第7話「迎えと引き換えに」

 俺たちは岸家の車に乗り込み、新区へと向かった。渚沙はどうしても浴衣に着替えたいと言って聞かず、かといって川崎を連れて山下家へ行くことは憚られたので、結局俺と川崎、沢渡と春花だけが東区安楽土町の一丁目付近で降りることとなった。


 現在、そのまま泉町通りを歩っている。


 片側二車線の大通りであり、歩道もかなりしっかりと確保されている。人は多くにぎわっており、その大半が桐生祭りを目的にやってきたのだろうとわかる装いだった。


 川崎と沢渡を先頭にして、春花と俺はその後ろに続くという珍しい形で歩っている。先ほどのやり取りを聞いていたのであろう沢渡が、川崎に気を使ってか、いろいろと話しかけていたため自然とこうなったのだ。川崎は沢渡に愛想笑いで返している。

 八木節の音が響いていて、話している内容はわからないが、気晴らしになってくれているのなら何でもいい。


「ねえ、真輝」


 横を歩く春花が、喧噪にかき消されない程度の声で話しかけてきた。


「なんだ?」

「千夏ちゃんに、またドストレートに言ったんでしょ?」

「さあな」


 悪意を持って言ったわけじゃない。事実をありのままに伝えただけだ。

 春花のほうを見ると、どこか浮かない表情で苦笑いを浮かべていた。


「ダメだよ? あんまり、やりすぎたらさ」

「……聞いてたのか」

「てへ」


 春花は舌をわずかに出し、おどけて見せた。


「……仕方ないだろ。あいつだって、わかってて逃げてんだ。それじゃダメなんだって、ちゃんと現実突き付けないと、逃げ場ばかりじゃ前に進めなくなる」

「確かに、千夏ちゃんのこと守ってくれる人はいっぱいいるよね。山下君はもちろん、愛里ちゃんだって渚紗ちゃんだって、お姉ちゃんもそうだよね。でも、だからってさ、真輝が悪役を買って出る必要はないんじゃない?」

「どうなんだろうな」


 俺と川崎の関係は、あまり近しいと言えない気がする。

 何かあれば話をするし、ある程度頼りにされている部分もあるのだろうが、友人関係としては距離があると感じる場面は多い。

 そもそも、俺が川崎に発破をかけることがしばしばあるし、自然とこういう関係性になってしまった部分があるだろう。


「私、やだよ。真輝がそんな役回りなのは。いっつもそうやって誤解を招くことをすすんでしてるけどさ……真輝、辛くない?」

「……別に」


 辛くはない。春花がいれば、他はおまけみたいなものだからな。

 ……もちろん、だからと言ってないがしろにする気はないが。


「川崎は、劣等根性が抜けきってないんだ」

「劣等根性?」

「ああ。できないって言葉を免罪符にして、どこかで甘えたいって思ってるんだ。……俺にも覚えがある」

「……そっか」


 昔、両親が死ぬ前は俺もよくあきらめる理由を探していた。兄は優秀で、俺はそんな風にはできないのだからと、そう諦めてしまえば楽だったんだ。


 けど、それは絶対に後悔する生き方だ。両親が死んだとき、春花に守られるだけだった時、俺は自分の浅はかさを悔いた。努力しなかったことも、自分の限界を直視できなかったことも、そのすべてに俺は怒りを覚えた。


 だが、川崎はすでに努力をしている。なのにいつも逃げ道を残すから、どこか自分の中で踏ん切りがつかないんだ……と、俺から見ればそう見える。


「真輝」

「ん?」

「うまく収まると良いね」

「……ああ」


 本当にな。

 気づけばすでに祭りの賑わいは目の前になっており、遠くに見える屋台を指さした沢渡がこちらへ振り返ってきた。


「桐原君。りんご飴があるよ」

「ん?」

「桐原君、好きだったよね?」

「……まあ、な」


 よく覚えてるな、そんなこと。

 俺の横では春花が目を輝かせながら、すでに様々な屋台に目移りを始めていた。


「あ、私も欲しい! あと、ベビーカステラと焼きそばとお好み焼きとチョコバナナも!」


 相変わらず、とんでもない量を食べる気だな。

 春花は川崎の隣へ駆け寄ると、顔を覗き込む。


「千夏ちゃんは?」

「え、あ、えと……」


 浴衣姿の二人に挟まれ、制服の川崎は浮いていたが……楽しそうな様子に、俺は安堵した。このまま、何事もなくあってくれればいいのに、なぜ世の中はそれを許してくれないのだろうか。

 そんなことを考えつつ、三人の楽しげな様子を俺は一歩引いてみていたのだった。




 数十分が経過したころ、俺の生徒手帳に直美から連絡が入った。まもなく落ち合えるという旨の連絡である。

 そうして俺たちは、去年と同じく高島屋前で落ち合った。今回は待つ側だったけどな。


 渚紗は去年と同じくゴスロリ風浴衣という奇抜なデザインのものを着用していて、直美はピンク生地に朝顔の浴衣……これも去年と同じだな。

 川崎の一件で、なんだかごたごたしていたものの、そんなことが嘘だったかのように、俺達は祭りを堪能した。


 人ごみの中で疲れは感じたものの、それでも今年もこうして祭りに来られたことにどこかほっとしていた。

 渚紗が加わったことでさらに盛り上がりを見せている春花たちの様子を眺めつつ、春花に渡されたりんご飴をかじっていると、直美が横からニヤニヤとことらを見てきた。


「なお坊は、相変わらずりんご飴が好きだよねぇ?」

「悪いか?」

「悪くはないさっ。ただ、思い出しちゃってね。小さいころ、水色のりんご飴が食べたい! とか無邪気にはしゃいでいたあの可愛いなお坊はどこに行っちゃったのやら」

「……昔のことだ」

「そうだね。そんな風に感じないのになぁ……」


 直美にとってはそうなのかもな……ん?

 川崎が足を止めて数歩後ずさった。まるで何かに怯えるかのように、表情を硬くし――っ!

 川崎の視線の先には、黒いスーツに身を包んだ二人の男がいた。そのうちのガタイの良いほうが川崎に近づき、その腕を掴もうとしたが――


「っ」


 伸ばされた男の右手は、その背後に瞬時に移動した春花によって抑えられ、それと同時に力なく体勢を崩すと膝をついた。


「あなた、なに?」


 春花から発せられたものとは思えない、冷たく鋭い言葉。

 見事なまでの関節拘束だ。手首関節を親指で押し、同時に手首を内側にひねることで、神経と腱に強い痛みと拘束感を与えたのだ。


「川崎、大丈夫か?」


 俺が駆け寄るも、川崎は肩を震わせたまま何もしゃべらない。だが、この反応から察するに、こいつは川崎家の人間だろう。

 直美が俺と男の間にゆっくりと割って入って来る。


「私たちが軍人だって知らないのかな? その辺の用心棒じゃ、川崎ちゃんにだって勝てないよ?」

「くっ……」


 苦悶の表情で顔を歪ませる男だったが、その後ろに控えるもう一人の男の背後から、いけ好かない奴が現れた。


「ミス春花。申し訳ないが、解放してあげてくれないかい?」


 俺たちを避けるようにして流れる群衆の中から現れたのは、山下だった。


「……山下君。いいの?」

「ああ。すまないね」

「わかった」


 春花が拘束を解くと、男は舌打ちをしてから一歩離れた。

 さて、どうするつもりかね。

 山下の視線は川崎に向けられていた。


「ミス千夏。大人しくついて行ってはくれないかい?」

「っ!」


 川崎の表情が、絶望の色に染まった。山下の真意がわからない中で、発する言葉を失った俺たちだったが、沢渡だけは我慢ならないとばかりに一歩前に出ていく。


「山下君! なんで!? 意味わかんないよ!」

「ミス愛里。わかってくれとは言えないけどね、これは政治的な話なんだ。フレンドの、しかもキュートな子猫ちゃんのティアーズでも覆らないのさ」

「っ! 山下君――」


 怒り爆発。となりそうだった沢渡の肩を、川崎がつかみ、止めた。


「沢渡さん。いいよ」

「なんで!? よくないよ!」


 川崎はゆっくりと首を横に振ると、男たちのほうへと歩っていった。それと入れ替わるようにこちらに向かってきた山下は、川崎とすれ違いざまに――


「――――」

「っ!」


 何かを耳元でささやき、川崎は目を見開いてこちらを振り返ってきた。山下は気色の悪いウィンクを返している。

 ったく。


「お嬢様。行きますよ」

「……はい」


 二人の男に連れられて行く川崎を俺達は無言で見送った。

 川崎の後姿が見えなくなったころになって、明らかに落胆した様子の沢渡が歩き始める。祭りから離れていくルートだ……帰るということなのだろう。まあ、当然だろうな。

 春花と直美が沢渡を気遣うように駆け寄ると、何やら話しかけ始めた。あっちは二人に任せておいていいだろう。


「……お兄様」


 山下の隣では、沈黙を貫いていた渚紗が、ようやく口を開いた。


「なんだい? 愛しの妹よ」

「……信じて、いいのよね?」

「ふっ……僕はいつだって、素敵なレディーの味方さ」


 キザったらしい身の毛もよだつセリフだが、渚紗はそれを聞いて安心したようにニコリと笑った。


「千夏お姉さまをお願い」

「もちろんさ」


 渚紗はうなずいた後、俺をちらりと見てから沢渡のほうへと駆け寄っていった。


「山下」

「なんだい?」


 人の流れに逆らって歩き出した俺の横を山下はついて来た。


「……収穫は?」


 俺の問いに山下が取り出したのは、手のひらに収まるサイズの小型不揮発性半導体記憶装置だった。主にパソコンなんかに接続するやつでUSBメモリなんて呼ばれることもあるやつだな。


「それは?」

「面白いもの……のはずさ」


 山下はそういうと、不敵な笑みをわざとらしく浮かべた。

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