第二章 灼熱の国の騎士

2-1


 ひどくみみざわりな音が、どこかでしていた。


(音……いや、これは……声……?)


 そう気づくと共に、ニコラの意識はじょうした。

 浮上するなり、反射的に、暑い、と感じた。額からあせが流れてくるほどに暑い。いくらここが温暖な地とはいっても、いくら今が夏のさかりとはいっても、ここまで暑いものだろうか。

 見知らぬてんじょうが眼前にあった。ごくさいしきの天井画だった。


(これは……水をつかさどる神……?)

 水を司る神が、無数のちょうたわむれている様がえがかれていた。神話の一場面のようだ。


めずらしいな……天井画とか絵画に描かれる神話っていったら、太陽を司る神のものがいっぱん的なのに)


 視線をめぐらせてみれば、かべがみの金色模様もとびらや取っ手のそうしょくも、どこもかしこも異様にきらびやかだった。

 ニコラの中で、不意に、不安がうごめきだす。


(何、ここ……? こんなふん、知らない……こんな部屋知らない……)


 自分は今、見知らぬ部屋の中にいる。

 そうはっきり自覚して、汗がさらにきだしてくる。

 どうが速まるのを感じながら、このじょうきょうに至るまでのおくけんめいにたどってみる。アリアンヌ王女が男性との面会に失敗した件を聞いた、それで今後のことを思案していたのだ、それから室内にしんじょたちが現れて……そう、何かをがされて意識を失ったのだ。そして今――ここにいる。


(どういうこと……?)


 絶えず聞こえてくる耳障りな声があった。複数人が会話をしているようだった。

 声の主たちは同じ室内にはいない。この室内にはニコラだけだ。どうやら扉の向こうから聞こえてきているらしいので、ニコラは扉に近づいて会話の中身を聞き取ろうとしたが、できなかった。身動きがとれなかったのだ。


(えっ、しばられてる……!)


 両手が縄で後ろ手に縛られていた。りょうあしもだ。ニコラはなぜなのか、見知らぬ部屋で、こうそくされた状態で、ゆかに転がされているのだった。

 鼓動が一層速まってくる。何でもいいから現状についての手がかりがしくて、ニコラはじゅうたんの床をいずるように移動して扉ににじり寄った。向こう側にあるらしい別の部屋へ、懸命に耳をそばだてる。

 声はどれも男の声だった。自分の鼓動がうるさいせいで会話の中身がなかなか聞き取れなかったが、しばらく耳をすませ続けたのち、ニコラは息をのむ。


(ガルフォッツォ語だ……!)


 りんしつに居るのは、ガルフォッツォの言葉をりゅうちょうに使う男たち……はっとしてニコラは室内を見回した。はだまない、派手できらびやかな装飾。ユマルーニュ王国ではあまり目にすることのない、水を司る神を描いた天井画。そしてニコラの知らない種類の、この激しい暑さ。

 ニコラは確信した。

 ここは異国の地だ。しゃくねつのガルフォッツォ王国内だ―― 混乱がますます深まる。意識を手放している間に、内海をとびこえて、どうしてはるばる異国へなど来ているのか。だれかに運ばれたとしか考えられないが、どうしてそんな異様な事態に。

 不意に隣室で大きな音がはじけ、ニコラの心臓はとびはねた。何かが何かに勢いよくぶつかったような激しいしょうとつ音だった。次いで男たちのせいがいくつもあがる。かんだかい金属音のような音も次々にひびきだす。


 ニコラは青ざめるしかない。何が起こっているのかもわからず、とにかく這いずって扉からきょをとる。

 その扉が、音を立てて勢いよく開かれた。ニコラは反射的にふりむいた。

 扉を開け放したのは、ひとりの青年だった。

 床に転がるニコラを見下ろしてくるその目は、しっこくの色をしていた。そのかみもまた漆黒で、目鼻立ちがくっきりとしている。ふりそそぐ陽光をたっぷり浴びたようなかっしょくの肌といい、まさしくガルフォッツォ、といったようぼうの青年だった。

 彼はまっすぐに見下ろしてくる。どこかまどったような表情で。

 ニコラは動けない。この状況に、もはやついていけなくて、頭も体も固まってしまっていた。

 両者とも何も発さず、ちんもくは広がるばかりだった。そういえば隣室もひどく静かになっているとニコラは気づき、扉を開け放した青年の向こう側に視線を動かす。

 隣室の床に三人の男がたおれていた。意識はなさそうだが死んではいないようだった。みなき身のけんをにぎったまま倒れている。目の前に立っている青年もやはり右手に剣をさげている。この青年と剣で切り結んで、向こうの三人は敗れた、ということらしい。


「えーっと……君は、誰なのかな?」


 小首をかしげながら、青年はなめらかな低音の声で、そう口にした。この異様な状況にはまるで似つかわしくない、なんとも軽い口ぶりだったので、ニコラはいささか力が抜けた。

 あなたこそ誰なんですかっ! これどういう状況なんですかっ! と質問めにしたいニコラだったが、だいぶ前に習ったガルフォッツォ語の記憶を体によみがえらせるのに少々手こずった。聞き取ることはできても口から発するのには手間取ってしまう。

 頭の中でガルフォッツォ語の単語の記憶を引っ張り出していると、とつぜん、けたたましい足音がどこぞから響いてきた。複数人の足音が、明らかにこちらにばたばたとせまり来ている。何やら口々にわめいてもいる。もちろんガルフォッツォ語で。

 わけもわからずあせりがげてきてあたふたと周りを見回すしかできないニコラだったが、次のしゅんかん、頭が真っ白になった。

 いっしゅんのうちに、青年のうでの中にいたのである。

 青年に、いとも軽々と、全身をき上げられていたのである。


「な……っ!?」


 ニコラはぎょうてんした。

 人を抱き上げる機会はやたらあったけれども抱き上げられる側になることなどただの一度もなかったこの自分が、今なぜだか、軽々と抱き上げられて宙にかんでいる―― !

 かみなりに打たれたようなしょうげきだった。とんでもないちんぼうぜんとするばかりのニコラを抱きかかえたまま、青年はすたすたと部屋の奥に移動し、窓のそばにえられた立派なしつ机の下にするりともぐり込んだ。ニコラごと、である。ふたりが潜り込むにはその空間は少々せますぎた。


(ち、近い……!)


 青年とニコラの間に距離などというものは存在していなかった。ひざかかえてうずくまるような形のニコラを、青年が背後から抱きすくめるような格好になってしまっている。

 ニコラは大いにどうようした。いまだかつて男性とこんなに接近したことはない。接近どころか密着だ。ニコラはイケメンにしか見えないが中身はれっきとした十八歳のおとなのである。これはちょっとげきが強すぎる。もぞもぞ身動きして少しでも彼との間にすきをつくろうと試みる。


「君、ちょっと動かないでいてね。お願いだから静かにしてて」


 耳元で低音の声でささやかれて、静かにしていられるわけがない。動揺がますます加速してのどからさけごえが飛び出しそうになるが、それを察知したのか青年はニコラの口を大きな手でふさいだ。


「おい、このザマは何なんだ! 何があった!?」

 

 突然、がらの悪いわめき声が響いた。隣室からだった。つい今し方、けたたましい足音をたててけ込んできたようだ。


「おいおまえら起きやがれ! だらしねえな!」

「あーダメだ、こりゃあ当分目ぇさましそうにねえ。どうしたってんだよ一体よぉ」


 連れ立ってやってきたらしい複数の男たちが口々にわめいている。


「ああっ? おいおいおいおい! もぬけのからじゃねえかよ!?」


 今度はこちらの部屋へ、どすどすと乗り込んできたらしい。すぐそこに迫る柄の悪い男たちの気配に、ニコラはぶるいした。


「なんでだよ!? 両手両脚きっちり拘束してたってのに!」

「じゃああれか、このザマはぜんぶあのユマルーニュろうの仕業ってわけか。自力で拘束

ほどいてあっちの三人ぶちのめしてしやがったのかよ……クソッ、めやがって」

「腕の立つような野郎にゃ思えなかったんだがなぁ。みょうに見てくればっかり良くて身なりも上等でよぉ」

「せっかく苦労して持ち帰ったごまだってのに、クソッ……とっとと見つけねえと、また

どやされる! あのかたにバレねえうちにさがし出すぞ!」

「おい待て、こいつらはどうする。ここに置いてはおけねえだろ」

「ああもうめんどくせえな、役立たずどもがよぉ……」


 重い重いと口々に文句をきながら男たちはどたどたとそうぞうしい物音をあげていたが、だいにその足音も遠ざかって行き、やがてすべての音はえた。

 辺りはしんと静まり返り、もうここにもとなりにも誰の気配も残ってはいないようだった。

 しかしニコラの耳の底では男たちのわめき声がいつまでもこだましていた。彼らが話していたのは、ニコラのことにちがいなかった。


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