第51話

 【打ち棄てられた実験施設】


 貴方が実験施設の内部に足を踏み入れると、水が腐敗したかの如き臭いと空気に迎えられた。鼻孔を鋭く刺す臭いと混ざった異様の空気は、貴方の身体を生温かな倦怠と寒気に蝕み、奈落の底へと引き摺り込んでくるかのような、思考を鈍らせる感覚を引き起こしてくる。


 とても不快で、そして酷く異質な、危機本能を刺激する臭いだ。

 その様な空気が入り口から既に感じられるということは、施設全体にこの空気が満ちていると考えて良い。


 脳髄に物理的な反応を直接与えてくるかのような、奇怪な雰囲気が漂っている。怪物と対峙している圧にも似た緊迫が強く張り詰めており、貴方の警戒心を嫌でも引き上げてゆく。


 とはいえ、実験施設そのものに然程の異常は見られない。が、打ち棄てられたのは遠い昔のことなのだろう。ブーツの底がはっきりとした痕跡を残すほどに、塵や埃といった白灰色の粒子が厚く深く積もっている。


 施設内の照明は当然灯っておらず、貴方の持つカンテラのみが唯一の光源だ。

 貴方は自らの持つその明かりを支えとして、施設内の探索を開始する。


 【打ち棄てられた実験施設・一階】


 施設入り口の扉を開くと、そこは僅かに広い小ホールとなっていた。

 百人ほども収容できそうな、天井の低い空間である。

 幾つもある長椅子と、受付らしき台が幾つも並んでいることから察するに、元は人々の集まる何かしらの施設だったのだろう。


 そこには実験施設という名称に付随する、やや病的な響きを持たせるものなどは見受けられない。殺風景な、寂れた空間が広がるだけだ。


 そして、やはり微細な空気の流れが依然としてある。

 脳髄を刺激する空気に入り混じって薄く、貴方の嗅ぎ慣れぬ異臭が漂っている。

 他の臭いに紛れるほどの薄い何か、その根源にこそ、怪物の告げた何事かがあるに違いない。

 貴方が教会に抱いた微かな疑念を、抱いた理想を砕く非情の現実を、確固とする何かしらの物証が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る