3-9(閑)外交官は見た

 早弥さやれいの双子が、珠寿化すずかやまで戦っている頃──。

 空を飛んで戻ってきた寳來ほうらいは、皇帝こうていの座られている前室ぜんしつの中で、ひざまずいていた。


わらわの命令だ。無理をして倒れるな。お前の体を壊したら、妾はどうすればよいか分からんからな」

「はいはい、母上。わかってますって」


 当たり前のようにテキトーに流す皇子みこの異質さに、部屋を囲うように立つ皇帝の側近たちは、慣れているはずが目を剥いている。


「聞け、寳來。今日の午後、……という国から使節が来る。お前には、外交官との面会を任せる」

「了解しました。お言葉に甘え、面会に臨みますよ」


 皇帝の割と近くに立っていた、小太りの側近がつぶやく。


「いつも通りだが、皇帝に面と向かってあの口調とは何とだいたんな……陛下も、ちょうあいのあまり全く気づかれていない……」


 側近は、一昔前に、国政が乱れたのを思い出す。

 その理由は、皇帝が、我が息子である寳來を寵愛しすぎて、国政がおろそかになったから……。


 寳來をしょうしんさせて仕事を増やし、皇帝にかまう時間を減らすことで事態は落ち着いた。しかし、あのときほど民が怒り狂ったときはなかった。


「うむ。まあ、贈り物として、きぬおりものを差し出しなさい。どうもあっちでは最近、絹の着物と洋服を取り合わせるのがりでね」


 そう言って皇帝は頬杖ほおづえをつく。寳來は、深海のような双眸そうぼうを曇らせることなく言った。


ぎょ。何か贈呈ぞうていされたら、直接渡しますのでね」


 軽くしゃくをすると、寳來は御前室を出て行った。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 迎賓室げいひんしつに置かれた華やかな絹織物は、窓からの光に照らされて、つやとして反射をしていた。

 彼からすれば、差し出すほどの安物だが。


「こないなもんを差し出してええものかね。これでも喜んで受け取ってもろうたら、なんもあらへんけどなぁ」


 巨大な神社の本殿ほんでんか、あるいは壮麗そうれい仏堂ぶつどうか。

 そんな迎賓室。


 背筋から指先までピンと伸ばしている割には、緊張の様子はうかがえない。そんな寳來の背後には、数えきれないほどの側近たちが並んでいた。


 やや遠慮がちに入ってきた使節を見て、寳來は一瞬だけ目をみはる。


(あちらでは地球のおうふうぶんが根付いていると聞いたけど、それは本当か。この都じゃ見慣れない格好をしている)


 近代日本の男性で流行ったような外套コート襯衣シャツ

 はっきり言って、寳來は制服でしか着たことがない。


 使節の頭領らしき者が口を開かないのを見て、寳來が一歩前に出る。


「遠路より桜雅国へお越しいただき、ありがとうございます。この国が誇る絹織物をお贈りします。貴国の品々とともに、末永き友好の証として役立てていただければと存じます」


 外交官は一瞬戸惑う。

 なんせ今の挨拶あいさつの言葉には、尊敬語と丁寧語は使われていても、けんじょうは使われていなかったのだから。


(皇帝も誇り高いと聞いたが、皇子みこ殿でんしかりか? これが今の大国の流儀、自分を持て、ということか……)


 なるほど、なるほど、とひとり納得した外交官は、寳來の目を見て、


「寳來皇子殿下、おうこくの御心遣いに深く感謝いたします。このような素晴らしい贈り物をちょうだいし、我が国の者たちも大変喜びましょう」


 深々と頭を下げた。寳來は頭を下げる素振りを見せず、口角を上げるだけ。

 構図的には、頭を下げる使節を、寳來が見下ろしている形だ。


「貴国の茶葉、その評判は耳にしています。その香り高い茶葉、ぜひ一杯味わわせてもらいます」

「ご期待に添えるものであれば幸いです。茶葉の持つ独特の香りや風味を、桜雅国の皆様にも楽しんでいただけることを心より願っております」


 寳來からすれば、この外交官の姿は、非常にへりくだったものに見えただろう。


「貴国の誇りある品、興味深い話です。こうして品を通じて互いの文化を学び合えることこそ、意義深い。滞在中は、存分にこの国を楽しんでいただきたいです」

「温かいお言葉、感謝いたします」


 しかし、欧風文化を非常に取り入れている国だから、てっきり洋菓子かと寳來は思っていた。

 いや、緑茶とは言っていない。紅茶かもしれない。


「桜雅国の文化や風景、その全てが学びとなるでしょう。どうぞ、今後とも変わらぬお付き合いをお願い申し上げます」

「もちろん。互いの絆がさらに深まるよう、期待しています」


 その後、外交官は寳來と共に別室に移動した。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 一の膳ときっせいしゅが運ばれてきて、外交官は目を瞠る。

 薄造りのたいと山菜の白和え、胡麻ごまどう田楽でんがく


「このような料理……久々に拝見いたしました」

「確か貴国では、最近は洋食が主流になりつつあるとか。そなたの食卓にも、そのように欧風のものが並べられていることでしょうね」

「ええ」


 半透明になるほど薄く切られた鯛を、外交官が一切れ取って口に近づける。その瞬間、酸っぱいさわやかな香りがほのかに漂った。口許くちもとに近づけるにつれて、香りは一層際立ち、すがすがしいかんきつるいの風味が空気を満たすようだった。舌の上で溶けるような冷たいさしはみずみずしく、鯛本来の甘みが酸味と絶妙に調和する。


「これは……柚子ゆずですか?」

「ええ。何せ桜雅国も広いので、同じ国とはいっても場所によって、全然気候が違うものですから。柑橘類には柑橘類に、葉物野菜には葉物野菜に、それぞれ適した土地を有しており」


 大陸内部のみねみねから、広々とした海にかけてまで広がる桜雅国だが、それなりに島も有している。

 東西南北を支配しているといっても過言ではない。


 それだから、各都市で気候が異なる。


「この一の膳の料理の材料、酒、それから食器、全て我が国の中でとったり、つくったりしたものですよ」

「やはり桜雅国ですね。何もかもが段違いだ」


 外交官は、猪口ちょこに酒を注ぎながらたんそくする。


「両国間が永久に笑い合えることを願って、乾杯」


 その最初から、二の膳、三の膳と運ばれた。

 外交官は少し酔いが回り、すでに酒を飲む手を止めている。


「皇子陛下はずいぶん飲むのですね」

「今日は抑えているつもりですけど。まあ、酔っても酔わなくても、ぱっと見ではわからなくてね、我も感覚がよくわかりません」

「……流石でございます」


 あっけらかんとそう言う寳來に、外交官は苦笑して頭を下げる。


 口にうなぎかばきを含む。

 まずくうに広がるのは、炭火で焼かれた香ばしい香り。そのまま歯を立てれば、外側のパリッとした焼き加減と、中のふっくらとした柔らかな身が心地よい対比を生む。タレの甘さと塩気が絶妙に絡み合い、舌の上で濃厚なうまが広がる。そこにさんしょうのぴりりとした風味が加わり、さらに後味が引き立つ――。


 だが、肝心の白米がもとにない。このタレと香ばしさが白いご飯に絡んだらどれほど幸せだろう、と外交官は、誰にも聞こえない大きさでひとつ。


 香り高い松茸まつたけの炊き込みご飯を口にするたびに、じゅんまいぎんじょうしゅで流し込む寳來は、やはり酔っているようには見えない。

 外交官はすっかり酔ったのか、


「桜雅国の酒はせんさいで香り高い。だが、我が国にはもっと……強いものがあるのですよ。蒸留酒をご存じですか? いっこんで、誰もが酔いに沈むほど強い酒です」


 とか、笑いながら言った。

 実際にそういう酒は存在するのだが、あまりに強すぎて、相手国では摂取制限があるとか。


 しかし、酔いを知らない寳來は──。


「ほう、それは楽しみですな。だが、次回まで待つのは少々惜しい」

「惜しい? とは?」

「いや、何。我が直接味を確かめることができぬのが、少しばかり残念ということです。だが、そなたの話を聞いていると、その酒がいかに興味深いものかは伝わってくる。次の機会には期待しています」


 その一言で、外交官の酔いも、すっかり覚めてしまった。円窓えんそうから吹く夕風が頬の火照ほてりを冷ます。


「は、はは。もちろん、次回は持って参りますとも」


 そう苦笑いする外交官は、胸の奥でつぶやく。


(人もあやかしも、半妖も、見かけによらぬものだな……)

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