第20話
『それでは皆さん、一旦お静かに。これからオープニングのリハいきますよ。照明落としてください』
瞬時に真っ暗闇となり数センチ先も見えなくなる体育館。マイクを通した生徒会長の声が館内に響きわたる。
『音楽と照明もいける? それじゃ、オープニングスタート』
その声を合図に静かなイントロが流れ出す。そして大音響の盛り上がりに移行したのと同時、目がくらむほどの眩い照明で瞬時に舞台が明るくなった。それは高校生が作ったとは思えない素晴らしいステージ。照明だけでなく、装飾や電飾、音響も含め、そのすべてがプロの設営した舞台かと見間違えるほどの完成度だった。
『オッケー! 完璧よ! 本番ではここで司会者の放送部さんが登場するからね。次、誰か二人がモデルの代役で歩いてくれる? 準備できた? それじゃあ、このままファションショースタート!』
そして一人のモデル役生徒が舞台袖から現れる。同時に切り替わる曲と照明。舞台中央で正面に向きを変え、目の前にある階段を降りるとランウェイがスタートだ。舞台より低いとはいえ、パイプ椅子に座る観客の目線くらいの高さがあるランウェイでのウォーキングは、観ていて迫力がある。その距離は三〇メートルほどだろうか。照明に照らされながらこちらに向かってくるモデル役の生徒は、キラキラと光り輝いているように見えた。
そしていつの間にかもう一人が舞台袖から現れていたと気づく。すると最初のモデル役がランウェイの端を折り返すと同時に、舞台中央で待っていた二人目に照明が当たり、ランウェイに向かって歩き始めた。それに合わせて二つの照明がそれぞれを追いかける。そしてランウェイ中央でモデル役と照明が綺麗にすれ違うのだった――。
『はい、オッケー! あとは今の繰り返しね。一旦、音楽止めてください』
その指示で、静寂を取り戻す体育館。
『どうだったかしら?』
マイクを使った生徒会長からのその問いに、戸惑ってしまう僕。なぜなら素晴らしいリハーサルを観た感動と興奮で言葉を失ってしまったからだ。
しかしさすがの姫川さんは、マイクを受け取ると慣れた様子で返答を始めた。
『とても素晴らしいショーだと思いますわ。皆様の努力とプロ顔負けの技術に感服いたしました。でもそうですね。一つ気になりましたのは、あの階段かしら』
そう言って姫川さんが指差したのは、僕たちの目の前から体育館の舞台に向かって真っすぐ伸びるランウェイの先だった。生徒会長の説明では、限られた材料と予算の中で、舞台と同じ高さのランウェイを作るのが難しかったらしく、苦肉の策として、舞台とランウェイを三段ほどの階段でつないだということだったのだが、姫川さんはそこが問題だと指摘する。
『実際に舞台とランウェイが階段で繋がっているショーはございますので、わたくしたちは対応できますが、今日はそういうショーの経験がない方もモデルとして参加されるとお聞きしています。慣れていない方が緊張で足が震えたり視野が狭くなる中で、あの急な階段を降りるのは危険も伴いますし、なにかトラブルがあったらお客様にもご迷惑がかかりますでしょう。ですから多少段差はあったとしても緩やかなスロープにしていただくことはできますか?』
(姫川さん、すごいな……。本番まで残り二時間もない佳境に入ったこの状況で、こんな無茶な要望が出せるなんて。僕なら絶対に言えやしない。しかしこれがプロなのだろう。おそらく彼女は自分がどう思われるかということよりも、二心が言っていたように、観客のために全力で素晴らしいショーを作り上げることを第一に考えているんだ。それと……これは考えすぎなのかもしれないけど、素人の僕が少しでも歩き易くなるようにと、あえて嫌われ役を買って出てくれたのかもしれないな――)
そんな感謝の思いで姫川さんの横顔を見ていると、どこか遠く離れたところから『大丈夫です!』と返答があった。設営の責任者が姫川さんの要望を受け入れてくれたのだ。
その言葉を聞いた姫川さんは『ご対応ありがとうございます。無理を言って申し訳ございませんでした』と笑顔で頭を下げたあと、マイクを生徒会長に返した。
と、ここまではよかったのだが、続けてまた生徒会長がとんでもないことを言い出した。彼女はなぜか『まだなにかありそうな顔してるわね。それじゃ二心さんからも是非』と言いながら、僕にマイクを渡してきたのだ。
(いやいやいやいや、そんな顔してないよ! 姫川さんの対応に感動してただけだし! 僕みたいな素人が、なにか気づけるわけない――)
「二心姉、さすがだな! あたしはもう完璧だと思ってたけど、まだあるんだ!」
(西園寺さん、やめて……! もうなにもありません。っていうか、僕は自分のことで精一杯なんです――)
そんな切羽詰まった状況にいた僕は、『なにもありません。大丈夫です』とだけ答えてマイクを突き返そうかと思ったそのとき、僕に注目している皆の姿が目に入る。それは『どんな無理難題を言われるのだろう』という不安な表情というよりは、目を輝かせて僕の発言を待っているような表情に見えてしまった。そして僕は思う。
(みんな、僕が本物の二心だと信じて期待してくれてるんだな……。この中には二心にランウェイを歩いてもらえると信じて、頑張って作業した人もいるかもしれない。二心に着てもらえることを楽しみにしながら衣装を作った人もいただろう。なのに僕は偽物だ。そんな人たちを裏切るようなことをした僕は最低だ。でも、こうなったからには後戻りはできない。今僕がしなければならないのは二心になりきることだ。二心として振舞い発言することで、皆が喜んでくれるはずなんだ。でも二心ならこんなとき、なんて言うだろう。二心なら皆のため、なにをするだろう。二心なら……。僕が二心なら……。僕は二心……。トップモデルの二心……)
(って、無理ぃ! 絶対無理だ! なにも思い浮かばない! だって僕は二心じゃないからね! 僕は三郎だからね! って、まずい……。落ち着くんだ。冷静にならなくちゃ駄目だ……。今しなければならないのは、二心のフリをして格好つけることじゃない。そんな付け焼刃なことをしたって、うまくいくはずがないんだ。下手でもいい。背伸びせず、僕は僕らしく。心から感謝の気持ちを伝えることだ)
『あ、あの……。おはようございます。今日、モデルをさせていただく二心です。皆さん、朝早くからお疲れ様です。それで……。まずは皆さんにお礼を言わせてください。何日もかけて準備してくださってありがとうございます。こんな素晴らしいランウェイを、手芸部の方が作られた衣装を着て歩かせていただけるなんて、私は本当に幸せ者です。今のリハーサルを拝見しただけで、感動して涙が出そうになりました。本当にありがとうございます』
そう言って頭を下げ少し間をとったあと、僕はふと思いついたことを口にした。
『それで、私からなにかお返しできることがないかと思ったのですが……。もし……。もしよろしければ、私と一緒にランウェイ歩きませんか? ショーが終わったあとで結構ですから、この素晴らしい舞台を皆さんと歩きたいと思いました。一人ずつでも二人ずつでも……何度でも私は一緒に歩きます。その姿を写真部の方に撮っていただけたら記念にもなりますし……。あ、いえ! なんか勝手なこと言ってすみません! いろいろご都合もあるでしょうし、無理なら結構です! 今日は素晴らしいショーにしましょう! 私からは以上です――』
(やってしまったぁぁ! つい余計なことをぉぉぉ! 館内が水を打ったように静まり返って……。これは大失敗かも……。いきなり変な提案されて、皆もどう反応したらいいのか困ってるんだろう。生徒会長の曇った表情を見てもそれがわかる。少しでも喜んでもらえればと思ったんだけど、余計だったかな――)
そんなことを思いながらも、注目された中で長々と話してしまった緊張と恥ずかしさで足の震えが止まらない。僕はそれを誤魔化すように両手で膝を押さえながら頭を下げたあと、振り向いて控室へ向かおうとした。
そのときだった――どこからともなく、『パチ……パチ……パチ』と拍手する音が鳴り始める。そして次第にその音がいくつも重なり、最後には館内が盛大な拍手で包まれ大騒ぎとなるのだった。
『めっちゃいいじゃん! 絶対歩くし!』
『二心様と?! 私も歩きます!』
『私、手つないで二人で歩きたい!』
『やったぁ! なんか疲れもふっ飛んだよぉ!』
『写真もいいの?! すっごい記念になる! ありがとぉ!』
そんな感嘆の言葉が飛び交う中、僕は狐につままれたようにぽかんと立ち尽くしながら、抱き合ったりハイタッチする生徒たちの姿を目にしていた。
「あ、あれ……。喜んでもらえた……のかな?」
するとその問いに姫川さんが不貞腐れた様子を見せた。
「嬉しいに決まってますわ! このわたくしでもランウェイを二心様と一緒に歩いたことは一度もございませんのに……!」
「そ、そうなの? そんなに珍しいこと?」
「当たり前です! ランウェイは普通一人で歩くものですし、二心様はそういうファンサービスをされたこともないはずです。でも……そうですね。折角ですから、わ、わたくしも一緒に歩いてよろしいかしら……」
「もちろん! 僕の方からお願いしたいくらいだよ。それと、僕以外でも姫川さんと歩きたいって希望者がいたら、その人とも一緒に歩いてくれたら嬉しいんだけどな」
「二心様を前にして、それでもわたくしと歩きたいなどと思う奇特な方はおられないでしょうが、もしいらしたら協力させていただきますわ。今日はお祭りですから」
「うん、ありがとう」
すると続けて、いつの間にかこちらに戻ってきていた雨宮さんが西園寺さんの腕を引っ張りながら迫ってくる。
「ちょっと、二心ちゃん! 私、みんなの写真撮ってたら一緒に歩けないんだけど! 私もランウェイ、二心ちゃんと歩きたいんだけどぉ!」
「えぇ? 雨宮さんも?! そ、そのときは誰か他の写真部の人に撮ってもらったら……」
「あ、そっか……。そだね。じゃあ、私も一緒に歩く! 絶対だよ! 約束ね!」
「うん、約束。私も一緒に歩きたいから楽しみにしてる!」
「あ、それと! 亜理紗も二心ちゃんと一緒に歩きたいらしんだけど、恥ずかしくて言えないらしいよ! ぷぷぷっ!」
「んなっ! 美月、やめろって! そんなのお願いしたら迷惑だから!」
「西園寺さん、ありがとう。迷惑なんかじゃないよ。今、姫……小豆とも一緒に歩こうって約束したばかりだし」
「そうなの?! まあ……、小豆がいいなら是非あたしも……」
そんな騒ぎが収まらない中、ふと生徒会長の姿が目に入った。
僕が勝手な提案をしたことで機嫌を悪くしたのだろうか。彼女は曇った表情で目を伏せたまま一人立っており、騒いでいる生徒たちを注意する素振りも見せない。
これはまずいと思った僕は、そっと近づき頭を下げた。
「あの……。すみませんでした。勝手なことを言ってしまって……」
「え? あ、ああ、別にいいのよ。みんな喜んでるみたいだし」
「でも終わる時間が遅くなるかもしれませんし、いろいろとスケジュールの調整とか大変なんじゃないですか? それなら、私がもう一度皆さんに話して撤回――」
「撤回する必要ないわ」
「……え? そ、そうですか? ありがとうございます」
「それより、ちょっと聞きたいんだけど……」
「は、はい。なんでしょう……」
「わ、私は……その……小豆さんと一緒に歩きたいんだけど……。彼女にお願いしてもらってもいいかしら」
彼女は二心より、幼女系の姫川さんが好みだったらしい。
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