第30話「歴然とした差」

 迫る視界一面の炎を前に、最後の瞬間まで、せめてこの光景をかみしめるべく俺は瞳を開けていた。


「――――え」


 何の前触れもなくブレスが目の前で霧散した。

 なにか見えざるものに阻まれたかのように消え……そして、黒いローブに身を包んだ小柄な人物が目の前に降り立った。


「っ……」


 右手に握られている剣の刀身は鋭く輝き、青白く発光した異国の文字が刻まれている。その固有能力は、A01のブレスを無効化するというもの……。


 黒いローブに身を包んだ少女は姿勢を低く落とすと、踏み出した右足に力を込め、勢いよくA01へと近づいて行き、首元へと跳躍すると鋭く剣で薙いだ。


 まるで今まで俺たちが命の危機に立たされていたことが嘘のように、A01の首が簡単に両断される。

 A01はその体躯をビルにもたれかからせるようにして絶命し、切られた勢いで跳んだ首が転がり落ちた。


 首を切った際に剣についたのか、青黒い汚れを振り払った少女は、こちらへ振りかえり――目深にかぶったフードにより、その表情はうかがえないが、口元は悔しそうに強く引き結んでいた。

 ああ、やっぱり。……見間違えるはずもない。


「……会、長」


 俺のつぶやきに答えるように会長は駆け寄ってくると、


「……え?」


 俺を強く抱きしめた。

 春花とは違うが、包み込むような柔らかさと、埃臭さと焦げた匂いに混じったわずかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 フードが脱げ、乱れたブロンドの髪が俺の頬を優しくなでた。


「なんでこんな無茶をしたのよ!?」

「……え」

「よかった……間に合って…………よかった、本当に……」

「おい……会長……?」


 状況があまりにも飲み込めずにいた俺の下に、もう一つの足音が近づいてくる。


「き、桐原さん! 無事ですか!?」


 視線だけを動かすと、ぼろぼろと涙を流しながら川崎が駆け寄ってきていた。

 鼻をすする音が聞こえ――耳元で聞こえたから、それは会長のものだったのかもしれない。

 俺から離れた会長はさりげなく目元の涙をぬぐうと、睨みつけてきた。


「っ――」


 気づけば頬に痛みが襲う。


「き、桐原さん!?」


 ああ、ぶたれたのか。遅れて理解してから会長のほうを見ると、今にも泣きだしそうな表情をしていた。


「こんな無茶な真似は、やめなさいっ!」

「……」


 会長は拳を強く握りこみ、下唇を強くかみしめていた。

 春花も直美も、俺を送り出すとき同じ顔をしていた。ここに俺一人で来る以外に方法がないとわかったとき、特に春花は自分が提案したことを悔いていたようだった。

 こうなる可能性を一番憂慮できていなかったのは、俺自身なのかもしれない。


「今のあなたの能力は、単騎で戦えるほどの物じゃないの! 対人戦ならともかく、特殊害生物相手に無謀に突っ込まないでよ……お願いだから……」


 消え入りそうな声でそう言った会長はハッとしたように顔を上げてから、首を横に勢いよく振り、それから川崎を見た。


「川崎さん」

「は、はい。えっと、あ、クライス会長さん、ですよね……」

「あなたも無謀が過ぎるわ。こうと決めたらまっすぐなところはあなたの魅力ではあるけれど、あなたが死んだら山下さんがどうなるか……考えて動きなさい」

「はっはい……」

「そもそも、あの男一人を助けるために、あなたたち二人のどちらかが欠けるなんて、許しがたい話よ! 自分たちの存在価値を小さい枠に納めないで!」

「で、でも……」

「でもじゃないの!」

「ぅっ……はい」


 鬼気迫る様子に川崎も有無を言えない様子で頷いた。


「……はぁ……少し、言いすぎたわね。感情的になりすぎたわ。……川崎さん。あとは、桐原さんのことを頼んだわよ」

「え、え、あ、はい……」


 会長は俺たちに背を向けると、歩き出した。

 急なことに状況が飲み込めずにいた俺だったが、このまま黙っていることはできなかった。


「お、おい! ちょっと待てよ!」


 俺が声をかけたところで、その歩みが止まらないことくらいわかってはいた。

 それでも、俺は……今目の前にいる会長を行かせたくなくて叫んだ。


「会長! どこに行くんだよ!」


 予想に反して会長は歩みを止め、振り返り……憂いの滲む瞳で俺を見てきた。


「桐原さん。次も助けてあげられるとは限らないわ。……岸さんを悲しませないであげなさいね」

「っ……」


 会長の姿が一瞬にして消えた。おそらく、高柳かそれに類する能力を持った使い手が同行しているのだろう。

 いや、今は――


「川崎」

「は、はい!」


 俺は立ち上がる。致命的なケガもない。まだ走れる。


「逃げるぞ」

「っ! はい!」


 未熟だった。最近は、多くの使い手と渡り合っていて、どこかで勘違いしていたのかもしれない。今の俺なら、会長や春花や直美のように戦えるんじゃないかって……。

 でも、違ったんだ。俺は、対人戦においてはこの能力を十全に活かせるが……特殊害生物戦においては…………


「くそっ」


 誰にも聞こえないように、俺は吐き捨てた。

 川崎は路地に寝かせていた雅之を抱きかかえて走り出す。

 俺もまた、それに続いて戦場から一刻も早く離れるために走るのだった。

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