第2話 産休に突入せよ
身だしなみを整えた僕たちは、転移デバイスによる瞬間移動……通称『転移』で旗艦級戦艦のブリッジへと移動した。始業より十五分ほどは早い転移だったのに、ブリッジクルーたちはもう全員集結していた。
「准将!おはようございます!」
「おはようございます旦那さま!」
「おはようございます准将!」
周囲から一斉に黄色い声が飛んでくる。女性の集団を前にすると、やっぱりどこか恐怖を感じてしまう僕である。慣れるものなんだろうかこれ……
「旦那さまは止してくださいよ。僕は今日から宇宙連合軍少尉なんですから」
「えーいいじゃないですか。正式に司令の旦那さまになったんでしょ?」
伝達オペのマユルン少尉が悪戯っぽく笑う。同階級とは言え、向こうが先任だし歳も上なのだから敬語は必須だ。ていうか、このブリッジの面々は全員年上だし、階級も同じか上の人ばかりだから、新入りの僕は敬語がデフォルトで過ごすことになる。
「いやまあ、それはそうですが」
僕は定位置に座布団を二枚並べて敷いて、まずセフィアを座らせる。椅子ならともかく、床に座る時にはもう介助が必要な身体になっているからだ。それでも彼女は頑としてキャプテン・シートには座らず、僕の隣を希望する。
「あーいいなぁ夫婦揃ってのお仕事なんて。うちの彼は工作班だから、同じ艦になったとしても同じオフィスってわけには行かないなぁ」
「βにいる限りは同じ艦も無理よ」
クールビューティーのササメユキ少佐が、ゆっくりと階段を降りて来た。細いヒールがコツコツと床を叩く音が響く。
「准将、もう産休に入られては?」
「うーん、ぎりぎりまでは仕事してたいのよね。ここにいると落ち着くし」
「しかし、お体に障っては元も子もないと思うのですよ」
「それは僕もずっと言ってるんだけどね」
僕は肩を落とす。なにせ発育のよろしい双子が入っているのだから、そのお腹の大きさもかなりのものになっている。新婚旅行の前まではそれほど大変そうでもなかったのだけれど、旅行から帰ったあたりから少し動くだけでふうふう言い出して、とてもじゃないけど仕事なんてさせられないと思うようになった。
「これは胎教の一環でもあるの。軍人はいついかなる時でも、戦いの場に赴くことを避けてはならない。この子たちにもそういった決意を学んで欲しいのよ」
「いけませんわ准将」
今度はナミシマ少佐が姿を現した。ふわりと優雅に、そして優しく。癒し系のお姉様といったらこの人という感じだ。
「准将が率先して既定の産休を取得してくれませんと、他の女性士官が制度を利用しにくくなります」
「えっ、そうなの?」
「休まない上司は誇りにもなりますが、部下はその姿に倣おうとしますから」
「うーん、ならちょっと考える必要があるか」
「大丈夫です、旦那さまのことならこのナミシマとササメユキがきっちりガードいたしますから」
「それが一番不安なの」
冗談めかして言うセフィア。あははと笑うクルーたち。ああ、これが本心からの冗談だったらどれほど良いことか!半分くらい本気なんですよ、セフィアさんは。
「でもそうね、これから母親になるクルーもいるでしょうし、みんなが安心して制度をフルに使えるようにするのはあたしの責任だわ」
セフィアは微笑んで、僕の手を握る。そして空中に小型モニターを表示させて、産休制度についてのページを開いた。
「あれ?」
「どした?」
「通常妊娠は予定日の八週間前からで、双子以上の場合は十四週前から産休取れるって書いてある」
「んん?」
予定日は六月二十二日だったような。となると?
「つまり准将は、先々週から産休に入るべきだったってことですね」
呆れたようにササメユキ少佐が言う。二週間前というと、新婚旅行から帰ったあたりだ。市役所に、日本での婚姻届けを出しに行った時にはもう、彼女は動きづらそうだったっけ。
「うー、フルでの取得逃したか!」
「そういう問題じゃないでしょ。今気づくってことは、全然調べてもいなかったってことじゃないか。僕があれほど言ったのに」
僕の口調も強くなる。結構心配して色々言ったのに、大丈夫ちゃんと調べてあるからと歯牙にもかけなかったのは当のセフィアさん自身なのだ。
「あ、あはは、そのうち見ればいいかな、ってさ」
「もう帰りなさい」
「えええ、これから朝礼……」
「それは旦那さまに代行していただきます。まだ勤務時間前ですし、今日から産休ということで手続きさせていただきますからね?」
さすがにナミシマさんの口調も厳しい。手早く出したモニター上のファイルに色々と入力して、僕にさっと空中を滑らせ寄越す。僕もささっとサインとチェックを入れて、軍本部へと転送をかけた。
「准将。あなたの身体も宿した子供たちも、迎撃艦隊β全員の宝です。ご自宅で安静に、ごゆっくりお過ごしください」
「でもでも、引き継ぎとか色々あるし」
「小官とナミシマで全て旦那さまにお伝えします」
「でもでも」
「デモもストライキもないよ」
僕はセフィアの手を握り返して、優しく言う。
「いいから家でゆっくりしてて。僕もシフト変えて、なるべく早く帰るから」
「ほんと?すぐ帰って来る?」
「すぐかどうかは判らないけど、出来るだけ早く」
「うー……仕方ないか、それじゃあササメユキ少佐にナミシマ少佐、うちのひとをよろしくね」
「任されました」
「ご安心を」
しぶしぶと言った感じで、セフィアは自宅へと転移して行った。そして始業のチャイムがブリッジに鳴り響く。
「全く准将は、自分のことは後回しにするのが悪い癖だ」
「仕方ありませんわ、それが准将の良いところでもあるのですから」
苦笑とため息の参謀ズに促されて、僕はブリッジ中央に立つ。
「本日より迎撃艦隊βに配属となった、レイジ・メルテリアラウス・ミカサ・ナガト少尉であります!妻であり艦隊司令のセフィアリシス准将が出産休暇を取得するにあたり、特例で指揮権を預かることになりました。以後、よろしくお願いします!」
僕の敬礼に、ブリッジクルー全員も笑顔で敬礼を返してくれた。とにかく、今日から僕の仕事が始まるのだ。
ああ何卒、面倒なことは起きませんように!真剣な顔で敬礼をしながら、僕はそんなことを考えていた。
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