第19話

『そっちの椅子、もう一列増やして!』

『ランウェイの照明、あと一メートル下手(しもて)側にしよっか!』

『音響もうちょっとだけ抑えて――』


 会場となる体育館に入ると、指示を出し合う声や、『カンッカンッ!』と釘を打つ音が響き渡っており、工事現場のように騒がしい状況となっていた。というのもそこには既に両校合わせて数十名の生徒が集まっていたのだが、舞台や照明の設営、そして音響などを担当する演劇部と放送部の生徒たちは、僕たちより何時間も前に登校して準備作業をしてくれていたからだ。平日の体育館は授業や部活で使うため、中に入って作業ができる時間は昨日の土曜と今日の朝のみに制限されていたらしい。

 先日、二心からその話を聞いたとき、僕も前日から登校してなにか手伝った方がいいだろうと提案したのだが、反対されてしまった――。

『ファッションショーというのはね。デザイナー、制作、企画、営業、運営、設営スタッフ、それにモデル……みんなで一つのチームなの。皆にそれぞれの役割があって、互いに全力を出し合うことで最高のショーになるのよ。いかにお客様に満足してもらえるショーを作り上げるか。それが全て。だから、あんたの仕事は体調を万全にして本番で最高のウォーキングを見せること。設営を手伝うことじゃないから』

 そういうものだと、教えられていたのだ。

 だが、そんな簡単に割り切れるものでもない。僕はその意味を十分に理解していたつもりだったのだが、やはり実際に彼らが頑張っている姿を目にするとなにもしていない自分を後ろめたく感じてしまったのだ。そして柄にもなく、気がつけば大声で挨拶していた。

「あ、朝早くからご苦労様です! 今日はありがとうございます!」

 メガネとマスクを取り、そう言って頭を下げた僕。全員にこの声は届いただろうか……そんなこと気にしながら頭を上げたとき、同時に館内の様子がどこかおかしいと気づく。


(あれ……? みんな黙って僕に注目してる?! なんかまずいこと言ったのか? もしかすると、こんな挨拶したのが二心らしくなくて不自然だったのかも……。それとも、こんな遅くに登場してみんな怒ってるんじゃ――)


 そんな焦りで僕の鼓動は急激に加速し始めるが、ぽつりぽつりと生徒たちが口にし始め聞こえてきたのは、思いも寄らない言葉だった――。


『ちょっと待って、あれって本物?』

『やべぇ。俺、二心ちゃん初めてみたんだけど』

『二心様だわ! 本当に来てくれたわよ!』

『顔ちっちぇ! めっちゃ背高くてかっこいい!』

『隣にいるの、小豆ちゃんだよ!』

『嘘! 二人とも本当に出てくれるんだ!』

『すげぇ! 二人とも可愛い!』

『おい! もっと近くで見ようぜ!』


 そして一斉に生徒たちがこちらに駆け寄ってくる。それは先ほど校門前で起きた騒動のデジャビュを見ているかのような恐怖だったが、こういうときは決まっていつもこの二人が助けてくれるのだ。

「はいはい、押しかけたら危ないですよぉ!」

「てめぇら全員ストップだぁ!」

 雨宮さんと西園寺さんである。頼もしい二人は僕たちが怪我をしないよう壁となってくれたのだ。男の僕としては女子に守られて情けない限りだが、二人に任せて正解だったかもしれない。とくに西園寺さんの威圧感は凄まじく、押し寄せた生徒たちは誰にもぶつかることなく、僕たちの少し手前でピタリと足を止めてくれたのだ。おそらく僕が前に出ていたら無残に弾き飛ばされていただろう。

 すると少し遅れて小走りで到着した一人の女子生徒が目に入る。

「はぁっ、はぁっ……。ちょ、ちょっと、こ、この騒ぎはなに?!」

 運動が苦手なのか息を切らしながら困惑している彼女だったが、僕と姫川さんの顔を見て一瞬で全てを理解したようだ。そして彼女は二心の参加をあまり歓迎していないようにも見えたのだった。

「あぁ……そういうことね。みんな、二人を見て興奮しちゃったのか。とくに二心さんは今日、本当にここに来てくれるのかって今の今まで信じられなかったみたいだからね。にしても、急にみんな走り出したから驚いたわ。モデルさんのことはよくわからないけど、二人はすごく人気なのね」

「こ、こんな時間に現れてお騒がせしてすみません……」

 彼女は先輩だとわかっていたので僕は敬語でそう答えた。というのも、彼女は天河学院の生徒で知らない者はいないであろう『倉本生徒会長』、その人であったからだ。

 後ろで束ねた綺麗な黒髪を揺らしながら、ずれた黒縁メガネを直している彼女。身長は雨宮さんと同じくらいだが負けず劣らずの容姿端麗で、リーダーシップもあり男女問わず人気がある人だ。しかし真面目すぎるその性格から、僕も含めて近寄りがたい印象を持っている生徒も多くいるかもしれない。

 そんな生徒会長は、僕たちを取り囲んだ生徒たちに厳しく指示を出す。

「みんな、ちょっと聞いて! 今日は交流祭ということでテンションが上がっているのはわかるけど、一旦落ち着きましょう! さぁ! 本番まであと二時間切ってるんだから、最後まで気を抜かずに! 今は目の前の作業を進めましょう!」

 その声に僕を取り囲んだ生徒たちは飼い主にしかられた子犬のようにおとなしくなる。そして彼女の指示に従って、全員が元いた場所へと散らばっていくのだった。

 するとその隙を見て西園寺さんに質問する姫川さんの声が耳に入った。

「あのお方はどなたですの?」

「あれは倉本さん。うちの生徒会長だよ。今日のファッションショーのイベントを企画したのも彼女だって誰かが言ってたな。今回の交流祭の目玉にしたいから、自ら出張って責任者になったみたいだよ」

「わたくしたちはあまり歓迎されていないようですが、怖いお方なのかしら?」

「まあ、怖くはないけど真面目なんだよ。あたしも何度か服装とか注意されたことあるけど、校則が服を来て歩いてるような人でな。それと、二人がこのイベントに参加するのを最後まで反対してたらしい」

「二心様とわたくしのことをですか? 他校の生徒ですのに? 野獣のようなあなたの参加を拒むのは理解できますけれど」

「誰が野獣だ……。二心姉と小豆が反対された理由は、二人がどこの文化部にも所属してないことだったみたいだよ。両校の生徒会が揃って打ち合わせしたときに、二人の特別参加が問題になってな。『伝統ある文化部交流祭でそんな特例認めらない!』って揉めたらしい。それに有名な二人が参加して騒ぎになるのも避けたいって理由もあったみたいだ。でも最後は他の役員全員に説得されて渋々受け入れたってことらしいぞ」

「なるほどです……。彼女は根が真面目で曲がったことが嫌いなタイプだけれど、聞く耳は持っている、ということですわね」

 そんな二人の会話が耳に入り、僕は一人で震えあがっていた。生徒会で揉めてまで参加が認められた二心が実は偽物だったとばれてしまったら……。そんな想像が頭の中を駆け巡ってしまったからだ。

 すると一通りの指示を終えた生徒会長が僕たちの元へと戻ってくる。

「お待たせ。今、最後の調整でドタバタしてたところでね。あ、自己紹介が遅れたけど、私は天河学院で生徒会長をしている倉本と言います。私がお二人を控室まで案内しますからね。それで……あなたはうちの制服だけど、あなたもモデルさんだったかしら?」

 そう質問した生徒会長の視線の先には雨宮さんが立っていた。確かに見た目はプロのモデルに負けないほどの美貌とスタイルを持つ雨宮さんだったので、生徒会長がそう勘違いするのも納得だ、と僕は激しく頷いてみせた。

 それが恥ずかしかったのか、あっという間に顔が真っ赤になる雨宮さん。実は褒められるのが苦手なタイプなのかもしれない。

「ち、違いますよ! 私は写真部で、雨宮といいます。今日はよろしくお願いします!」

「あら。もしかして、あなたがあの有名な?」

「有名? 私がですか?」

「いじめっ子の男子をボコボコにして停学になったのよね」

「ボ、ボコボコじゃないですよ! ボコです! 一発だけです!」

「そうなの? まあ、噂には尾ひれがつくものだから。でも最初にその話を聞いたときは西園寺さんの顔が頭に浮かんだから、生徒会でも『やっぱりね』って言ってたんだけど」

「いや、あたしじゃないですから。それは尾ひれじゃなくて冤罪でしょ」

「うふふふ。ごめんなさい。でもまさかあなたがあの雨宮さんだったとはね……。人は見かけにはよらないとは、よく言ったものね」

 その話を横で聞いていた姫川さんが『停学?! 殴った?! どうして?!』と驚いた様子で僕にうるさく確認してきたため、僕は慌ててその口を塞いだ。

「でも、雨宮さん……。写真部の集合時間はまだ先よ?」

「二心ちゃんと知り合いなんで、ここまで亜里沙と二人で案内してきたんです」

「そういうことね。案内どうもありがとう。それで……星門から来ていただいたお二人のことなんだけど、ショーのときは芸名……っていうの? モデルされてるときのお名前で、姫川さんのことは『小豆さん』とご紹介した方がいいのかしら?」

「はい。『小豆』とお呼びください。今日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくね。ということはそちらも……『鈴木さん』ではなくて『二心さん』でいい?」

「は、はい……。私も『二心』で結構です。よろしくお願いします」

 すると雨宮さんと西園寺さんが、驚いた様子で生徒会長に確認する。

「「鈴木ぃ?」」

「どうしてそんなに驚いてるの? 彼女は『鈴木二心』っていうお名前だから、どう呼べばいいのかと思って確認しただけよ」

「二心姉って『鈴木』だったの? プロフにも乗ってねぇから知らなかった……」

「そう言えば私も二心ちゃんの本名知らなかったな……」

 二心は本名非公開だったが、生徒会には参加生徒の名簿が提出されていたのだろう。まさかこんなかたちで『鈴木』姓がばれるとは。だが、珍しい名前でもないので焦る必要もないと考えた僕は、冷静にスルーすることにした。しかし生徒会長の個人情報漏洩はまだ止まらない。続けてとんでもないことを言い出したのだ。

「あ、そう言えば二心さんって天河に弟さんがいらっしゃるのよね。今日は観に来るのかしら? 二心さんの弟さんだからカッコいいかもって、みんな噂してたわよ」

 その言葉を聞いた雨宮さんと西園寺さんは再び驚き、目を見開いて僕の顔を見る。

「「弟ぉぉぉ?! 天河にぃぃぃ?!」」

 そして僕は心の中で叫ぶのだった。


(うおぉぉぉぉぉぉぉぉい! 今、その話する必要ある?! いきなりなにを言い出すんだ、この人は! まずい、まずい、まずい、まずいぞ! これは非常にまずい展開となってしまった! このままだと僕が双子の弟だとばれるのも時間の問題だ。二人にも変装を見破られるかもしれない! いや……まだだ。まだ諦めるな……。諦めたらそこで終了って誰か偉い人も言ってたような。まだなにか打つ手があるはず……。そうだ! 生徒会長は『弟』とは言ったが、『双子』とは口にしていない! ということは、僕たちが双子ということまでは知らないんじゃないか? だったら、この場は双子であることを伏せよう! 双子でないなら弟は一年生だと思うだろうから、僕は弟候補から外れることになる。よし! 一年に弟がいることにして、とりあえずこの場をやり過ごすか――)


 そんなことを三秒ジャストで考えた僕に光明が差したそのとき、生徒会長から駄目押しとなる一撃が放たれる。

「あ、そう言えば、確か弟さんも二年生だったわよね。ということは双子?」


(うおぉぉぉぉぉぉぉぉい! 生徒会長! もう黙っててくれぃ! ああ……。もう駄目だ……。二年で『鈴木』姓の男子生徒って僕以外に何人いるんだ? 僕が知る範囲では一人しかいなかったはず。どちらが弟かなんて調べればすぐにばれるじゃないか……。これはもう終わったな――)


 そんな絶望で口から白い煙を吐いたとき、その状況を変えてくれたのは姫川さんだった。

「それより、生徒会長。舞台の設営完了はいつくらいになりそうですか? できましたら本番前に一度、全体を見ておきたいのですが」

 おそらく彼女はピンチになった僕をフォローするため、無理矢理に話題を変えてくれたのだろう。その結果、まだ二心の弟の話を聞きたそうだった雨宮さんと西園寺さんも、姫川さんの真面目な表情を見て口を閉ざしてくれた。

 そして姫川さんのプロ意識の高さを感じたのか、すぐに動き始める生徒会長。彼女は僕たちに『ちょっと待ってて』と告げたあと、突如何人かの生徒を呼び寄せなにやら相談し始めたのだ。そして話が終わると解散し一人こちらに戻ってくると、親指を立てながら姫川さんに回答するのだった。

「今は観覧席の最終チェックしてるところで設営はほぼ終わりだから、いつでもリハできるって。とりあえずオープニングの感じと代役が歩くところを見てもらおうかしら?」

「ありがとうございます。無理を言って申し訳ございません」

「いいえ。こちらも早目にチェックしてもらった方が、なにか問題があっても対応する時間がとれるしね。それじゃあ、お二人と西園寺さんはランウェイ近くへどうぞ。それと……写真部のあなたもよかったら撮影スペースで確認していいわよ」

「ほんとですか?! やった! でもカメラ持ってきてない……」

「とりあえず今は動線とアングルだけでも確認したらどう? ほら、あそこ。ランウェイと観覧席に間にぐるりと二メートル幅の通路があるのが見える? あの中は他のスタッフとぶつからないように自由に動き回って構わないから。モデルさんの動きに合わせて移動しながら撮影してくれても構わないし」

「へぇ……。すごいなぁ」

「あ、でも観覧の邪魔になるから頭はランウェイの高さより上に出さないでね。これは絶対だから。あとで他の写真部の人にも説明しといてくれる?」

「わかりました! それでは、ちょっと行ってきまぁす!」


 雨宮さんがそう言って嬉しそうに走り去ったあと、音響担当からマイクを受け取る生徒会長。そしてリハーサルがスタートするのだった――。

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