3-5 二十一グラム【side 早弥】

「……すか……ぶですか……いじょうぶですか……?」


 かすみがかった視界と脳内。どこかから聞こえてくる、若い男性の声。


 ……何があったんだっけ。

 ああ、そうだ。あのむち式神しきがみの急所に、矢を射って。

 そうしたら、鞭が飛んできて。


 全身が痛い。鞭打ちされたみたいな激痛が、おさまらない。

 ……鞭打ち?

 ……あ、あの鞭に、当たった……ってことか。


「大丈夫ですか!? い、意識……」

「あっ! ごめんなさいっ……」


 慌てて飛び起きたけど、身体に力が入らなくて、すぐに背を地につける。

 よく見ると、ひどいありさまだった。自分が。


 着ているものはところどころ破けていて、血がにじんでいる。

 目の前の彼が手当してくれたのか、最初に鞭にられた二の腕には、包帯が巻かれていた。それも、あかく染まっている。


 目の前にいたのは、鞭の式神から逃げていた、彼だった。


「あ、あの……ぼく、医師の家の出身で。傷薬にはようりょくが込められているので、治りも早いと思います」


 どうりで、激痛だと思った。

 彼がいう《妖力》とは《治癒ちゆのうりょく》のことだろうな。


 寳來ほうらいくんもこもくんも《治癒能力》を持っていたとすると、珍しい妖力というわけでもなさそうだ。


 ……待って。

 ここは……どこ?


 辺りを見渡しても、同じような林ばかりだ。鼻を突き刺すようならんしゅうはしないけど、代わりに、ただ禍々まがまがしい。


「ここは……どこ……?」

「さぁ……ぼくもさっぱり。式神のほとんどいないところに逃げるのに精一杯で……開けた場所に行きましょうか?」


 僕は頷いて、立ち上がろうとしたけど……薬のせいか、全身の傷がうずいて、立っていられない。

 右足を引きずりながら、木の幹を支えにして、歩き出した。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 山の中腹の辺りか、開けた場所だった。

 座るのにちょうどいい岩が、崖を見下ろすように、ぽつんと乗っかっている。


 僕たちはそこに座った。とは言っても、結構なケガを負った僕は、深めに、若干岩にもたれる形だったのだけど。


 彼は、腰にかけていた袋から、びんと木箱を取り出した。


「それは?」

「瓶は軟膏なんこうで、これは手当の桐箱きりばこです。傷、見せて下さい」


 そう言われたので、僕はすそそでを、傷が見えるところまでまくった。

 うわ……自分で言うのも何だけど、痛々しい。


「痛いかもですが、我慢して下さいね……」

「う、うん……ひぇぇえ……」


 傷に塩を塗られたような感覚だ。すごくみる。

 軟膏はあまり滲みないという認識があったけど、傷薬は全部そうなんだ……。


 挙げ句の果て、傷を負ってからすぐに手当しなかったことがわざわいして、ひどいことに。

 うん……仕方ない……。


「うわっ……すぐにやらなかったから……すみません、飛ばされたのにはすぐ気づいたのですが、探すのに手こずって……」

「そうだったんだ……鞭の式神は、仕留められてた?」

「確か。呼吸している様子もなかったので」


 式神って呼吸するんだと思いつつ、傷薬の塗られる痛みに必死に耐える。

 ひえ……ささくれがあるのに塩をつまんだときより痛い……。


「包帯の上に紗布ガーゼをかぶせ……あの、どの素材がダメとか、ありますか?」

「え? あ、ないです!」

「よかったです。清潔なものでも、皮膚に合わないと炎症を起こしてしまいますからね」


 医師の家の出身と言う通り、手当はかなり手慣れたご様子。

 我が家で手当しているあの人霊弥くん、こんな上手じゃない。まあ、素人しろうと玄人くろうとって違いはあるけどね。


 彼の手際がよすぎて、あっという間に手当は終わった。


「ありがとうございます!」

「いえいえ、これでも医師を目指す身なので。……傷の手当くらい、お茶の子さいさいです」


 そう言う彼の笑顔は、とっても清々すがすがしかった。

 輝く太陽より、まぶしかった。


「……すみません。一つ、お話を聞いてくれますか」


 一転、寂しい声になった彼の言葉。


「……もちろん」

「ありがとうございます。これは、少し前の話──」



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 一昔前のこと。


 彼には、兄がいた。

 兄は、医師である父親の考え方は継いだが、勉強が苦手だったので、跡目は継がなかった。


 代わりに、幼い頃に道で見かけた兵隊に憧れて、軍隊に入るための勉強をしていた。どんなに勉強が苦手でも、必死に勉強していた。

 と、彼が成人した頃、都から、軍隊の募集がかかった。


 その入隊試験の実技試験は、ようそうとうとくたいの実技試験とそっくりだったという。


 憧れの兵隊になるため、鍛錬たんれんに鍛錬を重ねた兄は、順調に合格に近づいていった。


 しかし、彼は山中で、いるはずのない者を見かけた。

 年端もいかない、貧相な子供だった。式神に襲われている。

 だが、まだ見込みのある命が奪われることほど、兄が嫌いなことはなかった。


 だから、子供をかばって逃がした。

 その子供は、近くの村の子供だった。後で試験官たちが発見し、故郷に帰された。


 しかし。

 兄は、絶壁から転落してしまった。遺体も見つかっていない。


 ただほうだけが家に伝わり、家族はみな悲しんだ。

 だが、兄のことをそばで支え、誰よりも応援し、そして兄の訃報を誰よりも悲しんだのは、弟である彼だった。


 兄は、自分が一番嫌いな死に方をした。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



「あなたはさっき、同じ状況でした。一歩、運命が違えば、あなたは生きられたのに死んでいたのですから」


 真剣な眼差しと声に、思わず圧倒される。

 そうだ……もしあの鞭の当たりどころが、悪かったら……。

 想像するだけで、身体が震える。


「ぼくも兄と考え方は同じ……まだ見込みのある命が失われるのを見るのは、本当につらいです。医師の身としては、決して珍しいことではないのですが」


 当然、僕が死ぬのを見るのも、つらかった。

 目の前の命が失われることがつらくない命が、果たしてこの世に存在するのだろうか。


「ですから、自分の身を第一に戦って下さい」


 最後に彼は、僕の両手を包み込んで、隙間から何かをすべらせた。

 和柄の描かれた、こじんまりとしたきんちゃくぶくろだった。


「軟膏と包帯と紗布ガーゼが入っています。清潔に保てば長期的に使えますので」

「……ありがとう」


 最後に深く頭を下げて、数秒、微笑んでいた。

 まぶたを開いたときには、彼の姿は消えていた。






 ……ってちょっと待ったー!

 霊弥くん、どっか行ったまま見つかってないぞー!?

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