第30話 迷いの森のクマ

 キリサキグマはまだ倒していない。そのロキの言葉に、目を見開き、キリサキグマが吹っ飛んだ方を見るアニス。キリサキグマが吹っ飛ばされた際に巻き起こった砂埃は、すでに晴れ始めていた。


「グルルルルル……」


 キリサキグマの鋭い眼光が、四人の姿を捉える。立ち上がったその姿は、誰が見ても満身創痍だった。肩口はカイニスの魔法でえぐれている。横腹はロキの攻撃だろう、血が滲み、キリサキグマはその場所はらをかばうようにして立っている。しかし、体幹はゆらゆらと左右に揺らぎ、今にも倒れそうだった。


「ど、どうしよう……」


 アニスがシエルたちの方に駆け寄る。そして、白い顔で不安げに言った。それでも、剣の柄を握りしめている。戦う覚悟は持っているようだった。


「ロキ。カイニスは魔力を使い切っているし、足もひねったらしい。介抱と可能なら治療を、できるか?」

「ちょっと!」


 カイニスはまだ、戦えると言わんばかりに手をバタバタさせる。しかし、立ち上がる様子はなかった。おそらく、立ち上がろうとすると足が痛むのだろう。一方のロキはそんなカイニスの様子を見ても、一切動じずにシエルの問いに答えた。


「了解しました。少なくとも、治療の秘跡で痛みは抑えられるかと」

「頼んだ」


 シエルはロキの返答にうなずき、立ち上がった。

 ロキがカイニスの足に手をかざし、秘跡を行使する。秘跡特有の温かい光が発生する。カイニスの顔から、痛み特有の歪みが消えていく。痛みが消えて残ったカイニスのその表情は苦々しそうだった。


「アニス! 攪乱だけして逃げるぞ、走れるか?」

「え、うん! まだ、わたし走れるよ!」


 アニスは固い顔で頷いた。シエルはその顔を見た。そして、その覚悟を信じることにした。

 小声で作戦会議をする二人。なにかを確認し、頷き合うと二人はキリサキグマを正面から見つめた。


 シエルとアニスは、キリサキグマと距離を置いて対峙する。シエルは矢がセットされたクロスボウを手にしている。アニスは片手剣を強く握っている。


「グルルルル……」


 体を左右に揺らしながら、シエルたちにキリサキグマが歩み寄る。シエルはクロスボウを構えて、キリサキグマに向けて矢を打ち放った。

 しかし、その矢はキリサキグマの風の魔力が込められた爪によって弾かれた。


「チッ」


 思わず、舌打ちするシエル。それでも、次の矢を再装填する手はよどみない。

 その間にアニスが駆け出した。少し距離を置いたところで鞘に入れたままの剣を地面に向かって振り下げる。地面を引っ搔いて、土がキリサキグマに掛かる。


「よし、逃げるぞ!」

「了解!」「承知!」


 その様子を見て、シエルが叫んだ。アニスとロキがそれに応える。カイニスはロキの肩に担がれている。


「ちょっと! 待ちなさいよ!」


 カイニスがロキの肩で暴れる。しかし、ロキはそんなカイニスの様子はどこ吹く風といった様子で、走り出す。

 逃げるために茂みに飛び込む寸前だった。


「ぅぅ……。火球ファイヤーボールっ!!」


 カイニスが叫んだ。詠唱無しの魔法。それは、不安定で制御も難しいとされている技術だった。それでも、カイニスは成功させた。小指の爪ほどの大きさではあるものの、炎の球体を作り出した。そして、その火球ファイヤーボールを、キリサキグマの顔面に向かって勢いよく放った。

 火球ファイヤーボールがキリサキグマの顔面に衝突する。肉が焼ける音とキリサキグマの絶叫があたりに響く。


「ぐおおおおぉぉぉぉ……」


 ドスン、と巨体が倒れる音がした。先に茂みに飛び込んでいたシエルとアニスが、振り向き聞いた。


「今の音はなんだ!」

「ロキ、カイニス、大丈夫?」


 ロキが背後を振り返った。キリサキグマが倒れていた。ロキは正しくカイニスがやったことを把握した。カイニスは正真正銘、魔力を使い果たしたのか、ロキの肩の上で伸びている。


「カイニスがキリサキグマを倒したようです」


 なので、ロキは素直に事実を伝えた。


「ハァ!?」


 声を上げて、驚くシエル。アニスも目を丸くしている。


「カイニスは魔力の使い過ぎで気絶したようです。一応、魔石を回収してもよろしいですか?」

「え、ああ。いいんじゃないか?」


 シエルは信じられないのか、空返事気味に返答していた。道を引き返すロキ。シエルたちも、その後を追った。


 先ほどの開けた広場に大の字に倒れるキリサキグマ。その目の部分は炎の魔法のためか、焼かれていた。


「うわぁ……」


 ドン引くシエル。ロキはそのままキリサキグマのそばに近寄り、しゃがもうとした。しかし、途中でそれを取りやめた。


「……シエル殿、解体をお願いしてもよろしいですかな?」


 ロキがシエルに問いかける。


「ああ、構わないけど」

「ありがとうございます。解体するには、カイニスをどうにかしなければいけなかったので。助かります」


 そう言うと、ロキはカイニスを担いだ状態から、背負う状態に切り替えた。カイニスはほとんど気絶しているのか、今度はなにも行動を起こさなかった。

 シエルはナイフをとりだして、キリサキグマを解体を始めた。胸のそばから、魔石を取り出した。魔石を失ったためか、灰になるキリサキグマ。シエルが軽く周辺を漁ったが、今回のキリサキグマもまた、ドロップアイテムは無いようだった。


「この魔石は、換金後に分配でいいか?」

「ええ、構いません。……しかし、この時間にキリサキグマに遭遇するとは運が悪い」


 シエルの言葉にロキは快諾した。しかし、その後でロキが困り顔で言った。


「そうだな。この時間だと、上層のモンスターは朝から潜っている冒険者にだいぶ狩り切られていることも多いからな」

「ええ。おそらく、カイニスが狙っていたボスモンスターも狩られていることでしょう。カイニスも魔力を使い切ってしまったことだし、ここらで帰還するとしましょうか」


 ロキの提案にシエルも頷く。魔石を仕舞い、ナイフも元の位置に戻す。開けた広場は、キリサキグマの灰が残っていた。

 シエルたちは先ほど逃げ道に使おうとしていた茂みの方に向かった。


 ガサガサ。


 背後のの茂みから音がした。それを聞いた最後尾のシエルが振り向く。黒い影が茂みから飛び出した。衝突する影とシエル。

 シエルの身体は鮮血と共に中空を舞った。


「シエル!」「シエル殿!」


 迷いの森に、ロキとアニスの絶叫が響いた。

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