1-1 霧隠れ【side 霊弥】

 こうえきから列車に乗ること一晩。

 山あいの谷川の橋を、静かに列車は走っていく。


 霧に包まれたあたりに、建物の影が映った。


「あれか」


 そうおれつぶやいた途端、車窓にへばりつく、通路側に座っていたはずの

 その姿が四歳児にしか見えず、俺は吹き出した。


「なんで笑うの!?」

「正気か。お前、本当に俺と半日差だよな?」


 俺と向かい合って座っていたほうらいも、


「景色に興奮する幼児みたいだね」


 と笑う。早弥はこれまた子供のように頬をふくらませて「半日だけでも弟だし!」とかなんとか言った。

 言っておくが、こいつは十六歳、高校一年生である。


「でも、霧で何にも見えないや」

「まぁね。何せ『きりがくれの村』っていうくらいだし、この地域は季節に関係なく霧がかかりやすいみたい」


 まさに霧に隠れた村。よく霧がかかるためか、窓を開けた瞬間、やや冷たい空気が頬を濡らした。

 すぐに窓を閉め、景色だけもう一度見る。


 そういえば、俺の住んでいる市も、一歩市街地を出れば、山がいくつもあった。どれも、低い山だったが。


「でも、霧がかかってもきれいな景色だね」

「うん。確か村には、霧の美しさを体現した、きりはなおりっていう織物産業があるらしいし」


 旅人が訪れた理由もわかるが、同時に、手紙の恐怖がよぎる。

 淡々とした読み上げだったが、あれを書いたとき、送り主の手は震えていたことだろう。


 文面を想像しただけの俺たちが、つばを飲み込んだというのに。


 列車は規則正しく走っていた。


「……ねぇ寳來くん、水をちょうだい……」

「いいけど、大丈夫?」

「もしかしたら……酔った、かも……」


 顔色の悪い早弥に、通路を挟んで向かいの席に座っていたこもが、ささっと水筒を渡す。


しょうです。つべこべ言わずに飲んで下さいね」

「ありがとう……」


 手すりを枕にしてぐったりする早弥が、すぐにこれを飲めそうにはないが。

 結構な時間そうしていたが、ようやく起き上がるほどには良くなったか、生姜湯を飲み出した。


「あっつっ」

「あ、それは予想外でした。冷めてると思ってたので」


 温度くらい触っていたらわかると思うが、小指の先を当てても、熱さは伝わらなかった。持ちやすいが、温度を間違えそうではある。


「あとついでに、おれが持って行こうって思ったわけじゃないですからね、ろうさんが言ったんですからね」

「素直じゃないねぇ、言えばいいじゃん」

「だーまーれーこのチビ龍」


 なんだか言い争いが起きていたが、不眠続きの俺は、少しも耳を傾けなかった。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 高らかな汽笛が遠くで聞こえて、まぶたを開ける。

 ふと車窓を見ると、そこには、木造で平屋の建物と、プラットフォームがあった。


 もう到着したのか……早いな。

 どうも寝ていたらしい。


「えっ、もう着いた?」

「そうだよ早弥。早く降りるよ」


 荷物をまとめて早弥が席を立つ。

 俺も荷物をまとめて、盛大なあくびをした。


 降車したが、霧がかかった駅に、誰かいる気配はない。

 駅員室と思わしき部屋にも、誰もいない。どこを探しても、俺たち五人の他は、切符を確認していた車掌と運転手しかいなかった。


「無人駅……」


 まあ、山の中の田舎いなかだ。無人駅である方が自然。

 そういえば、市内でも、山の方は無人駅だった記憶が。


 とりあえず五人で駅を出て、坂を下りてみたが。


「……さぁ、どうしましょう」


 寳來が手を叩いて呟く。


 目の前には、足許しか見えない道と、霧と、ぼやけている山の一部しか見えない。

 地図もなければ、案内人もいない。


「え、行き方わからないの?」

「いや、教わってはいる。住宅街の方に向かってって言われたけど、こんなんじゃ見えるわけないじゃん」


 住宅街どころかどこが道なのかさえわからない。


「住宅街、かー……右……」

「じゅーたくがーい! 上! 地ぃー!」


 聞き覚えのある間抜けな声に、後ろを振り向くと──。

 結構大きい、あいつ──たか──がいた。


「……よういち?」

「は?」


 なぜか寳來が、鷹を見て、名前らしき言葉を口にする。

 ……どういうこと?


「ううん。こいつ、俺が人間からあやかしにした鷹だから。少し前に脱走しちゃってね……」

「たかたかー!」


 ……爆弾発言もいいところ、という言葉に、俺は驚きを通り越してあきれる。

 寳來、あやかしにした、鷹……人間から……。

 脱走……。


 まあ、俺が一番あきれたのは、そんな人間離れしたことをあっけらかんと言う、寳來の態度なのだが。


「俺になついているのか霊弥になついているのかは別として、ついてきちゃったね」

「あのー……」


 そう言ったのは早弥だった。


「住宅街、多分、右だよ。うっすらだけど、瓦屋根が見えたから」


 右……? と見てみたが、何も見えなかった。

 あると言われたら、あるようにも見えるが……。


「右?」

「う、うん」

「本当に、右?」

「う、うん……」

「本当にね?」

「う、う、うん……多分……」


 なんだこの寳來の圧……。


「んじゃあ、早弥の言葉を信じて、右に行きましょう。道は見える?」

「ええっと……下り坂になってて、左にくねってる……かな」


 その言葉を信じて進んでみると、確かに下り坂で、左にくねっていた。


「その先は?」

「まっすぐ行くと橋があるけど……」

「橋は渡らない。他に道は?」

「階段あるけど、右に……」

「多分それ。で、手すりは?」

「見当たらな……ない」


 そこで全員が立ち止まり、顔を見合わせる。


 この濃霧の中、手すりも何もなしで、階段を下れ、と言われているのだ。

 止まるのも無理はない。


「気をつけて下りろ、それだけですか?」

「え、だって、見えないものは……」

「仕方ない。んじゃ、俺は飛んでるから、みんなはゆっくり下りてねー」


 次の瞬間、辺りに強い風が、一瞬だけ吹いた。

 寳來らしき影は、見当たらない。


「うっぜーあの隊長! なんなんすかー!?」


 真菰の絶叫は、霧に覆われた谷にだました。

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