8 く、久坂部さん……?

 

 クサヤツとは久坂部・奴原の略のようだった。姫野・市平を略するとヒメイチになるのだろうかと思い、返信で聞いてみた。着信が来たためすぐさま取った。

「いやそこ?」とまず言われた。

「いえ、他にもあるにはありますが、姫野さんの仕事の速さに驚いてしまって……」

『あー私ってあれなんだよ、所謂自由業っていうかー、まあフットワーク軽く動けるの。本屋さんと服屋さんに比べると』

「そうだったんですね、すごいです」

『うーん、奴原さんてこう、キャッチボールの返し玉が超教科書』

「そうなんですか、申し訳ないです」

『よし、この話は一旦やめよっか! ムームー記事の夫妻についてね!』

 本題なのでお願いした。姫野さんは咳払いを挟んでから話し始めた。

 大体このような概要だった。

 姫野さんはまず、集落の役所に電話をかけた。ムームーの記事について聞くと理解されず不審がられたが、夫妻の話に移るとややあってわかってもらえた。しかしどうやら夫妻はもう集落には住んでいないらしかった。移住先は知っているが、姫野さんは他人であるためほいほいと教えるわけにはいかず、相手方に了承を得てから折り返しの連絡をすると言われた。了解し、電話を終えた。今ここらしかった。

「折り返しがいつ来るかは、未定なんですね?」

『そう。だからとりあえずはここで待ちのターン』

「わかりました。素早い対応に素早い調査、ありがとうございます」

『諸々お互い様だよん。クサくん、どう?』

「今様子を見るために向かっています」

 すっかり覚えた久坂部さんのアパートまでの道を進んでいた。電話の向こうで姫野さんはお礼を言って、僕は諸々お互い様ですと言葉を二重の意味で返して、世間話をぽつぽつ話しているうちに目的地のアパートに辿り着く。

 玄関扉の向こうは変わりなく暗い。部屋の電気をつけるとベッドに転がったままの久坂部さんの姿があった。そばに腰を下ろし、枕に沈んでいる頭を持ち上げる。朝よりは重い。膝に載せて更に重量を確かめてみるがやはり重い。

 スマホをかざし、

「脳自体は、恐らく再生しつつあります」

 実況中継をすると姫野さんは了解してからうーんと唸った。

『再生し始めたのは超良かったし、それならまあクサくんもそのうち目を覚ますんだろうなとは思うけど』

「僕もそうは思います。部位が取れるのが初めてなので、なかなかうまく生えていないだけなのかなと」

『それはそうだとしても、私が気になってるのはさ、その、』

「はい」

『再生した脳って、記憶はどうなってるのかな』

 わからない。僕の周りに、腸や心臓や脳などの、臓器が取れた人はいない。市平さんが探してくれた本の中の例にも、例外として一例載っていただけだった。

 二人とも数分黙った。その間、膝に載せている久坂部さんは相変わらず身動きをしなかった。瞼は両方降りたままで、その奥の眼球は動かない。そっと触れてみたけれど痙攣もせず、ただじっとそこにある。

「……こちらはこちらで、待ちのターン、ですね」

 ややあってそう言うと、姫野さんは溜め息混じりに同意した。

『クサくんが起きたら教えてちょ。私は私でムームーご夫婦の続報が来たら教えるし、市平ちゃんは市平ちゃんで更にいい記事が見つかったら教えてくれるはずだし』

「はい、お二人のことは信用しています。……あ、久坂部さんの職場の方には、急病での欠勤として連絡を入れました。とりあえず四日ほど」

『四日でなんとかなるといいな〜〜、マジで!』

「四日の間に僕のどこかが取れないようにも祈っています」

 姫野さんはカラッとした笑い声を上げてから『それな!』と面白そうに言った。なんというか、シリアスにさせないことが上手な方だ。僕が眠り続ける久坂部さんを一人で見ていたとすれば、どんどん暗い方向へ行ってしまっていた気がする。

 状況が進み次第連絡をすると再び約束を交わし合ってから通話を終えた。久坂部さんの頭を撫でて膝から下ろし、とりあえず何か食べようと適当に夕飯を作らせてもらった。仕上がった卵ともやしのとん平焼きはそれなりな味だった。白米味噌汁と共に口へ運んで食べ進める間に、そういえば久坂部さんにも何か食べさせた方がいいだろうかと思い付いた。寝ているとはいえ生きている。栄養失調で死んでしまっては元も子もない。

 とはいえ微動だにしない状態の人間に食事を摂らせるのは困難だ。お粥、ゼリー、点滴、注射……考えながらベッドへと顔を向けた。目が合った。物凄く、濃厚に目が合った。久坂部さんが瞬きもせずにこちらを見ていた、僕は驚き過ぎてお箸を落とした。久坂部さんはそれでも微動だにしないままだった。

「く、久坂部さん……?」

「……」

「あの……」

「……」

「……、もしかして……?」

 半分ほど残っていたとん平焼きを皿に取り、久坂部さんのそばに膝をついた。一口分を箸に挟んで口元へ持っていくとパカリと開いた。慎重に、入れた。閉じた。箸ごと噛まれかけて慌てて抜いた。久坂部さんは規則正しい咀嚼をしてから飲み込んで、またパカリと口を開いた。

 巣の中で餌を持っている雛鳥を思い出す行動だった。

 新しい脳がとにかく栄養を欲しているのだなと、理解した。

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