね! 生きて帰れるよう全力を尽くします……!!」
「ハハッ……流石は聖女様……」
「えっと……、取り乱してご迷惑をおかけしました……?」
「……いやいや。こちらこそご馳走様でした! とても柔らかい唇でござんした」
「なっ!! に、2度と触れないで下さいと伝えているはずです!」
「ククッ……、そんな顔を真っ赤にして。もしかしてフリですかぁ?」
「あり得ませんから!!」
「ハハハッ!! とりあえず、飯にしよう! 俺の飯は目玉が飛び出るほど美味いから気をつけろよ」
「……お、お腹は空いてませんので結構です」
「ちゃんと見ろって! このちゃんと味付けされた挽肉の塊が熱いウチにチーズを乗せて、“トメト”と“ラタス”とたっぷりの特製ソース……! それをこのバンズ……じゃなくてパンで挟んで肉汁とソースを染み込ませれば、」
グゥウ……
私のお腹が言葉を遮ると、彼はニヤァと楽しげに笑みを浮かべた。私という人間は……、何度醜態をさらせば気が済むのでしょうか……。
グゥウ……
匂いと見た目にまた小さくお腹が鳴ると……、
「ぷっ、あはははっ!! めちゃくちゃ可愛いな、お前!」
「……ッ!!」
は、恥ずかしすぎて……顔が熱くて死にそうです。
……不安や恐怖が消えたわけではない。
でも……、空腹を感じられるのは彼のおかげだ。
「ほれ。食え! 腹が減ってはなんとやら……。“この世界”にしてはついてるぞ? そこに“隠し部屋(スポット)”があるみたいだしな!」
彼は心底楽しそうにニカッと笑顔を浮かべた。
目の下のクマがある人とは思えない眩しい笑顔だった。
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