Crescent Moon Ⅰ 若頭ハルと私の物語

太秦あを

プロローグ

足元の世界

昨夜遅くに降り出した雨は、午前4時を過ぎた頃に降り止んだ。

排気ガスと、雨の湿った匂いが混じり合った、冷たい風が吹き上げてくる。

ここから見下ろす景色は、唯一、私の好きなもの。夜明け前のほんの一時。

世界は群青色に染まり、深い海の底に沈んでいるかのようだ。

階下を過ぎる小さな車の影は、まるで熱帯魚のようにも見え、濡れたアスファルトを擦る音が微かに聞こえてくる。


見上げると、南の空にまるでセルロイドのような白い月が、ぽっかりと忘れられていた。

けれど、やがてそれも朝陽と共に空に溶けていくだろう。

今、もしもここから一歩踏み出すことが出来たなら、空を飛べるような気がする。

もちろん、そんな事はセンチメンタルな錯覚に過ぎず、宙を舞った後に吸い込まれていくのは深い深い海の底だ。

叩きつけられた身体は、ことごとく魚の餌になり、世界は変わらず動き出すだけ。

もちろん、私にそんな勇気があるはずもなく、

叫び続けるしか出来ないんだ。


「わーーーっ!!」


ちっぽけな私の声なんか、誰にも聞こえない。


「あーーーっ!!」


誰か――…

誰か、聞こえますか?


「あーーーっ!!」


私は、此処にいます。

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