第4話「M.L」

津上は、家で淹れてきたコーヒを味わいながら飲んでいた。南米産のコーヒー豆は非常に高く付いたが、その価値は十分にある。少なくとも津上はそう思っていた。


そんな中、三人組の男女が三係室に入ってくる。その中の長身の男が津上を一瞥したが、すぐ視線を城内へ向かせて歩みを始める。室内には、革靴によって鳴らされるコンと言う甲高い音が響き渡っていた。


「係長。お久しぶりです。只今帰還しました」


「ご苦労さま。今日は宿舎に戻って休むと良い」


それを聞いた長身の男は、城内に軽く頭を下げた後、他の二人と共に出て行った。木本が、キャニスター付きのイスを滑らせ近づいてくる。


「そう言えば会ったこと無かったね。あの人たちもうちと同じ三係。さっき係長と話してた背の高い人はイ・スンホ。貴方と同じキャリアね。眼鏡掛けてたもう一人の男の人は張華健チャン・ホアジェン。そして可愛らしい女の子がマリエル・ロサレス。彼女の作るフィリピン料理は天下一品だから、機会があったら食べてみた方が良いよ」


「無駄話はそこまでにして早く帰れ。明日も当直だからな」


城内はショルダーバックを肩に掛けながら言った。津上たちも渋々帰り支度を始める。何事もなく一日を終えられた津上は、心なしか上機嫌だった。—————


—————北海道・根室。時針が0を指し示した時、一人の女が一軒家の玄関先に立っていた。かなり疲れている様子で、重くなった瞼をこじ開けながら、ドアノブにAR時計を近づける。機械音がして開錠され、女は家の中に入っていった。


女はリビングでビール片手に、帰り道のスーパーで買った総菜を頬張る。深夜帯のテレビを見ながら晩酌するひと時が、忙しい日々に癒しをもたらしてくれた。


そんな至福のひと時を過ごしていると、突然ガラスが割れる音がした。思わず女が立ち上がると、ブレーカーが落ちて照明が消える。AR時計のライトで辺りを照らしながら、恐る恐る廊下へ出て行った。


暗闇に包まれる通路の奥に人影らしきものが見えた。時計のライトで照らす。すると、そこには背広姿の男が立っていた。恐怖する。男は不敵な笑みを浮かべながらゆっくり近づいてきた。はっとした女は、すぐに後ろへ走り出し、トイレの中に入る。施錠しながら、AR時計で警察に通報しようとした。だが、何故か圏外になっており、電話が通じない。


ドアが激しく叩かれ、男が大声で叫び出す。女はうずくまり、十字を切った。今だけは神を信じた。そのとき、祈りが通じたかのように、ぴたっと音が鳴りやんだ。助かった。その一言が頭に浮かぶ。


女は恐る恐るドアに近づき、耳をあてがった。扉の向こうには静寂が広がっている。幸いにも男は諦めたようだ。胸の撫で下ろす。


突然、ドアが蹴破られる。女は強く頭を打ち、床に倒れ込んだ。朦朧とする意識の中、男の顔を見やる。男は左側の口角を歪めながら、静かに女の耳元へ口を近づけて呟く。


「すなわち、骨折には骨折、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、自分にもされなければならない」


女の意識は、暗い海の底に沈むように遠のいていった。—————


—————津上は体を震わせながら、重ねた手に息を吹き込んでいた。そのまま、目の前に横たわる遺体に手を合わせる。遺体の衣服は全て脱がされており、上半身に無数の傷跡が付いていた。また、遺体の腕は大の字に広げられ、掌には杭が打ち込まれている。


長身の男が小走りで向かってくる。


「所轄の刑事から話を聞いてきました。被害者は泊里李枝とまり りえ。47歳。身寄りはなく、近所付き合いも無いに等しいです」


「ではどうやって見つかったんだ?」


城内は時計のホロディスプレイからスンホへ視線を移しながら聞く。


「勤務先の情報通信支局の上司が警察に相談したようです。何でも5日続けて無断欠勤したそうで。それで確認しに来た警官が発見しました」


情報通信局とは、国際連邦機関の事務総局の内局であり、地域間の情報通信を管轄する。それはモノ・ロゴスに関する通信も同様だ。


「それで死因は何です?」


木本は欠伸をしながら尋ねる。


「IASシステムによると、死因は水分不足による脱水症だそうだ。恐らく杭を打ち込まれた後、そのまま放置されたんだろうな」


遺体が横たわる床には、被害者のものであろう糞尿が漏れ出ており、その推測が正しい事を物語っていた。


「上半身の傷は何でしょう」


津上はホンスと華健の隙間から身を乗り出して言った。


「これは鞭痕だな」


ホンスはそう呟いた。


「鞭ですか。それにしても何故ですかね。痛めつけるなら他にも手段はあるはずです。傷に塩を塗るとか、爪を剥がすとか。わざわざ鞭を用いる理由がありません」


「いや、ある。鞭打ちは新約聖書においてゴルゴダの丘を登る前にキリストへ課された罰であり、一部の教徒にとって『苦行と改悔かいげの行為』だ。犯人がキリスト教徒、もしくは被害者がキリスト教徒で、その当てつけでやったんだろう」


ホンスはそう流暢に語った。


「どうやら後者らしい。被害者の両親は厳格なカトリックで、父親は教会で牧師をしているようだ」


城内がホロディスプレイを見ながら言った。


「であるならば、私怨ですかね」


「私怨があるのは間違いないだろうが、それ以外にも意図がある様に思える」


ホンスはそう言いながら、指で壁を指し示す。壁には、被害者のものらしき血によって「神たるモノ・ロゴスの治世の世にも救世主メシアはいる」と書かれていた。


「どうやら犯人は歪んだ人格の持ち主みたいだな」


ホンスは言い捨てるようにそう言った。


「とりあえず勤務先に行ってみるか。少しは手掛かりがあるだろう」


言い終わると、城内はそそくさと外に出て行った。


それにしても気味の悪い犯行だ。これは一筋縄にはいかないと津上は感じていた。—————


—————根室市郊外。辺りに完全無人のオートメーション農場が広がる中、大型アンテナが異彩を放つ。この施設は予備の通信施設で、メインの東京・央洲おおすにある通信タワーが何らかの理由で使えなくなった場合のバックアップだ。


こんな僻地に重要施設が置かれている理由は、首都が敵対国による攻撃を受けてもシステムに影響を及ぼさないようにする他、アラスカの通信施設に出来るだけ近い場所が好ましかったからと言われている。


被害者の家から20分ほど掛け、勤務先の通信施設に到着した。門の前で守衛に止められる。


「申し訳ありませんが、この施設は特定重要施設に該当するため、事前に入所許可証が交付されていなければ入れません」


運転席に座る城内が、AR時計で身分証を提示する。


「私は刑事局の者です。事件捜査のため、立ち入らせて下さい」


守衛は少し悩んだ末、上司に相談すると言って建物の中に入っていった。5分ほど経って戻ってくる。


「分かりました。入って結構です。しかし施設内では職員の指示に必ず従って下さい」


「分かりました。ありがとうございます」


そう言って城内は車を前に進めた。国際連邦機関の通信施設を警備するのは、事務総局・情報通信局・警備課。どの組織もトップはモノ・ロゴスのため、組織間の軋轢はないが、職員間は異なる。俺の縄張りだ。そんな意思をひしひしと感じた。


津上たちは車を降り、建物の中に入っていく。歩き進んだ末に、所長室へ案内された。部屋に入ると、肥満体形の男が椅子に深々と座っている。


「どうも。私は刑事局の城内と申します。他の者も刑事局員です」


「ええ。既に伺っております。私はここの所長をしている烟田吉広かまた よしひろと申します。それで、何の捜査でしょうか」


眼鏡を右手の中指で押し上げながらそう聞いた。


「詳しいことは職務上明かせませんが、泊里李枝さんのことです」


「ああ、彼女ですか」


烟田は溜息を吐きながら言った。


「何かご存じなのですか」


「彼女はトラブルメーカーで、今年だけでも3回ほど問題を起こしています」


「失礼ですが、その内容は」


「いずれも同僚との金銭トラブルです。彼女はよく同僚から金銭を借りていまして、『期限日までに返さなかった』という、よくある話ですよ」


「なるほど。ではその金銭トラブルを起こした相手の同僚を全員呼んでくれますか」


「ええ、構いませんが。ただ、出来るだけ手短にお願いします。我々にも職務がありますから」


そう言って、烟田は机備え付けの電話を使い、同僚3人を呼び出した。


「ええと。左から、佐々橋美希ささはし みきさん、尾村玲おむら れいさん、橘川望たちかわ のぞみさんです」


「どうも。刑事局の城内です。皆さんそれぞれ話を聞きますので、あの3人に付いて行って下さい」


女たちは指示に従って外に出て行った。—————


—————津上たちは辺りが暗くなり雪が降りしきる中、根室市の中心部に向かっていた。房木ファイナンス事務所。表向きは貸金業者だが、実態は暴力団。道警も把握しているが、グレーゾーンを上手く利用して摘発を逃れていると言う。


同僚の話によると、泊里はよくその事務所から金を借りていたらしい。彼女の死に、何か関わっているかも知れない。


城内は雑居ビルの近くに車を停め、何も言わず下車する。津上たちも慌ててそれに付いて行った。


雑居ビル内は小汚く、清掃なども行われていない様子だった。しかし例の事務所のフロアだけは違った。床も天井の照明が反射するほど磨き上げられている。


「いいか。気を付けろよ」


城内はみんなに念を押し、事務所のドアノブを捻った。


その瞬間、室内から爆音が鳴り響く。扉には無数の穴が開き、やっとで形を保っていた様子だった。


「くそっ。イカれてるのか」


城内はそう言いながら時計を操作した。その間、津上とホンスはマイクロ波ガンで応戦する。しかし、激しい銃撃を受けて顔が出せず、膠着状態となった。


「ここは一旦引きましょう。道警の警備部に要請を入れるべきです」


「いや、駄目だ。奴らはここで仕留める」


そう言って城内は譲らなかった。そうこうしている内に、銃器運搬ドローンが到着した。津上が銃を二丁取り出し、一方を城内に渡す。


「よし。行くぞ」


城内の合図と同時に、津上は室内に閃光弾を投げながら滑り込む。男たちが津上に照準を付けようとした瞬間、部屋中に閃光が走った。津上は暗視グラスを外し、男たちに銃を向ける。敵対対象が3名。その情報が銃の指向性可視光を通して、津上の目に飛び込んできた。


津上は窓の近くに立っていた男に対して発砲した。その内一発が男の胸部に当たって倒れ込む。城内もソファーに隠れながら照準を定め、スキンヘッドの男の頭部に向かって発砲する。続けざまにパーテーションから顔を出している男にも発砲し、射殺した。


他の者も一斉に事務所内に突入する。城内が目で全員にクリアリングを促す。


津上は組長のデスクらしき机の裏側を調べた。そこにはスキンヘッドの男が倒れていた。その手には手榴弾が握れている。静かに手から剥がし取り、そのままデスクの上に置いた。


その瞬間、室内に悲鳴が響く。その方向に顔を向けると、木本の後ろに一人の男が立っていた。男の右手は木本の首元に伸びており、鋭利な物を握り込んでいる。


「全員銃を捨てろ!さもないとこのアマを殺すぞ!」


そう言って男は木本の首を軽く切った。一瞬、木本の体が跳ねる。その様子を見た城内は、全員に銃を捨てるよう指示した。その様子を見た男が満足そうな表情をし、左手を木本の銃に伸ばす。木本は少し抵抗したが、あっけなく奪い取られた。


銃口は城内に向けられ、男が笑みを浮かべる。


「くたばれ!」


そう言って男は引き金を引いた。しかし、引き金は動かなかった。男が動揺する。その瞬間、警告音声が大音量で流れた。


「警告。この銃は、保安委員会刑事局登録物です。不正アクセスは、現在地を特定の上、関係機関に通報されます」


「何だくそ!」


男は引き金を引き続ける。その隙に、津上が銃を拾い上げて男に向ける。男と目が合う。引き金を引いた。男はゆっくりと後ろに倒れていく。


津上は木本に駆け寄った。ひどく怯えていたが、大きな怪我はしていない。そのまま男の下へ歩み寄る。男は首から出血していた。頸動脈に当たったのか、止めどなく血液が流れ出る。


男は自身の血で喉が詰まりながらも、籠った声で、ある言葉を呟いた。


「アンドレイヤこそが救世主メシアだ」


男はそう言ったきり、二度と口を開けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る