第32話 全てを夫に伝えるように
全てを夫に伝えるように
東側の部屋にいたのはシリとゼンシだけではなかった。
隠し小部屋にワスト領の家臣 ジムが息をこらして座っていた。
ジムがそこにいる理由はシリに命じられたからだ。
昨夜、遅くにシリの部屋に訪れ、グユウとゼンシから頼まれた伝言を伝えた。
(ゼンシ様からの伝言を伝えたらシリ様は顔色を悪くした・・・)
その後、シリがお願いした任務は衝撃的なものだった。
「ジム、明日の朝に東側の部屋の隠し小部屋で待機してください。そこで私と兄上の会話を全て記録してください」
「記録ですか」
ジムは怪訝な顔をした。
「ええ。何があっても部屋から出ないでください。
その記録をグユウさんに伝えてください。・・・それとエマにも」
「承知しました」
(不思議な任務だ)
政略結婚なのでシリは公式のスパイという形になる。
ワスト領の秘密をゼンシに話すことを予想していた。
(本来、兄妹の話し合いはワスト領に知られたくないはず・・・)
疑問を抱えながらも、隠し小部屋で待機していた。
レーク城だけではなく、各領の城には隠し小部屋は存在していた。
重臣達との会話を記録する、スパイ行為、グユウとシリの初夜の時にも隠し小部屋は役に立った。
覗き穴から部屋を見ているとゼンシが落ち着かない様子で部屋の中をウロウロしていた。
ひたひたと小さな足音が聞こえた。
(シリ様だ・・・)
ジムは慌ててと羊皮紙とペンをとった。
シリはジムのことを考え、記録が取りやすい場所で話してくれた。
2人の話に耳を傾けながら筆を進める。
ゼンシがワスト領の宿にスパイを数人配置した件は驚いた。
隠し小部屋がない宿だったので油断をしていた。
(そうか・・・天井にいたのか。さすがミンスタ領のスパイ)
文字に気持ちに乱れが出てしまうが忠実に言葉をおこしていく。
しばらくすると、シリがグユウへの想いを話していた。
ジムは目頭がツンとなる。
その後に、まさかの展開があった。
突然、ゼンシがシリを抱きしめ口づけをしたのだ。
(あっっ!)
声を出したくなったが口を押さえた。
(兄と妹なのに・・・)
震える手で行動を文字にしていく。
(これをグユウ様に伝えるのだろうか・・・)
その次の瞬間、シリがナイフをゼンシの首に突きつけた。
ジムは驚きのあまり喉の奥がひゅっとなる。
一大事だ。
ワスト領の妃がミンスタ領の領主の首にナイフを突きつけるなんて。
ジムは部屋に入るべきか、何度もドアノブに手をかけた。
その度に“何があっても部屋から出ないように“とシリに言われたことを思い出す。
苦渋の表情でひたすら記録をとる。
シリの言葉に何度か震えが走る。
見たくないような気持ちで部屋を覗く。
ジムの目にシリが自ら喉にナイフを突き立てている姿が見えた。
シリの目は本気だった。
長年、戦場で戦っていたジムにはわかる。
(シリ様は命を断とうとしている・・・。
これを頼んだということは、グユウ様への遺書のつもりなのかもしれない)
シリが嫁いでからわずか3ヶ月。
初めてシリを見た時、あまりの美しさに圧倒された。
寡黙で女慣れしていないグユウと夫婦になれるのか。
本気で心配した。
会話をして、食事をして、乗馬をして、共に過ごすことでグユウとシリの距離がどんどん近くなってきた。
警戒がいつしか許しに変わって。
やがて、お互いかけがいのない人になっていく姿を近くで見つめていた。
子供の頃からグユウの成長を見ていたので幸せな気持ちになった。
そのグユウが大事にしている后が命の危機に晒されている。
目の前にいるのに助けることもできない。
シリが望んでいたこととはいえ辛かった。
(なんて酷い任務なんだ・・・)
感情を押し込み、会話の記録をしていく。
張り詰めていた空気が少し和らいだ感じがした。
再びジムが部屋を覗くと、二人は椅子に座っている。
(良かった…この記録は遺言にならずにすむ)
身体中の力が抜ける。
本来の役目を思い出し、ジムは黙々と文字を記録に残していく。
(シリ様。素晴らしい采配だ)
ゼンシが部屋から出ていった。
シリはぐったりと机に頭を乗せている。
ひどく疲れた表情だった。
エマを呼び出すために、ジムはそっと隠し小部屋から廊下に躍り出た。
(この記録をグユウ様にお届けしないと)
シリ様が望んだこと。
早く伝えないと。
ーーーーーー
「シリ様」
震える声でエマが声をかけてくれた。
シリは机から身体を起こした。
身体が鉛のように重い。
「エマ、心配することは何も起こらなかったわ。詳しくジムに聞いて」
(ジムから話を聞いたらエマは卒倒するかもしれない)
エマはほっとした顔をする。
「シリ様、お疲れなので少し休みましょう」
「そんな時間はないの」
シリは首を振る。
「急いでお見送りをしないと」
「こんな時間に…?どなたをお見送りするのですか?」
「兄上がお帰りだわ。急用ができたようでお急ぎよ」
シリは微笑んでホールにむかった。
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