第19話「レールは絶対的なのか」
「……」
「私だって、私なりに頑張ってるんだもん! でも、それも何にもならなかったんだよ!」
「……本気で言ってんのか?」
「っ……ふみ君が一緒にいてくれるのだって、私がかわいそうだからでしょ?」
違う。何かシンパシーを感じたんだと、あいつは言っていた。
「ふみ君に甘えてばっかりなのはダメだなんて、そんなのわかってるよ。でも…… 私一人の力なんてちっぽけなんだよ!」
そんなのは当たり前だ。俺も山下も、春花だって、一人の力はそう大きなものじゃない。
「私が一人、ただ我儘を言ったって何も変わらないんだよ! ふみ君たちに迷惑をかけるだけじゃん!? これ以上迷惑をかけて、ふみ君も私を見てくれなくなったらどうするの? 結婚は形だけだもん! 受け入れれば、またいつも通りの日常が――」
「それ、本気で言ってるのか?」
「っ……」
そんなわけないよな? それはお前の希望的観測だってことくらい、わかっているはずだ。
「川崎。結婚ってのは、そう簡単なものじゃない。家と家が、一生のつながりを交わす契約だ。それを利害だけでやろうっていうなら、それ相応の覚悟が必要になる。……お前はそれができるのか?」
「できるよ!」
「……無理だ」
できるなら、割り切れているのなら、涙を流してなんていないだろうが。
「やってみなきゃわかんないじゃん! それに、私には最初から選択肢なんてない! 私が今まで、どういう風に見られてきたか……軍に入ることが決まっている財閥の娘がどういう風に周囲から見られるか……桐原さんにわかるわけがない!」
「ああ。わからねぇよ」
山下の話を聞いたから、どういう環境だったのか想像することはできる。
財閥の娘でありながら、戦いに身を投じることが決まっている以上、周囲は川崎千夏という人間に、政治的価値を見出せないために切り捨てたんだろう。
だが、これは所詮想像だ。その環境に身を置いたわけでもない俺が、軽々しくわかるだなんて言えるわけがない。
「っ……なら、無理かなんてわかんないじゃん!」
「いや、わかる」
それは、即答できる。
「なんで!?」
簡単だ。
「お前が苦しんでんのが、わかるからだ」
「! それはっ……」
そんなことないって、お前は言えないよな。
お前は黙っちまうことはあっても、人を傷つける嘘は言わない奴だ。
逃げる言い訳で自分を無理やり納得させようとしても、結局できなくて自分を責めるような奴だ。
だから、ここで本心を飲み込んだら、吐き出せなくなりかねない。
「川崎。一つだけ、答えてくれ。お前は、この家のしがらみから逃れたいのか? それとも、この家の人間として矜持を持って生きたいのか?」
「……え」
どっちだってかまわない。
それはお前が決めることだ。決めて良いことだ。
少なくとも、お前の兄は乗り気で後を継ごうってんだからな。川崎家が嫌だってんなら、それも選択肢の一つだろ。
「ともかく、これだけは言っておく。山下がお前と一緒にいるのは、お前がかわいそうだからじゃない」
「じゃあ、なんで……」
「お前のことが大切だから、一緒にいるんだ。他の奴らだってそうだ。一応……俺もな。……そうじゃなきゃ、こうやってわざわざ忍び込んだりしねぇよ」
「っ……でも……私は、桐原さんに、以前助けを求めました。……だから、桐原さんは、義理堅いから――」
「ふざけんな。俺は俺の意思だけでここにいる。俺はただ、お前の気持ちが踏みにじられるのが我慢できないんだよ。腹が立ったし、諦めたくなかった」
ああ、そうだった。俺にとって何が一番かといえば、それだ。
「お前には才能がある。誰が何と言おうと、絶対にだ。だから、川崎。そうやって相手の顔色を窺ってばかりいるのはもうやめろ。嫌なことがあったら、黙り込んで逃げていれば、誰かが解決してくれるなんて……そんなの望んじゃいないだろ?」
「っ……」
「言ってくれ、本心を。それを咎めるやつは俺たちの中にはいない。そんな奴がいるなら、俺が真っ先に黙らせるさ。俺が気に食わないからな」
川崎の瞳に涙がにじみ、瞬きのたびに頬を伝って落ちていく。それが俺には、胸の奥で押し殺していた声であるように映った。
「……忘れたか? 山下に心配かけないためにって理由で、お前が学徒隊入隊模擬戦に挑むことを決めた時、俺は言ったよな? 山下と並びたてるくらいまで、俺がお前を強くしてやるって」
「……でも、私は……まだ……」
「お前はもう、十分に強くなってんだよ」
「え?」
「あとは気持ちの問題だ。そのハードルがお前にとってめちゃくちゃ高い壁なのかもしれないけどな…………並び立てよ。一人になるな」
「っ……ひっぐ……んぅ……」
川崎は溢れ出る涙を必死にぬぐい、我慢するように嗚咽を漏らしていた。
こういう時、山下ならハンカチの一つも出して、キザったらしい甘い言葉を耳元で囁くんだろうが、あいにく俺はそんなこっ恥ずかしいことはできない。
「石川美紀ってわかるだろ?」
「……ぇ?」
「幼少期、お前の付き人をしていた使用人だ。今もこの屋敷で働いているだろ?」
「……は、い」
「石川の雇い主はお前じゃない。今はお前の側付ってわけでもないだろう。けどな、あいつもお前を心配していたらしいぞ?」
「え……」
俺は直接聞いたわけじゃない。だが、山下がこの部屋の窓の鍵を外すように頼んだら、それに石川は応じたのだ。
それがすべてだろ。
「石川の手引きがなければ、俺はこうしてここに入ることもできなかった。わかるか? お前の味方は、知らないだけでちゃんといるんだ」
「ぁ……」
「これで最後だ。もう一度聞く」
まだ口を噤むようなら、これ以上は望めないだろう。
俺は、たぶん伝えられるだけのことを伝えたはずだ。
それでも何も言えないと、言いたくないというのなら、それもまた選択だと受け入れるしかない。
「川崎。お前の本心を聞かせろよ」
「っ……」
川崎は、嗚咽としゃくり上げで、言葉を詰まらせながらも、ゆっくりと息を吐き、そして深く吸い込み、涙で潤んだ力強い眼を俺に向けながら、言った。
「私は、か、川崎家の……っ、娘として……っ……胸を張れる、よ、ような……誇りに、思って、もらえる、ようなっ……使い手に……なりたい、ですっ…!」
喉が詰まったようで、言葉が続かないながらも、必死に呼吸を整えて、川崎は続けた。
「……だ、だから……こ、こんなふうに……ただ、道具のよ、うになんて……」
表情を歪め、大きく息を吸った川崎は、ため込んだ心の膿を吐き出すように、
「こんなの――嫌ですっ!」
はっきりと、そう口にした。
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