第28話 大英雄

 この国には英雄がいる。誰よりも強く、誰よりも気高く、誰よりも優しい。そんな大英雄だ。

 誰もが彼を想っている。感謝し信仰すらしている者、強く憧れる者、共に戦おうとする者、嫉妬を向ける者、馬鹿な男だと笑う者。思いは様々でも、彼を無視できる物はいない。

 俺は………。






「昨日食われたのは、あそこから侵入してこの家までの住人で間違いないな?人数は分かるか」

「はい。ダズとウィルの一家、それとアニェスの小屋がやられて全部で16人です」


 みんな食われて死んじまった。うるせぇウィル爺も、ガキの頃からずっと一緒だったダズも、みんなの憧れだったアニェスも、あの化け物に食われた。

 恐怖と絶望に歪んだあいつらの顔が頭にこびり付いて離れねぇ。子供だけでも逃がそうと必死なあいつらを眺めながら俺は、ただ小便漏らして震えているだけだった。

 あの化け物は一度見つけた獲物は逃さない。腹が膨れたら消えて、夜になったらまた食いに来るんだ。俺達はもうおしまいだ。


「英雄殿がこちらに向かっている。あと一晩だけ頑張るんだ」

「頑張るって、あんなの相手に何を頑張るってんですか?英雄サマは何をしてんだ」

「恐怖に負けるな。あんな化け物でも剣で切れば血が出るし、刻めば死ぬんだ。火と武器を用意しておけ」

「………お役人さんは見たことあるんですかい?」

「俺はレオンだ。動いているのは無いが、切り倒された跡を見たことがある。まっ、俺はここに残るからな。今晩は見るどころか戦う事になるかもしれん。これでも町の剣闘大会で優勝したこともあるんだぞ!先頭は俺に任せろ、援護は頼むからな!」

「そうですか……あいつに報いを与えられるなら俺だって………!」


 力が、闘志が湧いてきた。俺だってやれるはずだ!絶対にやってやる!

 俺だけじゃない、話を聞いていた村の連中の心にも火が入ったのが分かる。絶望して震えるだけでいられるか、あいつらの仇を取るんだ!


 村に残ってくれたレオンが皆に力をくれる。暗闇に包まれた心に火を灯してくれる。

「潰された家をバラして薪にするぞ!今晩は絶対に火を絶やすな!常に武器を抱えておくんだ!」

 レオンは英雄だ。この小さな村の英雄。既に俺達を救ってくれたんだ。たとえ今晩あいつに食われようとも、俺は戦って死ぬぞ。


「あんた、逃げた方がいいんじゃないの?」

「とうちゃんも戦うの?」

「ああ。もし食われたのが俺達だったらダズだってきっと戦ったはずだ。ここで逃げるわけにはいかん。お前たちは村長の所でみんなと隠れていてくれ。」

「あんた……。わかったよ、無事で戻っておくれよ」

「とうちゃんがんばって!」

「任しとけ!」




 潰れた家をみなで解体し、更に薪を持ち寄って火を焚いた。

 剣なんて持ってないが槍はある。弓を持ってる奴もいる。

 これをあの野郎に突き刺してやるんだ。レオンだっている、村のみんなで力を合わせればきっと一矢報いる事くらいは出来る。

 見渡せばみな覚悟の決まった顔をしていた。俺だけじゃない、絶対に勝てる!




 大きな月の下、篝火がバチバチと音立てる。村の外の闇を睨みつけていると僅かな地鳴りがした。

 ゴ……ゴゴ……ゴゴゴゴ……。

 地の底から何かが這いずり出てくるような、鈍く、不吉な振動。家々が軋みを上げ、地面が細かく揺れる。

(来た……。どこから来る?)

 他は人に任せ、目の前の闇を睨みつける。そこで見つけた。巨大な怪物が、村へと這い寄ってくるのを。


 肉塊の山のような胴体が大地を引きずりながら迫り、地面に爪痕を刻んでいく。肉と骨を適当にかき混ぜた様な滅茶苦茶な体だ。

 にもかかわらず動きは恐ろしく速い。無数の足のような手が、大地を抉りながら次々と前へと運ぶ。どの手も異様に長く、関節が異常な方向へと曲がり、ねじれながら力強く地面を蹴って凄まじい勢いで迫ってくる。


「来たぞ!あそこだ!」


『ボオオオオオオオオオオオ!!』


 闇の中から這いずるように、巨大な肉塊が無数の手を蠢かせながら村へと迫る。ぎょろぎょろと動く無数の眼が周囲をなめ回し、裂けた巨大な口が、不規則に痙攣しながら開閉を繰り返している。


「な……なんだ、これは……」

 そばに立つレオンが息を呑む。


 化け物は近づきながら、無数の眼をぎょろぎょろと動かしていた。眼球は大小さまざまで、裂けた肉の隙間から無秩序に覗き、まばたきを繰り返している。その視線が俺達に向けられた瞬間、全身が硬直して動かなくなった。


「……み、見るな……見たら……!!」


 誰かが叫ぶがもう遅い。


 怪物の胴体に裂けた巨大な口がゆっくりと開く。中にはびっしりと並ぶ無数の牙、奥には深淵の闇。そこから長い舌が飛び出し、音もなく仲間のひとりを絡め取ってしまう。


「うわあああああああ!!!」


 舌に巻かれて宙を舞い、まるで虫を吸い込むかのように、怪物の口の奥へと消えた。


 ――ゴブリ……グチュッ。


 呑み込む音が響く。誰もが凍りつき、絶望を思い出す。


「……化け物だ……!」

「やばい……やばい……」

 絶望に包まれる中、レオンが前に出た。


「落ち着け!! あんなデカブツ、動きは鈍い! 俺がやる!」


 レオンは恐れず剣を構える。大型の両手剣、あれを叩きつければあの化け物だって傷を負うはずだ!

 俺達も続くんだ。恐ろしくても、レオンに続くぞ!

 だが、レオンが踏み込んだ瞬間、怪物が跳んだ。


「――ッ!?」


 鈍重そうなその巨体が、無数の手を使い、獲物を狩る獣のような速度で猛突進する。

 地響きとともに、レオンは影に飲み込まれた。


「ぎゃああああああ!!たすけ……」


「レオン!」


 叫びもむなしく、レオンの体はバリバリと骨を砕く音とともに、咀嚼されることなく丸呑みされた。


 ――ズン……!


 地面に大きな一歩が響く。

 怪物は満足することなく、再び次の獲物を探すように眼を動かし始めた。



 食われていく。誰も何も出来ない。

 一矢報いる?刃を向けることすら出来ない癖に何を考えていたんだ。

 化け物は腹が膨れたら帰ってくれる。それが俺達の希望だ。

 後は俺だけだ。さあ、俺も食え。だからあいつらにはもう一日だけの生を。



 覚悟を決めたその時、何かが化け物に飛び込んだ。


 ズドン!!と轟音を轟かせて、化け物の手が斬り飛ばされる。


『ボオオオオオオアアアアア!!』


「化け物め、全て吐き出せ」


 静かだが、まだ子供の様な声。

 そこには、一人の少年が立っていた。

 長い外套をなびかせ、肩には巨大な剣を担ぎ、堂々とした足取りで化け物へ向かっていく。

 怪物の無数の眼が、その少年を一斉に捉えた。

 俺たちが絶望し、膝をつく中でも、その少年だけは――

 まるでこの怪物など取るに足らぬと言わんばかりに、微塵の動揺も見せずに、歩を進めていた。

 最強の英雄が、ここにいた。






「怪我はないか?」

「あぁ、いや、はい。俺は何も。みんな抵抗も出来ずに食われちまいました」

「そうか、なら手伝ってくれ」

 きっとこの少年が英雄サマなんだろう。突然現れて、事も無げに化け物を倒してみせた。

 だがもっと早く来てくれたら、ほんの半刻早かったら、あいつらの犠牲はなんだったんだよ。


 俺が筋違いな恨みごとを考えている間に、英雄サマは化け物の気持ち悪い体を切り裂いていく。

 何をしているのかと思えば、怪物の腹からごろごろと転がり出てくるモノがあった。

「レオン…、それにダズもアニェスも」

 ぐちゃぐちゃに潰れて千切れた体のパーツ。それでも幾人かの顔が分かったのは幸か不幸か。


「頭だけでいい。取り出して並べてくれ。」

 なんだってんだ?

 まぁ、こんな有り様は他のみんなには見せたくない。供養するためにもここは俺がなんとかしよう。


 1人ずつ頭を並べていく。体が付いている場合は英雄サマが容赦なくぶった斬った。

 この悲惨は状況でも平気な顔をしている少年。どういう神経してるんだよ。やっぱ英雄なんてのは嘘っぱちだ、頭のおかしい戦闘狂でしかない。


 並んだ頭の前で、英雄サマは目を閉じて祈りを捧げた。

 何を思っているのか、あんたには関係無いただの村人だろう?

「時の奔流よ、逆巻き、失われし魂を元の座へ導け」


 英雄サマが何かを唱えると地面から無数の黒い腕が生えてきた!

「なんだ!なんだってんだよ!」

 黒い腕は周囲を埋め尽くし、麦みたいに揺れている。何をしたんだよ、これじゃあまるであの化け物みたいじゃないか。

 黒い腕に視界が埋め尽くされて目を瞑ったような瞑ってないような、気がついたら黒い腕は全て消えていた。


「ぐぅぅっっ!」

「英雄サマ!」

「大丈夫、少し疲れただけだ。それより、あいつらに布でもかけてやれ」

「え?」

 英雄サマの視線の先に目をやると、そこには犠牲になったはずのみんなが!頭だけじゃない、しっかり四肢もついている!

「これは一体!?生きてるのか!?」

「そうだ。今見た事は誰にも言うな。あいつらの為にもその方がいい。頼む」

 それだけ言って英雄サマは倒れた。




 その後、英雄サマに言われた通り大急ぎで体を隠すものを運んでいたらみんなが動き出した。

 目の前で食われたレオンも、昨日食われたダズも、頭が割れていたアニェスも、みんな眠ってただけみたいに目覚めた。

 みんなに死ぬ寸前の記憶はなかった。化け物に襲われて、気づいたらここで目覚めたという。

 俺は何も言えなかった。お前たちは食われてぐちゃぐちゃになり、潰れた頭だけで並んでいたなんて言えるかよ。こいつらの家族はこれからどんな顔をして過ごすんだよ。


 目覚めた連中が布を身に付け、恥ずかしそうに家に戻っていく姿に笑った。アニェスだってもういい歳の癖に、ガキの頃みたいに顔を真っ赤にして怒ってる。失われた筈の日常が帰ってきたと実感した。


「それで、このガキは誰だ?」

「馬鹿野郎!この人が化け物を倒してくれたんだよ!凄かったぜ、いきなり現れてドカンよ!あの化け物相手に一歩も引かずに叩き潰したんだ!」

「ほんとかよ、寝かしてていいんかな?」

「いいわけねぇだろ!」






 慌てて英雄サマを集会所に運んだ。放ったらかしにして怒られちゃかなわん。

「あんた、こんな子が本当に?」

「何度言ったらわかるんだ、本当だって言ってんだろ」

 眠ってる英雄サマはただのガキに見えた。ウチの息子共よりちょっと上の普通のガキ。

「汗がすごいね。拭いてあげよう」

「ウチの着替えなんて着せていいんかな」


 ゴソゴソと服を脱がせたら腕が取れた。左腕がゴロンと。

「う、うぉぉぉぉぉ!なんでぇ!?」

「あ、あんた、これ義手だよ」

「義手?」

 取れたと思った腕は義手だった。それだけじゃない、体中傷だらけだ。左腕が無く、全身に大きな傷跡、体のあちこちが歪んで異様に捻れている部分がある。

「余裕で戦ってるんじゃなかったのかよ」

 英雄サマはズタボロだった。そりゃそうか、あんな化け物を相手にして平気なわけがあるか。

「なんでこんな子が、こんなになるまで」

「そりゃあお前、他に勝てる奴がいねぇんだから……」

 いねぇんだから、仕方ないだろ。

 仕方ないから、戦ってるのか。こんなガキが、力のねえ俺達の為に、自分を犠牲にして。


「うっ…」

「あ、英雄サマ!」

「ここは……、世話になったみたいだな。ありがとう。俺はもう行く」

「とんでもねぇ!きたねぇところですが、休んでいってくだせぇ」

「ありがとう。だがまた次の化け物が現れたようだ。行かないと」

「えぇ!?で、でも少しは休まねぇと!」

「気持ちは嬉しいが、休んでいる間に誰かが犠牲になるかもしれない。俺は誰にも傷ついてほしくないんだ」


 それだけ言うと英雄サマはすっ飛んでいった。その先には俺達みたいなのがいるんだろう。

 英雄サマは出来る限り早く来てくれたんだ。命懸けで化け物と戦い、ぶっ倒れてまでみんなを救ってくれた。

 それなのに礼も受けず、休む間もなく次に向かったんだ。


 どれだけの奴がこの事を知ってるんだ?誰があの英雄サマに報いるんだよ。

 せめて、知ってもらわなくちゃ割に合わねぇ。みんなに称えられて、感謝されて、幸せにならなくちゃいけねぇ。そうじゃなきゃおかしいだろ!


「俺が見た全てを話す。それが俺の役目だ」




 こうして俺は英雄様を語り続けることになった。

 村の集会所、町の広場、都の劇場で英雄様の所業を伝える。

 化け物の恐ろしさ、英雄様の強さ、みんなを救った超常の力。そしてそれを行った英雄様も人間であること、傷つきボロボロの体でも休むこと無く人々を救っていること、ついでに見た目も凄くカッコイイことにしておくくらいはいいだろう。


「世界は英雄様の愛と犠牲で救われています。だからみんなも英雄様を愛し、力の限りお返ししましょう」


 英雄様の愛は世界を包んでいるんだから。

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