第14話「愛を空虚にするのなら」
「……どういう、意味だよ」
「僕が千夏に愛を告げたとしよう。相思相愛となれば、そう経たずに結婚という話が出てきてもおかしくない。千夏は現に婚約の話が来ているわけだし、財閥の令嬢という立場上、気軽に交際して無理なら別れるというわけにはいかないのさ」
「お前も川崎も、お互い本気だろうが。なら、何も問題ないだろ」
「……」
山下は天を仰いだ。その姿は、届かない空より高い何かに手を伸ばそうとしているように俺には映った。
「前にも言っただろう? 山下家も川崎家も、その影響力は軽視できるものではないんだ」
「だったら何なんだ?」
「結婚後、最悪のパターンは何だと思う?」
「それは……」
戦場に立ち、二人ともが死ぬことだろうか。
山下は俺の思考を読んだかのように、ふっと笑った。
「僕が死に、千夏だけが生き残り、子供がない」
「……は?」
「誰が責められる?」
「っ……」
おそらく……川崎だろう。
これは、合理的に考える類の話ではない。
山下家の長男と結婚しておきながら子供を身ごもれないまま、その機会すら二度とめぐってこない状況になったとしたら……。
取り残された川崎の精神状態は……想像すらできないほどに、壮絶なものとなるだろう。
「渚紗と僕は、腹違いなんだ」
「は?」
「僕は正妻の子で、渚紗は妾の子なんだよ」
妾の子。そんなものは、どこか別世界の話のように思っていた。
「名家や華族では、直系の血が求められるからね。財閥でも軍人家系でも、ある程度の名家には一様に、当主の側室がいるものさ。社交界で知り合ったとある財閥の令嬢は、僕の三つ上ながら、すでに夫に加えて側夫が二人いるんだよ」
「……」
そういう世界があるのは、わかっていた。一夫一妻と法律上定められているものの、一夫多妻、一妻多夫が制度外に存在しないかと言えば、その限りではない。
正妻、正夫が子孫繁栄の能力に長けているとは限らない。家柄や政治的側面から、結婚相手が選ばれることが多いからだ。ゆえに側室は、暗黙の了解となっている。
それだけ、名家にとって跡継ぎの存在は重要なのだ。
「マジで、あるんだな」
「まあね。言っただろう? 僕は散々、世の中の歪さは見てきてるって」
「そう、だったな」
「けどね。僕の両親は少々変わり者なのさ」
山下は嬉しそうに続けた。
「分家や親族からの追及をのらりくらりと躱していてね。僕の見合い話は全て流れている。……まあ、僕がかわいい子猫ちゃんたちにすぐに手を出すプレイボーイだということは、知れ渡っているしね」
「……嘘を言うな」
「嘘ではないさ。僕もまた、友と並び立つほどの美男子だからね」
「……そういうことにしといてやるよ」
山下が女遊びをしていないことなど、俺が一番よく知っている。
それでも言い張る相応の理由があるのだろう。
おそらくは……。
「後を継がないつもりか」
「渚紗の母上は、渚紗が生まれてすぐに亡くなっているんだ。だから、普通の兄妹と同じように育ったけれど、親戚は渚紗をそうは見ていない。わかるだろう? これで僕が結婚なんかした日には、さらに渚紗への風当たりは強くなってしまう。渚沙がこの先も安定した暮らしを送り、将来を安定させるためには、渚紗に山下家を継いでもらうのが一番なんだ」
「……お前が勝手に言っているだけか?」
「いいや。両親も、同意見だよ」
「そうか」
思い返せば、一年ほど前にこいつが愛国心を語った際にも、今と同じような表情をしていた気がする。
年を重ねれば重ねるほど、失いたくない人と環境と場所が増えていく、とこいつは言った。その言葉の本質が、今初めて分かった気がした。
「まあ、父は……軍人としていっぱしになる気のない僕に、風当たりが強いけどね」
「それは自業自得だろ」
「間違いないね」
お互い、小さく笑い合う。
……山下の言いたいことは、もう痛いほど伝わっていた。
川崎が山下家に嫁いできてしまえば、正妻の子である山下が次期当主とならざるを得なくなる。そうなれば、渚紗の立場は弱くなり、川崎も世継ぎを求められて、相当なプレッシャーを感じることになるだろう。
国防大学卒業までには出産を求められかねないし、そうなれば川崎の訓練スケジュールは大きく狂い、俺達と歩幅が変わってしまえば、さらに孤独感を覚えることになりかねない。
にもかかわらず、もし妊娠できなかった場合は山下が側室を……と、まあ、誰もが望まない道へ突き進むことになるんだろうな。
だが……。
「山下。お前……」
本当にそれでいいのか?
出かかったその言葉を口にすることはできなかった。
いいとか悪いとか、そんな単純な二択にはできない葛藤と想いがあるのだろうから。聞くことすら、してはいけないと思った。
山下は、俺の意図をくみ取ったらしく、いつも通りのキザったらしい笑みをわざとらしく浮かべて見せてきた。
「僕は千夏を愛している。叶うなら、一緒に幸せになりたいさ。……だからこそ、だめだろう? これ以上を望んではね。今起きている騒動を放置するより、遥かに多くの人を傷つけるとわかっている選択をするなんて……僕にはできないよ」
「っ……」
山下は立ちあがると、ポケットに手を突っ込みながら百八十度ターンして、モデルのように決めポーズをとった。
「友よ、知らなかったかい? 僕は山下家のドラ息子にして、世の麗しき子猫ちゃんたちのハートをつかんで離さない、生粋の色男さ。チャーミングだろう?」
「ふざけんな」
俺は立ち上がると、強く歯を食いしばった。できることなんて、何もない。あるはずもないのに、どうしようもなくもどかしい。
「友よ、そんな顔をするものじゃない。せっかくのイケメンが台無しだよ?」
「ちっ……ふざけやがって。てめぇこそ、何をイケメン面してやがる。誰が色男だ。いい加減にしやがれ」
「ふっ……これは手厳しいね」
俺は歩き出し、鳥居をくぐった。山下の足音は、背後からつかず離れずついてきている。
坂を下り、元の道に出たところで、俺は振り返った。
「……山下。約束しろ」
「なんだい?」
ひょうひょうとしやがって。くそ野郎が。
「……川崎とお前が一緒になれる選択肢が出てきたら……迷わずつかめ。わかったな?」
山下はきょとんとした様子でしばらく呆けていやがったが、悲しそうな笑みを浮かべつつ、頷いた。
「そんなワンダフルフューチャーがあるのなら、迷うまでもない話さ」
絶対に、そんな選択肢は現れないと思っているんだろうけどな。
絶対なんてないんだよ。運命はないと春花は言った。全てが必然であるのなら、自らが望む形を引き寄せるのもまた、必然なんだ。
「帰るぞ」
「ふっ……お供しよう」
再び歩き出したところで、ポケットに入れていた生徒手帳が、バイブレーションでメッセージの受信を伝えてきた。
「友よ。誰からだい?」
送られてきたメッセージを確認すると、差出人は安藤だった。
「急いで戻るぞ。どうやら、川崎雅之の尻尾がつかめたようだからな」
「ほう、それは朗報だね」
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