第5話「悪魔はいるか」

周りで子供たちが遊んでいる中、公園のベンチで小柄な男が菓子を食べていた。紺色のパッケージで、表面には『ココアシガレット』と書いてある。幼少期にタバコを吸う大人に憧れて食べ始めたが、とても味が気に入り、かれこれ十数年食べ続けている。


それにしても遅い。あの男は時間にルーズ過ぎる。自身の坊主頭を搔きむしりながら、苛立つ気持ちを落ち着かせていた。


「申し訳ない。待たせましたか」


後ろから男が肩に手を置きながら声を掛けてきた。


「はい。もう30分も遅刻です」


小柄な男は、肩に置かれた手を払い除けながら言った。


「そんなにカッカしないで下さいよ。お詫びに神林じんばやしくんが大好きなシガレットを買ってきましたから」


そう言って男は少し膨らんだ袋を見せつけてきた。白いビニールに紺色のパッケージが滲んで見える。


「はぁ...。もういいです。それで奴は情報を吐きましたか」


「少し手こずりましたが、しっかりと情報を教えてくれましたよ」


男は袋から一つの容器を取り出した。容器の中には、一本の親指が入っている。


「分かりました。既にパイロットとは話を付けてますから、今すぐにでも出発できます」


「さすが神林くんは仕事が早いですね」


そう言って男は袋を渡そうとしてくる。手を軽く振って断った。男は少し残念そうにしたが、すぐに前へ顔を向き直す。


「これで前説は終わりました。そろそろ開始ブザーを鳴らして観客に知らせる時ですね」


「それはつまり...?」


「刑事局には特等席を用意してあります。彼らには我々アンドレイヤの劇を最後まで見届けてもらいましょう」


男は右側の口角を歪めながら言った。—————


—————台湾・台北。津上は機内の窓から街の風景を眺めていた。南西部には建物、北東部には森林が広がっている。そんなコントラストを味わっていると、いつの間にかグラウンドに着陸しようとしていた。ヘリのダウンウォッシュによって、辺りに砂埃が巻き上がる。


津上たちがV-1から降りる。すると、向こうから背広姿の男が駆け寄って来た。


「刑事局の方々ですね?」


城内は頷いて答える。


「お待ちしていました。私は台湾警察・警部の陳です。…ここでは何ですから、さっさと構内に入りましょう」


そう言って男は走って大学の構内に入っていった。津上たちもそれを追って構内に入っていく。階段を上り、廊下を進んだ先に警官が立っていた。男が手を上げると、警官は素早く敬礼する。


「この部屋が事件現場です。ご自由に捜査して下さい」


男はそそくさと元来た道を戻っていった。どうにもやる気の無さそうな警官だ。津上は半ば呆れながら、部屋の扉を開けた。中に入る。そこには椅子に縛り付けられた男がいた。切断された指が床に転がっており、更に指の爪は剥がされている。


「爪を剥がすだけでは飽き足らず、切断までしたのか。それにしては出血量が少ないな」


城内は鼻をハンカチで押さえながら言う。


「多分情報を吐かせようとしたんでしょうね。それで被害者は4枚目で吐いた」


津上がしゃがみ込みながら言った。


「なぜそう言える?」


「剥がされた爪は4枚だけだからです。爪を剥がしたのは情報を吐かせるため。指を切断したのは別の理由です」


「犯人は何の情報を吐かせ、何の理由で切り落としたんだろうな」


「後者は分かりませんが、前者は明らかです。被害者はこの大学の理工学部で教授をしており、研究分野は物質工学で、特に近年ではナノマシンを手掛けていました」


ホンスはAR時計のホロディスプレイを見ながら言う。


「ナノマシンって医療現場で広く用いられているものですよね。それがどうしたんです?」


木本は首を傾げながら聞いた。


「確かにナノマシンは医療や製造などの分野で幅広く用いられている物だ。しかしこれは軍事転用することも出来る」


城内がホロディスプレイを見ながら言う。


「やはりロシア対外情報庁SVRや中国国家安全部の仕業でしょうか」


「いえ。それなら中国やロシアに拉致して連れて行くはずです。それをしなかったと言うことは、少なくとも中露ではないでしょう」


津上が立ち上がりながら言った。


「ではどこだと言うんだ」


「私は『アンドレイヤ』だと思っています」


「まだそんなことを言っているのか。アンドレイヤ何ぞは暴力団員が死に際に呟いた妄言に過ぎない」


城内はそう冷たく突き放した。


「まぁそれは取り合えず置いといて、今回の事件に集中しましょう」


木本は間に入るようにして言った。


「そうだな。津上と木本は大学で聞き込みをしてくれ。他の者は私と外で聞き込みをする」


津上たちは頷き、部屋を後にした。この事件には絶対にアンドレイヤが絡んでいる。そう津上は疑ってやまなかった。————


—————津上と木本は、大学内の研究室を眺めていた。白衣を着た人々が、狭い部屋の中を右往左往している。


そのとき、後ろから足音がしてくる。振り返ると、一人の女が早歩きで近づいてきていた。女はショルダーバックを肩に掛け、額には汗が滲んでいる。


「どうも。私たちは刑事局の」


「分かっています。お話はこちらで聞きますので」


女は津上の話を遮り、さっさと部屋の中に入っていってしまった。仕方なく、津上たちもその後を付いて行く。


部屋の中はデスクと整理された本棚で大部分が占められ、津上たちに圧迫感を与えていた。隅にはゴミ袋が置かれている。


「それでは馬場遥ばば はるかさん。被害者のらいさんとはどの様な関係だったのでしょうか」


津上は椅子に座り込みながら尋ねた。


「ただの同僚です。それ以上でも以下でもありません」


「なるほど。一応お聞きしますが、昨日の22時~23時は何をしていましたか」


津上はあくまで形式的な質問であるとアピールする様に聞いた。


「その時間帯は士林駅のジムでトレーニングをしていました。防犯カメラを確認していただければ裏取りできるかと」


「分かりました。係長に確認してもらって下さい」


津上は木本に連絡するよう促した。木本はそれに頷き、部屋の外に出ていく。


「ところで貴方は理工学部で助教をしていると聞きましたが、ご専門は何でしょうか」


女は拍子抜けした様子だった。


「私の専門は化学です。それが何か?」


「いえ。ただ興味本位で聞いただけです。ところで、この研究室にはケミカルメーカーはあるのでしょうか」


「ええ。もちろんです。研究には大量の化学薬品を必要としますから、自動的に薬品を生成してくれるメーカーは必要不可欠です」


「念の為、メーカーの使用履歴データを貰えませんかね。ご心配なく。研究の邪魔はしません」


女は少し渋る様子を見せたが、すぐに諦めて案内した。


「ではデータをダウンロードします」


そう言って津上は時計を近づけてデータを保存した。


「ご協力ありがとうございました。それでは失礼します」


津上は軽く会釈し、研究室を後にした。—————


—————すっかり暗くなった道を、一人の人物が歩いていた。右手に持つゴミ袋がガラガラと騒音を発している。人物は集積所にゴミ袋を投げ入れた。手に付けていたゴム手袋を剥がし取り、上着のポケットに入れる。


「奇遇ですね。こんな所でお会いするとは」


後ろから声を掛けられ、パッと振り向く。そこには昼間会った津上が立っていた。


「仕事はもう終わったんですか。てっきりお忙しいものとばかり思っていました」


津上はそう言いながら近づいてくる。


「私は被害者の部屋に入ったとき、一番最初に疑問に思ったことがあります。出血量の少なさです」


津上は歩みの速さを緩める。


「そこで被害者の血液を採取して調べたところ、血液内に止血薬の一種であるカルバゾクロムが検出されました」


津上は歩みを完全に止めた。


「このカルバゾクロムは一般には流通していません。入手方法は病院や軍事医療施設から盗む。もしくはケミカルメーカーを使う」


そう言って津上は懐中電灯で人物の顔を照らした。それは明らかに馬場遥だった。


「なぜ私に目を付けたの」


「貴方の部屋は非常に整頓されていました。しかしあのゴミ袋だけは雑に床へ置かれていた。つまりあの袋を置いたのは貴方ではない。でも誰かが勝手に置いたのなら、普通に考えて疑問に思うはずです。しかし貴方は一切気にしなかった。まるで置いた本人から聞かされていたかのように」


「それだけで私が犯人と決まった訳ではないでしょう?」


「ええ。なのでメーカーの使用履歴データを渡して貰いました。貴方は削除したつもりだったのでしょうが、あのメーカーには安全上の理由で、削除後も一週間は履歴が残る仕様になっています。貴方が止血薬を生成した履歴もしっかり残っていましたよ」


女はズボンからポケットナイフを取り出し、刃先を津上に突きつけた。


「邪魔をしないで!」


そう言いながら、女は津上目掛けて突っ込んでいった。その瞬間、女は呻きながら地面に倒れていく。


「一体誰が撃ったんだ」


城内が辺りを見渡しながら物陰から出てくる。


「私です」


そう言いながら一人の男が歩いてきた。目を凝らして顔を見ると、その人物は同期の鷹島だった。その後ろを、黒スーツに身を包んだ男たちが続く。


「彼女は公安事案に関わっています。申し訳ありませんが、二課に引き渡して頂けませんか」


「ふざけるな。これは一課の事案だ」


城内が毅然と抗議する。


「既にそちらの理事官とは話が付いています」


冨賀とみが理事官と?そんな馬鹿な」


「それは事実だ」


鷹島がホロディスプレイに映った冨賀理事官を見せてくる。


「城内統括捜査官。馬場遥は二課に引き渡し、君たちは帰還したまえ」


「しかし...!」


「これは理事官命令だ。すぐに帰還しろ。以上」


ホロディスプレイはゆっくりと消えていった。


「と言うことなので、彼女はこちらが引き取ります」


「おい、鷹島。一体どう言うことなんだ」


津上は鷹島に詰め寄る。


「こっちも命令を受けてやっているんだ。悪いがここは引き下がってくれ」


鷹島は囁く様に言った。そうこうしている内に、馬場遥は車に乗せられている。津上たちは車が過ぎ去るのを見届けるしかなかった。





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