19
西暦二〇二五年
「なんともトンチキな結末だったな」
完全に電源の落ちた電強外殻はイジェクトすら作動せず、相原は鎧を二人に脱がせてもらわなければならなかった。
野々村が部屋から取ってきた工具を使って少しずつ、パーツごとに外側から解体し、ベースフレームの露出した時点で鮠川が相原を引きずり出したのだが、屈強なこの老人もさすがに疲れたらしい。一言感想を述べてすぐ床へへたり込み、しばらく動かなかった。
「細胞間で殺意が受け継がれる現象を逆利用して本体を殺すなんざ、SFどころじゃない、ファンタジーに偏りすぎだ。はじめは北見が殺人鬼の本性でもあらわしたのかと思ったが、わしの勘が衰えたのじゃない。相手が化け物過ぎたんだ」
「……これで完全に倒せたんでしょうか」
横たわり、ピクリとも動かないサルを眺めながら鮠川が問う。
「多分大丈夫だと思うよ。まだ少し動きはあるけど……」
少し距離を置き、丸眼鏡の奥で目を眇めながら野々村が答えた。
「見た感じ、傷口は再生していないから」
「そこのパイプで突き刺してみろ」
相原がどちらへ言うでもなく促した、その時だ。正面玄関の前に一台のバンが乱暴に停車した。ドタバタと降りてきたのは朝から町へ行っていた天翔園住人の久賀だ。エントランスへ入るなり、
「おいおい、ここもか!」
でっぷりとした大柄とチョビ髭の印象的な彼は叫び、床へ転がるサルを認め、ぎょっとした顔で立ち竦んだ。
「おいおいおいおい……、相原さん、あんたが倒したのか?」
「まあな」
相原は肩を竦め、
「それより、ここ以外にも襲われてるのか?」
「襲われてるどころの話じゃない。何も知らんのか?」
久賀は目を丸くした。
「世界中にこいつが現れて人を殺しまくっとるそうだ。最後に見たテレビで言っとったが、百年周期で地球に近づく小惑星帯に異常が起こって、そいつが殆ど地球へ墜ちてきた。その中からこいつらが現れてやたらめったら人を殺すんだ。わしらも下の町へ降りた直後に襲われた。車の中にいたわし以外瞬殺だ。わしは大混乱の町の中を逃げ回って、やっとここへ辿り着いたんだ。銃を取りに来た」
〝忙しい〟とはそういうことか、と呟く相原。久賀を向き、
「銃は効かんぞ」
「それも知ってはいるんだ。自衛隊も含めた世界中の軍隊が応戦しているそうだが、こいつらの再生能力が高い上に市街でゲリラ戦を強いられるんであまり効果がないらしい。銃を持っとこうと思ったのは、あくまで用心のためさ……わしの銃を使ったのか?」
「三階に転がっとるはずだが、かなり汚れてるだろうな。あるいは壊れとるかもしれん。あとで弁償するよ」
「いいってことだ。それより、さすがな相原閣下にお土産がある」
久賀は歩み寄り、手に提げていたビニル袋から取り出した拳銃を相原へ渡した。
「死んでいた警官のもんだが、使えるだろう?」
「――多分な」
にやりと微笑んで相原はリボルバーを改める。
「異常は無し。弾も入っとる。使えるよ」
「わしはピストルはよう扱わんのでな。あんたに持っててもらうと心強い。混乱に乗じて人間のふとどきモノも出るはずだ、そいつらからわしを守ってくれ。そうすればライフル代はちゃらだ」
「オーケー、わかった」
相原の笑みが大きくなった。老人は完全に気力を取り戻したようだった。それどころか、以前に増して元気づいたとすら見える。
「他の連中はどうした?」
「まゆみちゃん、北見、菅野、先生は喰われて死んだよ。おそらくウサギもな。外山さんは逃げたらしい」
「ああ、なら、あれはやっぱり外山さんか」
「見たのか?」
「帰ってくる道の脇に倒れてる婆さんがいた。首が折れているようだったし、出血がひどかったから多分死んでるだろうな。言われてみると服や背格好に見覚えがあるよ。外山大先生だ」
「別の個体に襲われたかな?」
「うーん、どうだかな。足を滑らせて、斜面から落ちたみたいにも見えたぞ。この山に入ってからここへ着くまで化け物を見ていないから、泡喰って逃げる時にショートカットしようとして滑落したんだろう」
「敵前逃亡で自業自得か。いい気味だ。おい!」
相原のその呼びかけは、アイドリング中のバンへ向かって玄関を抜けようとする鮠川へ向けてのものだ。
立ち止まって振り返った彼へ、
「若者はせっかちだな。こんな戦いの後なんだ。少し休憩すりゃぁいいだろうに」
穏やかに微笑みかける。
「それどころじゃありませんよ!」
鮠川は上ずった声で答えた。
「久賀さんのお話しを聞く限り、さるのばけは今、世界中に現れて人を襲ってるんですよね。そして人々は有効な手だてを見出せずにいる。いいですか、こいつらの倒し方を知ってるのは、今のところ世界で僕たちだけかもしれないんですよッ?」
「だからどうする? 皆に広めて、自殺志願者でも募るか?」
「そこまでは分かりません、でも皆で知恵を使えば、きっと有効な手段が見つかります。脳医学の専門家ならマイナス感情を増幅するホルモンや薬品に詳しいでしょう。細胞記憶の専門家なら、電気的に記憶を操作する方法を知っているかもしれない。とにかく僕らの体験をヒントにして、もっときちんとした対策を立てられる可能性があるじゃありませんか。なら、僕らは急いでここを出て――」
「なるほどな」
乾いた音が立て続けに二度起こり、鮠川は地面に膝をついた。
「おい、相原さん!」
「大丈夫だ。この弾なら貫通せん。車に傷はつかんよ」
「いや、一発でいいだろうという話だ」
久賀の言葉に乾いた笑い声を響かせ、相原は立ち上がった。彼の手にした拳銃からまだ薄く、煙の筋が立ち上っている。歩み寄り、諸膝立ちで大きく痙攣している鮠川をつま先で小突いた。
「若いもんってのはこれだから嫌なんだよ。前の世代が築き上げたものへ平気で胡坐をかきやがる」
虚ろな視線を上げる鮠川の前にしゃがみこみ、低く、より低く、
「お前が一体何をした?」
老人は問いかける。
「戦ったのはわし、スーツを作ったのは野々山で、最後のアイデアを出したのは外山の婆さんだ。お前は一体何をしたんだ? 最後にちょこっと手伝ったくらいで仕切る資格を持てると思うな。他人様が必死に勝ち取った儲け話のおこぼれに与ろうとするだけじゃない、台無しにしようってのか。そりゃ、生きてればお前らにも日の目は当たるさ。だがそれは、わしらと同じくらい苦労してからの話だ」
顔面から倒れ込む鮠川。相原は鼻を鳴らして立ち上がった。
「久賀さん、野々村さん、とりあえず飯にせんか」
※
三人が遠ざかって、どれほどの時間が経ったろう。鮠川はまだ、死んではいなかった。力の限り這いずって、さるのばけに近づいていた。夥しい流血を轍と残し、時に力尽きたかのように見え、だが再び気を取り直して這い進んでいた。彼の目に、サルはサルとして見えなかった。倒れているのは珠子だった。相原に辱められた彼女は今、白く清らかな裸体も露わに、鮠川へ勝気な微笑みと悔し涙を向けているのだった。絶望の深淵へ沈みかけているのだった。
あなたは負けない、と鮠川は思った。
――なぜなら、僕が犯すから。
傍らまで辿り着き、身を起こしてしばしその顔を見つめる。
これは裏切りだ。あなたのための裏切りだ。
唇を重ねた時、鮠川は自分の内側から熱い流れがせり上がるのを感じて口を開いた。鉄臭い流体、彼の決意がごぼごぼと音を立てて珠子の体へ注ぎ込まれる。押し広げ、彼女の内部を満たしていく。
彼は奥の奥まで浸透し、まだ完全に巌谷に押しのけられていない彼女を探り当てた。接合し、一つになった。憎悪が更新され、細胞の再増殖が始まる。全てを終え、鮠川は最後に一度、顔を上げた。
未来を見据え、爛々と輝く獣の目。
「老人どもを皆殺しだ!」
言った直後、首を起こしたサルが彼の頭部を食い千切った。
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